第132話 正月 (6)

 ――一月二日 午後


 幸子の家でお正月の三が日を過ごすことになった駿。


 ショッピングモールからの帰り道。

 澄子の運転する車の助手席に駿が座っている。

 駿は、どこを見るわけでもなく、ぼぉっとしていた。


「高橋(駿)くん、大丈夫?」

「いやぁ……オレってマザコンだったんだなぁって……澄子さんにしがみついて、心底ホッとしちゃうなんて……」


 先程、ショッピングモールの駐車場の車の中で、澄子の胸に顔をうずめ、頭を撫でられて夢心地だった駿。


「男性は、大なり小なりそういうのがあるからね。特に、高橋くんは母親に甘えることを知らないでしょ?」

「そうですね……姉のような人はいて、とても優しい女性ですが、甘えたりはできなかったですね……」

「ちょっとタイミングは遅いけど、私には甘えていいからね……ううん、私に甘えてちょうだい。ね?」

「そんなとこ見られたら、幸子さんに嫌われちゃいますよ」


 苦笑いする駿。


「幸子なら、きっとこう言うわ。『駿くん、私と同じだ!』って」

「同じ?」

「幸子のこと、よく抱きしめるし、抱きしめられるから」

「ふふふっ、幸子さんが羨ましいです」

「まぁ、年頃の男の子が、こんなオバサンとはいえ、女性に抱きつくのは恥ずかしいわよね」

「澄子さん」

「なに?」

「自分のことを『オバサン』って言うの、やめましょう」

「でも、ほら、さっきも言われちゃったけど、中年太りのオバサンだから」

「そんなことないです」

「えっ?」

「澄子さんは、とても魅力的な女性です」

「いいのよ、そんな気を使わな――」

「年齢とか、太ってるとか、何だとか、そんなの関係ないです。そんな魅力的な澄子さんが、自分で自分のことを『オバサン』呼ばわりするのは、とても悲しいです……」


 澄子の言葉に被せる駿。


「何よりも、澄子さんは『幸子さんの優しいお母さん』です。だから自分のことを『オバサン』だなんて言わないでください……と言うか、澄子さん、全然太ってなんかないですよ」

