第171話 ホワイトデー - 運命の日 (4)

 ――三月十四日 ホワイトデー 放課後の校舎裏


 ――時間は十分ほど遡り、十六時


 駿からの呼び出しに応えるべく、校舎裏へ向かう幸子。

 もう考える時間はない。結論を出さなければいけないのだ。


 しかし、幸子はまだ迷っていた。

 本当に駿の隣にいるのが自分で良いのか、と。


 人気ひとけのない校舎裏へやって来た幸子。

 そこには、駿が難しい顔をして、ひとり佇んでいる。


「駿くん……」


 幸子が声を掛けると、駿は笑顔で迎えてくれた。

 しかし、思わずうつむいてしまう幸子。


「さっちゃん、来てくれて、ありがとう」


 幸子は、コクンと小さく頷いた。


「クッキーも受け取ってくれて、本当に嬉しかった」


 胸がざわめく幸子。


「さっちゃん、約束通り、オレが伝えたいことを伝えます」


 駿の言葉は、幸子の心のキャパシティを超えて、押し寄せた。


 その時だった――


 < * * * * * * * >


 ――心の奥底に疼きを感じる幸子。


(えっ! こ、こんな時に……一体何なの……⁉)


 < * *** *** * * >


 幸子は、疼き方がいつもと違うことに気付いた。


(何⁉ 心が……心が苦しい……でも、何か安堵するような……)


 < * *** ***** **>


(苦しいのに、ホッするって……どういうこと⁉)


 < *********** **>


(く、苦しい……心が……心が……)


 ふと駿に視線を向けるが、自分の異変には気がついていないようだ。

 幸子に向けて何かを話しているが、何を話しているか、理解ができない。


 <***************>


(心が破裂する……!)


 幸子の意識はブラックアウトした。


 ◇ ◇ ◇


 幸子は、闇に包まれた空間で座り込んでいた。


 立ち上がってみると、地面があるような、ないような。そんな不思議な感覚だ。

 周りを見渡すと、先の方にぼんやり光っているものが見える。

 幸子は、まずそこを目指すことにした。


 道は無かったが、そこへ向かって歩こうとする。

 自分が近づいているのか、光が近づいてきているのか、よく分からないが、徐々にそのぼんやり光っているもののかたちが見えてきた。


(!)


