第172話 ホワイトデー - 運命の日 (5)

 バレンタインデーに想いを告白してくれた幸子に応えるべく、駿はホワイトデーに自分の気持ちを幸子に告白し、交際を申し入れた。


 その時、幸子の心の深淵の世界では[今の幸子]が、弱かった頃の『昔の幸子』と出会っていた。劣等感を克服できなかった[今の幸子]は、無意識のうちに『昔の幸子』を呼び覚ましていたのだ。


 この一年で大きく成長し、未来に希望を見出し始めていた[今の幸子]は、『昔の幸子』から執拗なまでにそのすべてを否定されたことで存在意義を見失い、『昔の幸子』に幸子の意思決定権を奪われてしまう。


 その結果、幸子は一年前のように、すべてを諦めることで自分の心を守ろうとし始めていた。


 そして、自分自身に絶望した幸子は……


 ――三月十四日 ホワイトデー 放課後の校舎裏


 『幸子』は、ゆっくりと顔を上げた。


「ごめんなさい、私は駿くんとはお付き合いできません」


(!)


 驚く駿。

 驚いたのは、断られたからではない。

 今の『幸子』に抱く違和感の正体に気付いたからだ。


 『幸子』は、初めて花壇で話しかけた一年前と、まったく同じ『目』をしていたのだ。

 それは、すべてを諦め、自分に絶望している『目』だった。


 キララが言っていた言葉を思い出す駿。


 ――駿から向けられる優しさや好意を、受け止め切れていないようなの。

 ――さっちゃん言ってたの。駿の隣にいるのは、自分じゃダメだ。可愛い子じゃないとダメだって。


(そうか……そういうことなのか……まだ……まだ終わっていない!)


 駿は『幸子』に向かって優しく微笑んだ。


「そっか……振られちゃったな……」


 照れくさそうに頭をかく駿。


「ねぇ、さっちゃん。教えてほしいんだ」

「はい」


 『幸子』は、感情のない返事をした。


「ホントは、オレのこと、キライだったのかな? 鬱陶しかった?」

「…………」

「難しく考えないでいいよ。正直に言ってくれれば」


 首を横に振る『幸子』。


「そっか、ホッとしたよ」


 駿は笑顔を浮かべた。


「他に好きな男の子がいるんだね。だったら、仕方ないか」


 同じように、首を横に振る『幸子』。


「えっ? じゃあ、オレと付き合えないのは……」


 『幸子』は、暗い表情のまま、うなだれてしまった。


「駿くんと私では、釣り合いが取れません……」


 駿の誘導で『幸子』は本音を吐露した。


(やっぱり、そういうことなのか……さっちゃんが抱えているのは「強い劣等感」だ……それは、顔や身体のそばかすに起因しているのか……?)


 幸子の問題の本質に近づく駿。


(オレはカウンセラーでもなければ、医師でもない……オレひとりでどうにかできるのか……? いや! やらなきゃいけないんだ!)


 駿は、うなだれる『幸子』を見つめた。


(こんなさっちゃんを見過ごすことなんてできない! もう絶望に満ちたさっちゃんの顔なんて見たくない!)


