第131話 正月 (5)

 ――一月二日 午後


 幸子の家でお正月の三が日を過ごすことになった駿。

 一夜明けた今日は、澄子と車で大型ショッピングモールに来ていた。


「澄子さん、昨晩はすみませんでした……」

「それはもういいって、車の中でも何度もいったでしょ」

「でも……澄子さんの……その……胸に……顔をうずめてしまって……」

「私が抱き寄せたんだから、そんなの気にしないの!」

「はい……」


 顔を赤くしてうなだれる駿の背中を、微笑みながらポンポンと叩く澄子。


「それと、部屋まで用意していただいて……」

「あそこは使ってない部屋だから、好きに過ごしてもらっていいからね」


 昨夜は、二階の幸子の部屋の隣にある普段使っていない部屋で一夜を過ごした。


「で、幸子さんは置いてきちゃって良かったんですか……?」

「言いつけを守らなかった幸子が悪いの! まったく、やるやる詐欺なんだから……」

「あははは……」


 幸子は、年末の大掃除をサボっていたことがバレ、同行は許されず、泣く泣く家の二階の掃除をしている。


「高橋くんがいてくれて助かったわ」

「はい、荷物持ちなら任せてください!」

「そのために泊まってもらったわけじゃないからね!」

「ははは、それでも全然問題ありませんので」

「高橋くんは、欲しいもの買えたのかしら?」

「はい、バッチリです!」

「そう、良かったわ」


 談笑しながらショッピングモールの中を歩いていたふたり。

 そんなふたりに、近付く影があった。


「あれ~? オバサン、何やってんの?」


 女性の声に振り向くふたり。

 そこには、派手めな若い女と、その連れと思しき男性が立っていた。


「美鈴さん……」

「いや、何やってんのか、聞いてんのよ」


 美鈴は、高圧的に澄子に迫る。


「お正月の買い物に……」

「美鈴、誰、この人?」


 美鈴に尋ねた連れの男。


「ほら、在宅ワークして会社に来ないオバサンよ」

「あー、そういえば社長が……美鈴のお父さんが褒めてたよ、この人のこと」


 怪訝な顔つきになる美鈴。


「パパ、見る目が無いよの……できるのは仕事だけでしょ、こんなデブババァ」


 澄子はうつむいてしまった。


「それで何、こんな若い男連れて? この子、ホスト? なワケないか、金持ってないもんね。いくら払ってこの子連れてんの?」


 澄子をニヤニヤしながら見ている美鈴。


「い、いえ、娘のボーイフレンドです……」

「あー、それならタダだもんね」


 美鈴は、駿に目をやった。

 駿は、美鈴たちに軽く頭を下げる。


「アンタも大変ねぇ~、正月早々こんなオバサンの相手しなきゃいけないなんて」

「いえ、オレは別に……」

「だって、誰かに見られたら恥ずかしくない? 美人ならまだしも、こんなオバサン丸出しの人と一緒に歩いてるの」


 うつむいたまま、顔を真っ赤にした澄子。

 駿は苛つきを隠さず、表情に出す。


 連れの男性が、薄ら笑いをして言った。


「言っちゃ悪いんだけど、こんなオバサンと歩くのは――」


 駿の瞳に怒りの炎が燃え上がる。

 一歩前に出て、澄子を庇うように美鈴たちの前に立ち塞がった。


「言っちゃ悪いと分かってんなら、口つぐんでろ」


 男を睨みつける駿。


「!」


 男は後ずさり、駿から目をそらした。


「アンタも物好きねぇ。このオバサン、中年丸出しで、化粧もろくすっぽしていないし、手なんかガサガサじゃない」


 手を隠す澄子。


「いくらお小遣いもらってんのか知らないけど、普通はそんな女と歩きたくないわよ。あ、女じゃないわね、もうオバサンだもんね」


 美鈴はニヤつきながら、侮蔑の視線を澄子に送った。


「そうですかね? オレには、あなたより澄子さんの方がずっと魅力的です」

「はっ⁉」


 苛立ちの表情を浮かべる美鈴。


