第60話 少年の過去 (1)
自分の身体の秘密を知られ、学校から飛び出した幸子。
これまで培ってきた自分への自信や、自分の価値が幸子の中で崩れ去り、生きる希望を見失ってしまう。
幸子は自分の部屋で、これまでのすべてを投げ捨て、そしてすべてを終わらせる決断を下そうとしていた。
(夢から覚める時が来たんだ……)
駿たちとの高校生活を思い返す。
(楽しい夢だったな……)
幸子は、文房具立てに入っているカッターナイフに手を伸ばした。
ぴんぽーん
自宅のチャイムが鳴った。
幸子は手を止めた。
母親が誰かと話をしている。
ギシ ギシ ギシ
誰かが二階へ上がってきた。
コンコン
自分の部屋の扉をノックされ、驚く幸子。
「さっちゃん、いるかい? オレだ、駿だ」
(駿くん……!)
◇ ◇ ◇
「さっちゃん、いるかい? オレだ、駿だ」
駿の呼び掛けに、扉の向こうからは何の反応もない。
隣にいる幸子の母親・澄子に目を向けると、澄子はゆっくり頷いた。
「さっちゃん、急にいなくなっちゃったからさ、みんなビックリしちゃったよ」
幸子からの反応は無い。
「さっちゃん、オレと少しお話ししない?」
扉の向こうから幸子の声が聞こえる。
「お話しすることはないです……お帰りください……」
「じゃあ、さっちゃんの話を聞くよ。何時間だって聞く。全部話して」
「帰ってください……」
「もし、さっちゃんが何か抱えているものがあるなら、オレ、一緒に抱えたいんだ」
「適当なこと言わないで!」
扉の向こうで幸子が叫んだ。
「何が『一緒に抱えたい』よ! 何でも出来て、何の問題もないアナタに、私のことなんか分かるわけないじゃない!」
「それでもオレ、さっちゃんのこと理解するようにするから。頑張るから。だからお願いだ。ここを開けてくれ。話をしよう」
「帰って!」
「さっちゃん……」
「うるさい! 帰れ!」
扉の向こうから幸子の嗚咽する声が聞こえる。
駿は、自分の無力感に包まれていた。
◇ ◇ ◇
幸子は、自分の不甲斐なさに涙していた。
(あの時と……お母さんを泣かせてしまったあの時と、まったく同じじゃないか……)
自分を心配して来てくれた駿に、ただ感情のおもむくままに怒りや悔しさをぶつけ、罵倒する。
しかし、どうしようもない現実に屈服した幸子は、駿を受け入れる勇気がどうしても出てこなかった。
(情けない……情けなさすぎる……どうして……どうして私はいつも……)
幸子は、自分の感情や想いにがんじがらめとなり、身動きが取れず、ただ部屋の中でうずくまっていた。
――何十分か経っただろうか。
幸子は、うずくまったままだった。
「さっちゃん」
扉の向こうから駿の声が聞こえる。
駿は、まだ幸子を待っていた。
「さっちゃんの気持ちを考えないで、勝手なこと言ってゴメンね」
無言の幸子。
扉の向こうで、駿が大きく息を吐いた気がした。
「さっちゃん。オレ、ひとりでしゃべるから。何か自分語りみたいで恥ずかしいけど、聞いていてくれるかい?」
扉に顔を向ける幸子。
「オレ、さっちゃんが言ってくれたみたいに、何でも出来るとか、何の問題もないとか、そんなこと全然無くてさ。実際は……男として本当にダメなヤツなんだよ……」
幸子は言葉を発す勇気が出ない。
「中学生の頃の話なんだけどさ――」
◇ ◇ ◇
中学生の頃の駿は、いわゆる「サッカー小僧」で、当時は坊主頭。
達彦とサッカー部に所属して、コンビを組んでのプレイは他を圧倒しており、戦力として大きな期待がかけられていた。
また、誰よりも朝早くから練習に取り組み、率先して部の雑用までこなすなど、実力だけでなく、その真面目な姿勢は顧問や部のメンバーから高い信頼を勝ち取っていた。
そして、中学二年の春。
秋の県大会に向けたメンバー選出のため、夏休み明けに他校との練習試合が発表される。顧問と部のメンバーの誰もが駿と達彦のコンビの活躍に期待を寄せた。
その頃、駿には大きな出来事があった。
「高橋(駿)くん、好きです。私と付き合ってくれませんか……?」
サッカー部のマネージャー・三年生の
これに喜んだ駿は即答し、絵美里との交際が始まる。
「周りにバレるのが恥ずかしい」という絵美里の希望もあり、学校の中では部のメンバーとマネージャーとしての付き合いだったが、帰宅後に隣町へ遊びに行くなど、ふたりだけの秘密を共有しているドキドキを楽しんだ。
夏休みに入り、駿は絵美里とのデートを重ねていく。
当時の駿は、絵美里の手を握る勇気も無かったが、絵美里との交際は駿にとって本当に楽しく、人生の喜びを凝縮したような充実した時間を過ごした。
もちろん、その間もサッカーの練習は重ね、練習試合で結果を出すべく、達彦と共に学校での自主練にも励んでいた。
夏休みが明け、練習試合が目前に迫った頃、駿は絵美里から急に呼び出される。避けていた学校でのことだったので、何事かと駿は驚いた。
放課後、指定された体育倉庫裏へ急ぐ。
そこには絵美里がいた。
そして、もうひとり。
「おいおい、高橋(駿)、お前何やってんだよ」
ポジション争いをしていた三年生・
甘いマスクの持ち主ではあるが、サッカーの腕はいまいちで、後輩への当たりも強く、部内ではあまり好かれていなかった。また、悪い噂もちらほら聞こえ、真面目な女子からは敬遠されていた男子だった。
「あ、天木先輩、こんちわっす……」
(何で天木先輩がここに……?)
