第170話 ホワイトデー - 運命の日 (3)

 ――三月十四日 ホワイトデー 学校


 ――昼休み 駿のクラスの教室


「駿、遅ぇよ。もうメシ喰っちまったぜ」


 教室に戻ってきた駿に、達彦が言い放った。


「ゴメン、ゴメン、あちこち回ってさ」


 自分の席につく駿。

 今、ここには駿と達彦、太、そして幸子がいる。


「ボク、さっちゃんからミニハンバーグもらっちゃった。すごく美味しかったよ!」

「おぉー、良かったじゃん、太」

「冷凍モノじゃなくて、お母さんの手作りなんです。太くんが喜んでくれたって、お母さんに伝えておきますね」


 お互いニコニコ顔の太と幸子。


「まぁ、駿が帰って来なくても良かったけどな。俺たちとさっちゃんとで楽しくやってたから」

「ふふふっ、タッツンさんと太くんと、こんなにたくさんおしゃべりしたの初めてで、楽しかったです」

「俺も楽しかったよ、さっちゃん」


 達彦は、幸子ににっこり微笑んだ。


「なんだよ、オレをのけものにしないでくれよ」


 困った素振りを見せる駿。


「さっちゃんを放っておいて、他の女のところに行くヤツなんざ、ろくなもんじゃねぇ」

「えー……そんな風に言うなって……」

「さっちゃん、安心しな。もっといい男、俺が紹介してやるから」


 幸子は、達彦の言葉に苦笑いした。


「ハヤテっていうヤツがいてよ……」

「バ、バカッ! あんな危ないヤツ、さっちゃんに紹介すんな!」

「こんな日に、さっちゃんを蔑ろにするヤツよりは……」

「してないって! さっちゃんはトリだよ!」


 紙袋からクッキーの入った袋を取り出す駿。

 他の女の子のモノよりも一回り大きな袋で、チョコがかかったクッキーも混じっていた。


「さっちゃんだけのスペシャルバージョンだぜ!」

「おぉ~」


 驚嘆の声をあげる達彦と太。


「これ手作りでしょ? 駿はこういうところ、スゴいよね。タッツンも見習いなよ」

「うっせぇな、ほっとけ」


 拗ねる達彦を、太が笑っていた。


「はい、さっちゃん。一生懸命作りました。受け取ってもらえますか?」


 クッキーの袋を幸子に差し出す駿。


「わざわざ私のためのものを……」

「チョコがかかってるヤツは、さっちゃんだけだよ。あと――」


 駿の顔が赤くなった。


「――ハートのクッキーも、さっちゃんだけなんだよね……」


 頭をポリポリかく駿。

 達彦と太は、それをニヤニヤ見ていた。


「駿くん……ありがとう……」


 笑顔でクッキーを受け取る幸子。


(あれ?)


 駿は、違和感を感じた。


「それと、さっちゃん、これ」


 幸子に洋封筒を手渡した駿。


「これは……?」

「ラブレターみたいなもんだよ。あの、早めに読んでね、早めに!」

「うん、席に戻ったら読ませてもらいますね」


 笑顔を浮かべつつも、どこか寂しそうな、元気がない幸子。


(最近、さっちゃんの様子がおかしかったけど……今日のこれは……何だろう……何かがおかしい……)


 駿も、最近の幸子の様子がおかしいことに気付いていた。

 しかし、今日の幸子は、さらに違和感があるのだ。

 駿は、その違和感の正体が分からなかった。


 キーンコーンカーンコーン♪


「はい、はい、愛の語らいも一旦終わりな」

「タッツン、そのうち馬に蹴られるよ」


 達彦の憎まれ口に、太が笑いながらツッコミを入れている。


「駿くん、ありがとうございます……お手紙、読ませていただきますね」

「うん!」


 ペコリと頭を下げて、自分の席に戻っていく幸子。


「じゃあね、ボクも戻るね」


 太は、手を振りながら、教室を出ていった。


 すっと駿に寄ってくる達彦。


「おい、駿……さっちゃん、大丈夫か……?」

「正直わからん……」

「普通だったら、顔真っ赤にして大喜びするだろ……何かさっちゃん変だぞ……」

「普通じゃないよな……」

「ちょっと心配だ……駿、頼んだぜ……」

「あぁ、わかってるよ……」


 達彦は、駿の肩をポンポンと叩き、自分の席に戻っていった。


 幸子に感じた違和感の正体。

 それが分からない駿は、漠然とした不安に包まれていた。


 ◇ ◇ ◇


 幸子は自分の席に戻り、駿からもらった洋封筒を開け、手紙を読んだ。

 そこには、一言だけこう書かれていた。


 『十六時、校舎裏で待ってる』


 手紙を洋封筒にしまい、胸に抱く幸子。

 喜びの気持ちが心に舞い下りてきた。


 しかし、それ以上に心の底から湧いてくる不安感。

 そして、劣等感。

 喜びの気持ちが、不安と劣等感に塗り潰されていく。


(こんなに嬉しいことはないのに……私はどうすればいいの……)


 < * * * * * * * >


 心の奥底に疼きを感じる幸子。


(この感覚は何なの……? 駿くんにチョコを上げてから何度も何度も……)


 < * * * * * * * >


(ま、また……あれから何かがおかしい……これは恋心じゃないの……?)