「ありがとう……」


 澄子は、駿の言葉に頬を赤く染め、照れくさそうに微笑んだ。


「じゃあ、お母さんから高橋くんを抱きしめてあげようかな!」


 爽やかな笑顔で駿を見る澄子。


「えっ⁉」

「だって、そこまで言われたら、お母さんとしては、高橋くんにも愛情を注ぎたくなっちゃうわ!」

「い、いや、それはすべて幸子さんへ……」

「幸子へは毎日愛情注いでるから! それとも、やっぱりこんな年のいった私じゃイヤかしら……」

「いやいやいや! だって、さっきもあんなにうっとりしちゃったのに……」

「じゃあ、いいじゃない。幸子の前で抱きしめれば、幸子だって『私も~』って言って飛びついてくるわよ」

「さ、幸子さんの前で……!」


 駿は、駐車場での出来事を思い出した。


「あ、あまりにもカッコ悪いです……」


 澄子の胸にすがりつく自分の姿を想像する駿。


「試しに、家に着いたら幸子の前で抱きしめてあげるからね!」


 澄子は、いたずらっぽく笑った。


「やめてくださ~い!」


 顔を赤くして困る駿を見て、大笑いする澄子。

 家に着くまで、車内は終始こんな和やかな雰囲気だった。


 ◇ ◇ ◇


 カチャリ カチャリ ガチャッ


「ただいまー」

「さっちゃん、ただいま」


 家に帰ってきた澄子と駿。


「おかえりなさーい……」


 出迎えてくれた幸子は、じとっとふたりを睨む。


「幸子、掃除は終わったの?」

「もうちょっと……」

「ほら、去年のうちにやっておかないからでしょ」

「うん……」


 幸子はうなだれてしまった。


「よし! さっちゃん、一緒にやろうか! オレ、手伝うよ!」


 駿の申し出に驚く幸子。


「えー! ダメです、ダメです! 駿くんはお客様なんですから!」

「ふふふっ」


 駿が思い出し笑いをした。


「何だかさ、初めて花壇で出会った時みたいだよね。オレが水やり手伝うって言ったら、さっちゃん『いいです、いいです』って」

「はい、私も覚えています……」

「だから、今回も手伝わせてよ。それで、さっさと終わらせて、のんびりしようよ!」

「えーと……」


 困った様子の幸子。


「幸子、手伝ってもらったら?」

「で、でも……」

「幸子だって、高橋くんとゆっくりしたいでしょ?」

「うん……」

「オレも同じだよ、さっちゃん」


 駿は、ニコニコの笑顔で幸子を見つめた。


「幸子、高橋くんのお言葉に甘えなさいな」


 悩む幸子。


「駿くん……」

「はいはい」

「手伝っていただけますか……?」

「もっちろん! 楽しくやろうよ!」

「うん!」


 駿と幸子は、お互いに顔を合わせて微笑みあった。


「じゃあ、ふたりともお掃除、よろしくね」

「はい!」「うん!」


 和気あいあいと階段を上がっていくふたり。


「あんなステキなボーイフレンドがいて、幸子がうらやましいわ……」


 澄子は、暖かい眼差しでふたりを見守った。


 ◇ ◇ ◇


「ふ~、こんなもんかな……さっちゃん、窓拭きと廊下の拭き掃除、終わったよ!」


 自分の部屋からひょっこり顔を出す幸子。


「ありがとうございます! こちらも終わりました!」


 駿は、幸子の部屋を覗いた。


「さっちゃんの部屋、ピッカピカ!」

「ふふふっ、どうぞ、駿くん。私の部屋でくつろいでください!」

「ありがとう! お邪魔しまーす」


 幸子の部屋に入り、ホットカーペットの上に座る駿。


「さて、どうしようか? スヴィンチ・ライト(任電堂のゲーム機)で遊ぶ?」

「駿くん、お願いが……」

「うん、何でも言って」

「本、読んで過ごしませんか……?」

「本?」

「はい……あの夢でして……」

「一緒に本を読むのが?」


 幸子は小さく頷いた。


「部屋の中で、お友達と好きな本を読む……って、つまんないですね! ゲーム遊びましょう!」


 慌てて駿に笑顔を向ける幸子。


「さっちゃん」

「はい!」

「本読んで、のんびり過ごそうか」

「えっ……あの……つ、つまらないですから……」

「オレ、さっちゃんの横で、のんびり本読みたいな」

「い、いいんですか……?」

「音楽でも流してさ、思い思いに本読んで、たまにおしゃべりして、眠くなったら昼寝して……最高じゃない。どうかな?」

「駿くん、ありがとう……」


 駿は、幸子の鼻の頭をちょんと触れた。


「わっ!」

「キララの真似~」

「駿くん! もう!」


 楽しそうに笑い合うふたり。


「オレが読んだことの無いブライテッドラブレーベルの本ってある?」

「たくさんありますよ! ここから好きな本をどうぞ!」


 幸子は、駿に小さめの本棚を案内した。


「へぇ~、さっちゃん、色んな本読んでるんだね」

「恋愛小説ばっかりですが……」


 照れくさそうに苦笑いする幸子。


「じゃあ、この『優しき王子と悪役令嬢 ~時空を超える恋心~』にしようかな」

「あ、それとってもステキなお話しですよ!」

「おっ! 楽しみ! さっちゃんは何読むの?」

「私は『同級生はスーパーヒーロー ~私を救ったイジワルなアイツ~』です」

「現代が舞台なんだ。珍しいね」

「はい、昔買った本なのですが、最近よく読むようになりました」


(主人公が駿くんみたいなんだよね……つい、何度も読んじゃう……)


 駿と出会った頃は、ファンタジーや中世を舞台にした小説しか読まなかった幸子。現代を舞台にした小説は、現実世界ですべてを諦めようとしていた幸子では、どうしても主人公やヒロインに自分を投影できず、物語に没頭することができなかったのだ。


 あれから、いくつかの季節が過ぎた。


 本当の友達や仲間ができ、様々な出来事や事件を経験し、そして何より駿という自分を肯定してくれる男の子の存在が、現実世界における自身の存在意義を幸子に少しずつ自覚させていった。

 その結果、現代を舞台にした小説も楽しめるようになったのだ。これは幸子の大きな成長の証でもあった。


 ベッドを背もたれにして、並んで本を読み耽る駿と幸子。

 小さなテーブルの上に置かれた駿のスマートフォンからは、優しいアコースティックギターの音色が、耳障りにならない程度の小さな音で流れている。

 駿と幸子は、時折何となく目が合うが、言葉を交わすことなく、お互いに微笑んで読書を続けた。


 ゆったりとした空気が満ちる幸子の部屋。

 そんな空気が、ふたりにとってはとても心地良かった。


 ――しばらくして


「駿くん……?」


 幸子が駿に視線を向けると、駿は座ったまま静かに寝息を立てていた。


「ふふふっ……」


 駿の肩にそっと手を添える幸子。

 駿は、ふと目が覚めたが、寝ぼけまなこだ。


「駿くん……横になってください……」

「うん……」


 ベッドの上から枕を取り、横になろうとする駿の頭を乗せる幸子。


「さっちゃん……ありがとう……」


 幸子は優しく微笑んだ。


「さっちゃん……」

「はい……」

「オレ……頑張るから……頑張るからね……」

「え……駿くん……?」


 駿は、寝息を立てている。


(駿くん……これ以上、何を頑張るっていうの……)