天木は、不敵な笑みを浮かべる。
「高橋、お前先輩の女に手を出すって、どういうことだ? あ?」
「えっ⁉」
天木の腰に手を回し、天木に微笑んだ絵美里。
(絵美里⁉)
「今なら謝れば許してやるよ。俺は心が広いからな」
天木のその言葉と共に、絵美里が駿に目を向ける。
絵美里は、声を出さずに、口だけを動かした。
(ゴ・メ・ン・ネ)
笑顔で舌をペロッと出す絵美里。
(!)
「ほら、高橋! 早く謝れよ!」
天木が駿に詰め寄った。
「も、申し訳ございませんでした……」
恥辱に顔を歪める駿。
「は~? 聞こえねぇよ! もっとはっきり言えよ!」
天木は、ニヤつきながら駿へ強硬に迫った。
「天木先輩! 申し訳ございませんでした!」
頭を深く下げる駿。
プッ
絵美里は、それを見て思わず吹き出してしまった。
「それでいいんだよ、しょうがねぇから許してやるよ」
駿が顔を上げると、天木と絵美里が口づけを交わしていた。
「ま、練習試合、頑張ろうな」
いやらしい笑みを浮かべた天木と、その天木の腰に手を回し、身体を寄せる絵美里が去っていく。
駿は完全にふたりに嵌められていた。
目的は「天木のポジション取り」である。
駿のメンタルを揺さぶり、駿の持つ高い能力を削ろうとしたのだ。
(ここで泣いたり、悔しがったりしたら、アイツらの思う壺だ! 練習試合で結果を出せばいいんだ!)
駿は涙が溢れそうになるのをこらえ、ふたりを見返すことを心に誓った。
しかし、人の心はそうかんたんではない。
◇ ◇ ◇
――練習試合
駿は精彩を欠き、達彦との連携もうまくいかず、凡ミスを連発した。
それもそうだろう。ベンチにいる天木と絵美里がふたり睦まじく並んでいる姿が、駿の視界に嫌でも入るのだ。視界に入る度に、デートでの楽しかった記憶と、ふたりの口づけする姿が脳裏に浮かび、心中穏やかでいられなくなってしまう。
そして、ついに交代を告げられる。
代わりにピッチへ入るのは、天木だ。
落ち込む駿と目が合うと、天木はニタリと笑った。
連携など無視した個人プレイに、達彦やチームメイトはうんざりしたが、達彦の出した絶妙なパスを、そのままゴールに決める。
結果、この一点により、練習試合は勝利を収めた。
落ち込む駿の様子を見て、達彦やチームメイトは励ましたの言葉をかけたが、翌日、駿は顧問に退部届を出す。
顧問は、駿の能力や姿勢を高く評価しており、慰留に努めたが「これ以上サッカーはできない」と、駿が決断を覆すことはなかった。
達彦も、駿を引き留めようと必死だったが、駿は何も語らず、結局首を縦に振らなかった。
◇ ◇ ◇
――県大会 予選一回戦
すでに駿が退部していたため、スターティングメンバーとして天木がピッチに立った。
しかし、練習試合での得点に気を良くしていた天木は、練習試合の時以上に個人プレイへ走った。
そもそも、練習試合の時も、達彦が適切なパスを出したからこそ天木でも得点できたのだが、サッカーが特別うまいわけでもない天木の個人プレイは、相手チームからすればただの「穴」だ。かんたんにボールを奪われ、相手チームに弄ばれる天木。
結局、防戦一方の試合運びとなり、一回戦で敗退してしまった。
不甲斐無い結果に、涙するチームメイトたち。
この時、チームメイトのひとりが涙ながらに叫んだ。
「アイツが俺たちを裏切ったからだ!」
この瞬間、本来天木に向かうべきチームメイトの怒りが、駿に向いてしまったのである。
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