「化粧をしていないのは、化粧品を買うお金を娘さんに回しているからです」

「高橋くん……」

「それと」

「あっ……」


 駿は、澄子の手を取った。

 澄子の手は肌荒れがひどく、ところどころあかぎれしている。


「オレは澄子さんの手が好きです」

「そんなガサガサの手……」

「これは働き者の手です。女手一つで、毎日娘のために必死で頑張っている優しいお母さんの手です」


 そんな澄子の手を握った駿。


「オレは、こんな暖かい手を他に知りません」

「ふんっ……」


 美鈴は、言葉が出ない。


「美鈴さん……でしたっけ? 失礼ですけど、おいくつですか?」

「二十四よ! そんなオバサンとは違うわ!」


 イラつきを隠さない美鈴。


「そうですか、ではあと何年でしょうね?」

「何がよ!」

「『女』として生きられる期間です」

「はぁ⁉」

「いや、さっき美鈴さんがおっしゃったんですよ。『オバサンは女じゃない』って」

「あっ……くっ……」

「美鈴さんのおっしゃる『オバサン』がいくつ位の方を指しているのか分かりませんが、仮に六十歳を過ぎてたって、自分や家族のために、仕事や家事、子育てに誇りを持って頑張っている、そして頑張ってきた女性は美しいです。目が輝いてます」

「六十なんて、もうシワだらけのババァじゃない!」

「だから、年齢がどうとか、シワがどうとかの話じゃないんですよ」

「じゃあ、何なのよ!」

「女性としての魅力の話です」

「だったら、二十代の私の方が……!」

「オレには、美鈴さんがこう言っているように聞こえます。『私には若さしか取り柄がありません』と」

「!」

「そんな美鈴さんが年齢を重ねていった時、一体何が残るんですか?」

「あ……う……」


 美鈴は、何も言えなくなってしまう。

 澄子の方に向き直り、微笑んだ駿。


「オレ、澄子さんにプレゼントがあるんです。ホントは家に帰ってから渡すつもりだったんですが……」

「わ、私に……?」


 コートのポケットからリボンのついた小さなギフトバッグを取り出す。

 さっき自分の買い物をしたときに、一緒に買ったものだ。


「よければ貰っていただけませんか?」

「開けていいかしら……」


 駿は、笑顔で頷く。

 ギフトバッグの中には、ミルキーライン(大手化粧品メーカー・個性堂の高級ブランド)のハンドクリームが入っていた。


「えっ! これ……」


 驚いた澄子。


「え、やだ、どうしよう……」


 駿は、困惑する澄子の手を笑顔でもう一度握る。


「優しいお母さんの手を、大切にしてほしいです」


 パチパチパチパチパチパチパチパチ


 突然周囲から拍手の音がした。

 駿たちが周りを見渡すと、ちょっとした人だかりが出来ている。

 そして、駿と澄子に、多くの女性や夫婦が笑顔で拍手を送っていた。


「うおっ! マジか……!」


 思わず照れてしまい、顔を赤くして頭をかく駿。

 駿たちとは逆に、多くの女性たちから侮蔑の視線を浴びる美鈴。


「くっ……ア、アンタなんか、パパに言ってクビにするからね!」


 澄子は、美鈴の言葉にビクッとし、怯えるように身体を縮こませた。

 それを見て満足そうに笑みを浮かべる美鈴。


「東京MEXS銀行……ひばり銀行……」


 駿は、大手銀行や地方銀行の名前を挙げていく。


「いや……戸神信金あたりかな……」


 目を見開いた美鈴。

 駿はニヤリと笑う。


「ウチの実家、ライブハウスやっててね。このあたりの音楽好きが結構集まるんです」

「だ、だから何よ!」


 駿は美鈴に近づき、耳元で囁く。


「戸神信金の副理事長さん、ウチの常連なんだよね……」

「!」

「それに、弁護士や社労士の常連さんもいるんで……今どき、こんなパワハラやセクハラがまかり通っている会社なんて……訴え起こされたら、融資元や取引先から総スカン喰らって……そちらの会社は大変なことになりそうですね……」