 駿の言葉に引っ掛かりつつも、今はゆっくり眠らせてあげようと、幸子は優しく駿の頭を撫でた。


 < * * * * * * * >


 この時、幸子の心の奥底が疼いた。


(駿くんへの恋心……? 何だろう、初めての感覚……)


 幸子は、自分の胸をそっと押さえた。


 ◇ ◇ ◇


 甘いミルクのような柔らかな匂いに、意識が覚醒していく。


 ゆっくりと目を覚ます駿。

 寝てしまった駿には、枕があてがわれ、布団がかけられていた。

 枕と布団は、幸子のベッドのもののようだ。


「さっちゃんがやってくれたのか……」


 部屋の中を見ると、幸子はいなかった。

 窓を見ると、日はすでに暮れており、外は暗い。結構長い時間寝てしまったのかと、自分のスマートフォンで時間を確認すると、まもなく十八時三十分だった。

 枕と布団をベッドに戻し、部屋から出る駿。


 カチャッ


 一階からカレーのいい匂いが漂ってきた。

 匂いにつられて階段を降りる。


 キッチンから幸子と澄子の声がした。

 駿に気付く幸子と澄子。


「高橋くん、ゆっくり眠れたかしら? うふふふ」

「す、すみません、思いっ切り昼寝してしまいました……」


 駿は、申し訳無さそうに頭をかいた。


「駿くん、丁度良かったです!」

「ん?」

「丁度カレーが出来上がったところなので、夕飯にしませんか?」

「やった! カレー大好き!」

「ホントですか⁉ 良かった!」


 喜ぶ幸子。


「高橋くん、今夜のカレーは幸子の手作りだからね!」

「えっ⁉ さっちゃんが作ったの?」

「はい! 美味しくできてる……とは思うのですが……」


 幸子は、たははっと笑っている。


「大変だったのよ、作ってる最中も『駿くん、カレー好きかな』とか、『駿くん、喜んでくれるかな』とか、ずーっと『駿くん』『駿くん』って」

「お、お母さん! し、駿くん、そんなこと言ってないから、気にしないでね!」


 顔を真っ赤にしながら必死で否定した幸子。


「さっちゃんの手料理を食べられるなんて、新年早々幸先がいいなぁ」


 駿は、満面の笑みを浮かべる。


「さぁ、さぁ、じゃあ、さっちゃんの特製カレーをいただきましょうか。高橋くん、ここに座ってちょうだい」


 澄子の示したキッチンのテーブルの席に着いた駿。


「はい、駿くん。食べてみてください」


 幸子は、駿の前にカレーライスを置く。


「やった! 野菜ゴロゴロカレーだ!」

「何か普通の家のカレーですみません……」

「オレ、カレーはよく食べるんだけど、いつもレトルトなんだよね……だから、こういう野菜がゴロゴロ入ってるカレーって、普段食べられないから嬉しくて……!」

「喜んでもらえて良かったです!」

「それに……」

「それに?」

「ちょっと恥ずかしいんだけど……こうやって、さっちゃんがいて、澄子さんがいて……何か家族みんなでカレー食べる感じって、憧れてたんだよね……」


 照れくさそうな様子の駿。

 そんな駿を、澄子がそっと抱きしめる。


「この家にいる時は、高橋くんも家族よ」

「澄子さん、ありがとうございます……」

「あ~、お母さん、私も~」

「はい、はい、さっちゃん、おいで」

「わ~い」


 幸子を抱きしめた澄子。

 幸子は、すごく嬉しそうだ。


「ね、高橋くん、私の言った通りでしょ?」

「そうですね」


 笑い合う駿と澄子。


「さぁ、冷めないうちにいただきましょ」


 席に着いた幸子と澄子。


「さて、さっちゃんのカレー、美味しくできてるかなぁ~? ふふふっ」

「さっちゃん、いただきます!」


 幸子はこれ以上無い位の笑顔を浮かべる。


「ふたりともどうぞ召し上がれ!」


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