 幸子は驚く。

 ぼんやり光っていたのは『幸子』自身だった。

 自分と同じ制服姿で立っている。


 幸子に気付くと『幸子』はニッコリ微笑んだ。


《ようやく来てくれた》


 少しエコーがかかったような自分の声で『幸子』は話した。


「あなたは誰……?」


《『私』は、あなたよ》


「私がふたり……?」


《ちょっと違うかな。『私』はあなた自身だけど、同じではないわ》


 理解ができない幸子。


《何言ってるか分からないよね。そうね……『私』は一年前のあなたなの》


「じゃあ、私は今の……ってこと?」


《そういうこと》


「一年前の『私』が、なぜ今ここに……」


《『私』は、あなたに追いやられてたの》


「追いやられた?」


《駿くんと出会ってからの一年、楽しかったよね》


「うん」


《その一年の間に『私』は、幸子の心の奥底に追いやられてたの》


「人は変わる……そういうことじゃないの?」


《それがなぜ、今、ここにいると思う?》


「わからない……」


《わからないはずない!》


 幸子を睨みつける『幸子』。


《わかってるはずよ、駿くんの好意が心の重しになっていることを!》


「そ、そんなことない!」


《そんなことあるの! だから『私』がここにいるのよ!》


「ど、どういうことなの⁉」


 困惑した幸子。


《『私』は、幸子の心を守る》


「心を守る?」


《思い出して。幸子は今まで散々辛いイヤな思いをしてきたじゃない》


「そうね……」


《一年前の『私』は、幸子を守るために何をしてきた?》


「まさか……!」


 『幸子』は優しく微笑んだ。


《すべてを諦めれば、幸子の心が傷つくことは無いわ》


「でも! でも! 傷つくことを恐れたら、何もできない! それをこの一年で駿くんたちから教わったはずじゃない!」


《何を言ってるの? 『私』を呼び出したのは、あなた自身よ》


「えっ?」


《あなたは、駿くんを信じることができなかった》


「そんなことはない! 私は駿くんを信じてる!」


 大声をあげる幸子。


《じゃあ、なぜ駿くんと付き合うことを恐れるの?》


「そ、それは……」


《自分ではダメだ……駿くんにはもっとお似合いの女の子が隣にいるべきだ……確かそうだったわよね?》


「だって、だって駿くんには――」


《ウソね! あなたが言っていることは全部ウソ!》


「ウソなんかじゃない!」


《あなたは、自分が傷つきたくないだけでしょ!》


「!」


《だって私はバケモノだもの! だから他の女の子と比べられて、いつか振られる! それが怖いんでしょ!》


「違う! 駿くんは、こんな身体でもいいって言ってくれた!」


《冷静に考えてみて》


 先程まで学校の制服を着ていた『幸子』の身体が、徐々に生まれたままの姿になっていく。


 まるで模様を描いたかのような、そばかすに覆われた身体が見える。

 そばかすが無いのは、首周り、乳房の先端、腰回り、肘から先、膝から先、それだけだ。


《こんなボツボツだらけの気持ち悪い身体に、駿くんが本当に魅力を感じると思う? この間みたいに身体中にファンデーション塗りたくるつもり?》


「…………」


 返答できない幸子。


《駿くんの不能が治ったとして、幸子のこの身体を見て、駿くんホントに勃つかしら?》


「う……うぅ……」


 幸子の目から涙が落ちる。


《ほら見なさい。駿くんに抱いてもらうなんて不可能なのよ》


「そ、そんなこと……」


《それに、幸子じゃなくたって、駿くんの周りには魅力的な女の子がたくさんいるじゃない》


「それでも……それでも駿くんは、幸子を選んでくれた……」


 必死で言葉を絞り出した幸子。


《まだそんなこと言ってるの? だって、あなた自分で言ってたじゃない》


「言ってた? 何を?」


《亜由美さんやキララさんたちがお似合いだって。応援してるって》


「確かに言った……」


《でしょ? 実際、その通りじゃない》


「でも、でも……」


《あなたも分かってるわよね。亜由美さんやキララさんたち、みんな駿くんのことが大好きだって》


「…………」


 幸子は何も言えない。


《駿くんは、誰を選ぶかな?》

《ジュリアさんと付き合ったら、毎日楽しそうだよね!》

《ココアさんだったら、毎日ベタベタしてそう!》

《キララさんは駿くんの右腕みたいになるかな!》


「やめて……」


《それとも、父性本能がくすぐられる東雲(倫子)部長かな?》

《ちょっと不器用だけど純粋な長嶺(光)部長もお似合いだよね!》


「お願い……」


《でも、やっぱり亜由美さんかな。誰よりも強い絆で結ばれてるもんね、駿くんとは》


「やめて!」


《幸子が振ったら、駿くんショックでしょうね……本命チョコをあげているのに、付き合うのはお断りなんて……思わせ振りな酷い女よね……》


「断ったりなんてしない!」


《迷ってるくせに……まぁ、いずれにしたって、駿くんの隣には、今言った誰かがいることになるでしょうね》


「わ、わたし……」


《想像して》

《夕方、学校からの帰り道》

《駿くんは幸子以外の女の子とふたりで楽しそうに歩いている》

《どこに行くのかな?》

《買い物かな? 食事かな?》

《幸子は少し離れた後ろから、もう二度と手の届かない駿くんの姿を指を咥えて羨ましく見てるの》


「ヤダ……ヤダ……」


《そして、きっと駿くんは、女の子を自分の部屋に連れていくでしょうね》

《ふたりが部屋の中に消え、玄関の扉が閉まる》

《幸子は、電信柱の影からただそれを見てるの》

《やがて、部屋の明かりが消える》

《ふたりは何をしてるのかしら?》

《あのベッドの上で……》


「いやっ!」


《いいじゃない、駿くんと付き合わない幸子は裏切られないし、傷つくこともないわ。幸子の心は守られる》


「そんなの違うよ……心は傷つくよ……」


《いつもの方法でストレス解消すればいいでしょ、大丈夫よ》


「いつもの方法……?」


《あら、言わせるの? ほら、「駿くん、駿くん」って、いつもしてるじゃない》


「だまれーっ! 好きな人を想うことの何がいけない!」


《全然いけなくないわ。『私』はあなたなんだから》


「ちくしょう……ちくしょう……」


《それに駿くんを好きな女性はまだいるわよね》


「だ、誰……?」


《『私』に言わせるんだ。ズルいわね。あなたも薄々気が付いてるでしょ?》


「まさか……」


《お母さんよ》


「そ、そんなはずない!」


《あなた言ったわよね。「駿くんがお父さんになったら嬉しい」って》


 反論できない幸子。


《女手ひとつで幸子を育ててくれて、男っ気の欠片もなかったもの。でも、お母さんだって女よ。自分を求め、愛してくれる男性がいたら、すごく嬉しいでしょうね》


「それが駿くんだって言うの……?」


《ずっと年上のオバサンと呼ばれるような年齢の自分を、下心無く優しく抱き締めてくれる年下の男の子……人を好きになるのに、お互いの年齢なんて関係ないわ。それに、あんなに頼りになる男性、他にいないもの。お母さんと一緒になったら、毎日駿くんと家で顔を合わせることになるわね!》