「…………」


 顔から血の気が引き、真っ青になった美鈴。

 そんな美鈴を見て、駿は澄子の元に戻る。


「どうしますか、美鈴さん。澄子さんをクビにしますか?」


 悔しげな表情を浮かべた美鈴。


「ア、アンタたち! 覚えてなさいよ!」


 捨て台詞を残し、立ち去る美鈴と男。


 パチパチパチパチパチパチパチパチ


 改めて巻き起こる駿と澄子への拍手。


「お兄さん、ステキ!」

「その方、大事にしてあげて!」

「お姉さん、プレゼントもらえて良かったね!」


 たくさんの女性が、ふたりに向けて声を投げかけている。


「あわわわわわ……」

「や、やばい……す、澄子さん、ここは退散しましょう……!」


 パニックを起こしかけている澄子の手を引き、その場を足早に立ち去る駿。

 後ろからは、拍手の音が聞こえた。


 ◇ ◇ ◇


 バタムッ


 駐車場の車の中に戻ってきたふたり。


(調子にのって、やらかしちゃったなぁ……澄子さん、怒ってるだろうなぁ……)


 澄子の表情からは、心のうちは伺い知れない。


「あ、あの……」

「あははははははは! 高橋くん!」

「は、はい!」

「ありがとう! スッとしたわ! あはははは!」


 澄子は、本当に楽しそうに大笑いしている。


「ちょっとやり過ぎちゃいました……」

「いいの、いいの、あの子にはこれ位が丁度いいのよ!」


 ひとしきり笑った澄子は、落ち着きを取り戻した。


「あの子、私が勤めてる会社の社長令嬢でね、甘やかされて育ったのか、私だけじゃなくて、工場のパートさんとかにもあんな感じなの」

「このご時世、社長令嬢があんな感じで社内をのさばっているのは、かなりヤバイと思いますが……」

「うん……社長も困ってるみたいなんだけど、娘には強く言えないみたいで……」

「困ったもんですね……」


 ベンチシートの助手席側に座っている駿を、自分の胸に抱き寄せる澄子。


「わわっ、す、澄子さん……!」

「でも、白馬の王子様が助けてくれたから! ステキなプレゼント付きでね!」


 澄子は、嬉しそうに微笑んだ。


「澄子さん……」

「ん?」

「笑わないで聞いてもらえますか……?」

「もちろんよ」

「オレ、澄子さんにこうやって抱きしめてもらうと、すごく安心するんです……」

「うん……とても嬉しいわ」

「いやらしい意味に捉えないでほしいんですけど……」

「うん、分かってる」

「澄子さんは、暖かくて、柔らかくて、いい匂いがして、嫌なことや辛いことをすべて優しく包み込んで、忘れさせてくれるみたいで……」

「高橋くんは、ご両親を早くに亡くされているのよね……」

「はい、物心ついた時には、叔父に引き取られていました……」

「じゃあ、どこかで母親を求めているのかもしれないわね……」

「ある意味、マザコンかもしれませんね……澄子さん、ありがとうございました」


 身体を離そうとする駿を、もう一度自分の胸に抱き寄せる澄子。


「す、澄子さん……!」

「誰も見てないわ……大丈夫よ……」


 澄子の溢れる母性に身体と心が包まれる駿。


「すみません……もう少しだけ……もう少しだけこのままで……」

「うん、大丈夫だからね……」


 駿は、澄子の背中へゆっくりと手を回し、その胸に顔をうずめた。

 そんな駿の頭を優しく抱きながら撫でる澄子。


 この時、駿にやましい気持ちや劣情は一切なく、自分に向けられた澄子の母性が、ただただ心地良かった。

 母親の愛情を受けた記憶の無い駿にとって、澄子から向けられた母性は、何物にも代え難いものだった。澄子の言う通り、駿は心の奥底で母親を求めており、そして無意識のうちに、澄子を母親の存在に重ねていたのだ。澄子もそれを察しており、自分の娘である幸子に向けてくれた駿の好意や愛情を、無償の愛にして駿に返そうとしていた。


 大きなショッピングモールの大きな立体駐車場の端。

 人気ひとけの少ない場所に止められた車の中で、母親が自分の愛情を注ぐかのように、澄子は駿を優しく抱きしめていた。

 澄子は、聖母のような慈愛に満ちた優しい表情を。駿は、赤子のような無垢な微笑みを浮かべている。


 何の物音もしない車内で、時間はゆっくりと、ゆっくりと、流れていった。


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