 幸子を取り戻す決意を固める駿。


「釣り合いが取れないってどういうこと?」


 『幸子』は顔を上げると、無理矢理笑みを浮かべた。

 しかし、鈍色の『目』には絶望が宿っている。


「駿くんのようにステキな男の子には、私みたいなチンチクリンじゃなくて、亜由美さんやキララさんたちのように、美しくて可愛い女の子が似合ってると思います」


 腕を組み、何やら考えるような素振りを見せた駿。


「確かにオレから見ても、亜由美はものすごくイイ女だと思うし、キララもお姉さんって感じで美人だ」

「はい……」

「ジュリアはツンデレで面白いし、ココアは笑顔が可愛いよな。あ、あと倫子先輩は守ってあげたくなっちゃうし、長嶺先輩って変わってるけどすごくピュアな正統派美人だ」

「はい、ですので、駿くんはそういった方々と――」

「でも、オレにとっては、さっちゃんが一番だよ」


 ハッとする『幸子』。


「で、ですから、私ではなく――」

「だからオレ、さっちゃんに告白したんだ」


 駿は『幸子』の言葉に被せるように話した。


「…………」


 黙ってしまう『幸子』。


「釣り合いが取れてるとか、取れてないとか、誰かに何か言われたのかな?」


 『幸子』は、首を横に振った。


「じゃあ、さっちゃんの心の中での話?」


 うつむく『幸子』。


「そっか。まぁ、確かにオレじゃ、さっちゃんとは釣り合いとれてないよな」


 『幸子』は驚いた。


「ぎゃ、逆です! 私じゃ駿くんには……」

「オレ、さっちゃんに手を出したくても出せない、男として最低のヤツだぜ」


 寂しげに、そして困ったように微笑む駿。


「大好きなさっちゃんを抱きしめても……ダメだったよ……」


 駿は頭をかきながら、たははっと笑った。


「そんなの関係ないです……駿くんはいつだってステキです……」


 『幸子』は、うつむきながらも、自分の本心を打ち明ける。


「じゃあ、さっちゃん……」

「そんなステキな駿くんが、私みたいな女を相手にしてたらダメです……」

「私みたいな女って……」

「駿くんは、私の身体のことをご存知ですよね」

「うん、知ってるよ」

「こんな気持ち悪い女は、やめておきましょう。身体も心もキレイな女の子と、ステキな恋愛を楽しんでください」


 さみしげに微笑んだ『幸子』。


 駿は言葉を失う。

 そして、やるせない思いが駿の胸を締め付けた。


「なぜだ……」

「えっ?」

「なぜなんだ、さっちゃん!」


 駿は我慢できず、大声を上げる。


「どうしてそんなに自分を蔑むんだ!」


 何も言えず、うつむいてしまった『幸子』。


「どうして自分を愛してあげられないんだ!」


 『幸子』は何も言えない。


「さっちゃんにコンプレックスがあるように、オレにだってある。さっきも話したよね?」


 反応できない『幸子』。


「でも、この一年でお互いにわかったじゃないか! 逃げるだけじゃ何も解決しないって!」


 『幸子』の瞳から涙が落ちる。


「こんな自分を受け入れるしかないんだよ!」


 地面に『幸子』の涙の跡が広がっていった。


「オレの好意がイヤなんだったら、これからは普通に接する! オレが鬱陶しいなら、もうさっちゃんの前には現れない! さっちゃんに振られたことも受け入れる!」

「やめて……」

「でも、今のさっちゃんを、オレは放っておけない!」

「もうやめて……」

「一年前、初めて出会ったあの時、さっちゃんはすべてに絶望している目をしていた……さっちゃん、気付いている? 今のさっちゃん、その時と同じ目をしてるんだよ!」

「放っておいて……」

「またひとりぼっちに戻るのかい? そんなのオレが許さない! 絶対にだ!」

「お願い……」

「だから! だから、自分に絶望してはいけない! 一年前のあの頃に戻ってはいけないんだ!」

「もういい……」

「自分に諦めちゃダメだ! 自分から逃げないでくれ!」


 駿が『幸子』の肩に手を伸ばそうとした時だった。


「もう放っておいて!」


 『幸子』は、絶叫した。


 ◇ ◇ ◇


《駿くん、やっぱり優しいよね……こんな卑屈な幸子のために、必死になってくれて……ね、あなたもそう思うでしょ?》


 ぼんやりと光る『幸子』が振り返ると、そこには誰もいなかった。

 残っていたのは、幸子がこぼした涙の跡だけだった。


 制服姿に戻っていく『幸子』。


《ようやく消えた……甘い夢を見る時間も、これで終わり……》


 『幸子』は上を向き、何も無い、闇しかない虚空を見つめている。


《最後まで「亜由美さんを頼っていれば」なんて言ってたわね……馬鹿馬鹿しい……》


 寂しげに微笑む『幸子』。


《どうせ、みんな裏切る……亜由美さんも、キララさんも、みんなも……幸子を駿くんにまとわりつく気持ちの悪い女だと思ってる……そして、みんな幸子を辛い目にあわせるんだ……だから、これでいい……すべてを諦めれば、期待することも、裏切られることも無くなる……》


 『幸子』の瞳から黒い涙が一筋頬を伝った。

 黒い涙は、やがて霧散し、闇の空間へと取り込まれていく。


《これで幸子は一生ひとりぼっち……誰からも傷付けられることはない……駿くんとの思い出を胸に、幸子はこれからずっとひとりで……ひとりぼっちで生きていく……これでいい……これでいいんだ……》


 『幸子』は、真っ暗闇の誰もいない空間で、ただひとり佇んでいた。


 ◇ ◇ ◇


 光の消えた絶望の目で駿を睨みつける『幸子』。


「私はこの気持ち悪い顔と身体から逃れられない!」

「さっちゃん……」

「私はボツボツだらけのバケモノだ! どうせみんなだって、本当は気持ち悪いって思ってる! おぞましいって思ってる!」

「違う! さっちゃん、オレたちを信じてくれ!」

「そして私を裏切るんだ! みんな裏切るんだ! みんな、みんな、私を後ろ指さして嘲笑うんだ!」

「さっちゃん、違う! それは違う!」

「違わない! もういい! お願いだから、放っておいて!」


 『幸子』は、涙をこぼしながら絶叫した。


(オレの声は届かなかったか……くそっ……)


 前向きな幸子を取り戻せなかった駿は、どうしようもない無力感に包まれた。


(他に手は無いのか……もう諦めるしかないのか……)


「幸子っ! いい加減にしろっ!」


 上の方から、女性の怒号が轟く。


 駿と『幸子』が見上げると、校舎の二階の窓に、激怒した亜由美の姿があった。


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