「それは……」


《そして、いつか目にするわ》

《お母さんと駿くんが愛し合う姿を……》


「!」


《ずっとひとりきりで寂しい思いをしてきたんだもの……きっとお互いを激しく求め合うお母さんと駿くんの姿を目にするでしょうね……》


「そんなのイヤだ!」


《イヤって言ってもしょうがないわ》


「あぁ……あうぅあぁぁ……」


 両手で頭を抱え、涙をこぼす幸子。


《まぁ、誰が駿くんの隣にいようが、結局幸子はそうやって惨めに悔し涙を流しているのがお似合いなのよ、一生ね》


「で、でも! みんな、幸子を応援してるって……!」


《本気でそう思ってるの? 幸子が駿くんを振ったら、みんな思うでしょうね。「ラッキー」って!》


「ラ、ラッキー……?」


《だって、好きな男の子が幸子に振られたのよ? 誰が何のために幸子を応援するの? みんな、こぞってアプローチを始めるでしょうね》


「…………」


《全員「あの子、バカじゃないの」って、嘲笑うわ。そして、激怒するでしょうね。「駿くんを傷付けるなんて許せない」って》


「そんな……」


《大丈夫、またぼっちに戻るだけ。今までのことは全部夢だったのよ。またすべてを諦めましょう。そうすれば、幸子の心は傷つかないわ》


「イヤだ!」


 幸子は『幸子』を睨みつけた。



 『幸子』は、自分とは思えない程、邪悪な笑みを浮かべる。



《ようやく堕ちた……くくくっ……》


「えっ……?」


《もう遅いわ、自分をご覧なさい》


 自分の手を見る幸子。


「!」


 身体が徐々に透明になってきており、透け始めていた。


《これから幸子は『私』になるの。あなたは用済み》


「また絶望する日々に戻るっていうの⁉」


《仕方ないわ。あなたが選択した道だもの》


「わ、私が……」


《そうよ、あなたがそういう道を歩むことを選択したのよ》


「そんなバカな!」


《あなたがこれからも幸子として歩むこともできた》


「じゃあ、そうするわ!」


《でも、あなたは駿くんを信じ切れなかった》


「違う!」


《違わない》


《私にはたくさんの言い訳がある。「そばかす」「チビ」「ペッタンコ」そして「バケモノ」。そんな言い訳を理由に「どうせ私なんて」と、手を差し伸べ続けてくれている駿くんを信じ切れなかった》


「ち、ちが……」


《これからもずぅっと自分の身体を言い訳にして、現実から逃げ回って生きていきましょうよ。辛い思いをしたくなければ、たとえ惨めであっても、それが一番楽だもの》


「私は前を向いて……」


《もうあなたに幸子の意思決定権は無い。すべては『私』が決める》


 幸子の身体がどんどん透けていく。


《最後に、駿くんを見せてあげる》

《そして『私』の決断もね》


 ◇ ◇ ◇


 幸子の意識が覚醒した。

 目の前には、駿が立っている。


(駿くん! 助けて!)


 しかし、幸子は言葉を発することも、身体を動かすこともない。


《言ったでしょ、あなたに意思決定権は無いの。今は『私』が幸子なのよ》


(そんな! 駿くん! 駿くん!)


 駿は話し続けている。


 そして――


「そんなオレの気持ちを伝えます」


(駿くん! 待って! 今はダメ! お願い、待って!)



「さっちゃん、好きです。オレと付き合ってください」



(私も好き! 駿くんが好き! 幸子! 勇気を出して! あなたが大好きな駿くんが告白してくれたのよ! 幸子! 逃げたらダメ! 勇気を出すの! お願い!)


《駿くんとお別れの時よ》


(やめて! 駿くんと別れたくない! お願い! やめて!)


《駿くん、さようなら……》


 幸子は、ゆっくりと顔を上げた。



「ごめんなさい、私は駿くんとはお付き合いできません」



(イヤァーッ!)


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