 < * * * * * * * >


(恋心じゃなければ何なの……)


 授業は始まっていたが、幸子の頭には何も入ってこなかった。


 駿にバレンタインチョコを渡してから三週間。

 ずっと考えてきた。

 でも、答えは出なかった。


 考えることができる時間は、あとわずか。

 運命の時が迫っている。


 ◇ ◇ ◇


 ――十五時四十五分 校舎裏


 人気のない校舎裏に、駿がひとりで佇んでいる。


(さっちゃんは、来てくれるだろうか……)


 様子のおかしい幸子を見て、一抹の不安を抱えていた駿。


(それでも、さっちゃんはオレにバレンタインチョコを贈ってくれた……)


 涙ながらにチョコを贈ってくれた幸子の姿を思い出す。


(不能のオレを気持ち悪がらずに、抱き締めさせてくれた……)


 駿の求めに応じて、部屋で抱き締め合った。


(きっと、さっちゃんだって、オレと同じ気持ちだと思う……)


 心を重ね合わせたあの夜の出来事が、鮮明に脳裏に浮かぶ。


(でも、今日のさっちゃんに感じた違和感は何だろうか……)


 ホワイトデーのクッキーを渡しても、特別喜んでいるような様子は無かった。

 もしかすると、この短い間に、他に好きな人ができたのかもしれない。

 心変わりがあったのかもしれない。

 そんな不安を飲み込む駿。


(仮にそうであっても、あの日、勇気を出してくれたさっちゃんに報いなければ……そうでなければ、さっちゃんに失礼だ……! 今、オレはさっちゃんが好きだ。それをきちんと伝えよう)


 駿は自分の気持ちをもう一度確認して、告白の決意を固めた。


 ――十六時


 約束の時間。


「駿くん……」


 駿が顔を上げると、そこに幸子が立っていた。

 手紙で伝えた通り、校舎裏に来てくれたのだ。


 しかし、幸子はうつむき気味で、表情が伺いしれない。

 ただ、喜び勇んでここに来てくれたわけではないことは確かだった。


 それでも、駿は幸子を見据えて、口を開く。


「さっちゃん、来てくれて、ありがとう」


 コクンと小さく頷いた幸子。


「クッキーも受け取ってくれて、本当に嬉しかった」


 幸子は、うつむいたままだ。


「さっちゃん、約束通り、オレが伝えたいことを伝えます」

「…………」

「さっちゃんと出会ってから一年……色々なことがあったよね」

「…………」

「さっちゃんは、オレに助けてもらってばかりだって言ってたけど、オレからすると、さっちゃんに救われてばかりだったって思ってる」

「…………」

「そんな真面目で、優しくて可愛いさっちゃんに、オレ、どんどん惹かれていったんだ」


 うつむいたままの幸子。


「そんなオレの気持ちを伝えます」


 ぴんと張り詰めた空気が満ちる。



「さっちゃん、好きです。オレと付き合ってください」



 自分の正直な気持ちを言葉に乗せて、はっきりと口にした駿。

 駿は、答えを待ち、幸子を見つめている。


 身動きひとつ取らない幸子。

 三月の冷たい風が校舎裏のふたりを包む。


 ふたりが言葉を発しないまま、時間だけが流れていく。

 どのくらいの時間が流れたのか。


 幸子は、ゆっくりと顔を上げた。

 そして――



「ごめんなさい、私は駿くんとはお付き合いできません」



(!)


 幸子は、駿からの交際の申し入れを断った。


 驚く駿。

 駿が驚いたのは、その断りの返答ではなかった。

 もちろん、その返答はショックではあったのだが、それ以上に衝撃だったことがあった。幸子に感じていた違和感の正体が分かったのだ。


 それは『目』だった。


 駿を申し訳なさげに見つめた幸子の『目』。

 瞳の奥にあるはずの光は消え、その瞳は鈍色に染まっている。


 その『目』を駿は見たことがあった。

 一年前、花壇で水やりを休憩している幸子と初めて出会った時だ。

 幸子は、あの時とまったく同じ『目』をしていた。


 それが意味するのは『諦めと絶望』だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る