第134話 正月 (8)
――一月二日 深夜
駿と幸子は、布団を並べ、横になりながら話をしていた。
幸子は、何事にもすべてを抱え込み、真剣に頑張ろうとする駿の心を心配し、駿が抱えたものや悩み、辛いことを少しでも吐き出せる場所になろうと、駿を説得する。
そんな幸子の優しさに触れ、駿は自身の不能、そしてそれに起因する心の奥底でひた隠しにしていた自分の弱さを吐露した。
「ホントは……みんなに……さっちゃんに……弱い自分を見せたくないだけなんだよ……」
「弱い自分……?」
「オレ、弱虫だからさ……男としてダメなことがみんなに見透かされないか、いつも怯えてて……いつか……い、いつか……みんなに……さ、さっちゃんに見限られて……オレのま、前から、誰も、いなく、な、なっちゃうんじゃないかって……」
駿は、感情の昂りを抑えられず、幸子の前で小さく嗚咽を漏らした。
「駿くん……」
不能であることを、駿がここまで悩んでいたと理解できていなかった幸子は、自分の浅はかさに深く悔恨した。
(いつもそばにいてくれたのに、私は駿くんの何を見ていたんだ……)
そして幸子は、駿の涙を見て、自分が駿の支えになる決意を新たにする。
「駿くん、私を見ていただけますか……?」
幸子の方へ向く駿。
幸子は、寝間着のボタンをいくつか外し、胸の谷間の部分を見せていた。
その胸元は、オレンジ色の常夜灯とそばかすで、肌が黒く見えた。
「私、この身体が大嫌いです……自分で見ても気持ち悪いし……私、自分をバケモノだって思ってます……」
「そんなこと……」
「ふふふっ、駿くんはどんな時も優しいですね……私、そんな駿くんの優しさに救われたんです……」
澄子に言われたことを思い出す駿。
(幸子、ものすごく喜んでたの。私の身体のことを知っても、高橋くんが可愛いって言ってくれたって。幸子ね、涙流して喜んでたのよ)
「私、駿くんの言葉をそのままお返しします」
「言葉を?」
「私は、駿くんがカッコイイからそばにいたいんじゃないです。駿くんだからそばにいたいんです」
「それは、オレがジュリアに言った……」
幸子はニッコリ微笑んだ。
「駿くん、私言いましたよね。駿くんの方がもっともっと素敵だって……私、今もその気持ち、まったく変わってないです」
「オレが以前ここに来た時の……」
「はい、あの時、駿くんに言われた言葉です」
幸子を見つめる駿。
「駿くんの悩み……女の私には、きっと本当の苦しみは分からないと思います……でも、私、苦しむ駿くんを支えたいです。一緒に悩みたいです」
「ありがとう、さっちゃん……」
「駿くん……手を出していただけますか?」
「こうかい……?」
駿は、幸子の目の前に右手を差し出した。
幸子は自分の左手を合わせて、指を絡め合わせて、そっと握る。
いわゆる恋人握りだ。
幸子の体温が、手のひらを通して駿に伝わる。
「さっちゃんの手、暖かいね……オレ、今、ドキドキしてる……」
「駿くんの手も大きくて……私も、すごくドキドキしています……」
お互い手を、そして指を動かし、撫で、何度と無く指を絡み合わせるふたり。
「駿くん……私、思うんです……」
「何をだい……?」
「身体を重ね合わせることができなくても、心を重ね合わせることはできるんじゃないかって……」
「心を重ね合わせる……」
「はい……お互いを知って、喜びも、悲しみも、辛いことや悩みも、お互いに共有し合って、心を重ねる……そして、時に励まし合って、時に叱咤し合って、時に抱きしめ合って……」
「うん……」
「今、私、駿くんとの心の重なりを感じています……」
「オレもだよ、さっちゃん……」
「だから、手を合わせて、指を絡めるだけでも、こんなに心地良い……」
ふたりは、幾度となく指を絡み合わせ続けている。
ふと何かを思い付いた幸子。
「駿くん……」
「ん……?」
「はしたない女だって思わないでくださいね……」
「さっちゃんをそんな風に思うもんか……」
緊張しているかのような表情の幸子。
「私、駿くんになら、何をされてもいいです……」
「えっ?」
握りあった手の動きが止まる。
「駿くんの望むことなら、どんなことでもします……」
幸子は、駿にニッコリと笑った。
「さっちゃん……」
「駿くんの自信を取り戻すのに、私の身体を使ってみませんか……? 暗くすれば、そばかすやシミも分からないですし……胸は無いけど、一応女です……」
「待ってくれ……」
「どこを触っていただいてもいいです。何をしていただいてもかまいません。駿くんがしてほしいことは何でもしますから、何でも言ってください」
「さっちゃん」
「もしかしたら、駿くんの自信を取り戻せるかもしれません! だから、だから私の身体を!」
「さっちゃん!」
駿が叫び、そして部屋の中は静寂の空気に包まれる。
「さっちゃん、落ち着いてくれ……」
幸子の手を強く握った駿。
「オレ、さっちゃんにそんなことできないよ……」
「で、でも、駿くんが自信を取り戻すには、きっと良い方法だと……」
「さっちゃんを傷付けてまで、取り戻したくない……だったら、一生不能のままでいい……」
「私なら大丈夫です、傷付いたりしません」
「でも、そんなことできない……!」
「それは……やっぱり、こんな身体、だからですか……? こんな気持ち悪い身体では、駿くんのお役に立てないですか……?」
「違う!」
「じゃあ、どうして? 本人がいいって……」
「特別な女の子なんだよ! さっちゃんは!」
駿の告白のような叫びに驚き、言葉を失ってしまう幸子。
「オレにとって、さっちゃんは特別な……とても特別な女の子なんだよ……」
常夜灯の淡いオレンジ色の光では、駿の細かな表情はわからない。
「そんな女の子の身体をまさぐって、勃ったぞ、やったー……って。あり得ないよ、そんなの……」
「駿くん……」
――沈黙するふたり
どれくらい時間がたっただろうか、駿が意を決したかのように言葉を発する。
「さっちゃん……」
「はい……」
「オレ、決めたよ……」
「何をですか……?」
「病院に行って、治療を受けたいと思う……」
「病院に……」
「オレ、ずっと恥ずかしくて、自分が情けなくて、どうしようもない弱虫だった……現実から逃げ続けて、グズグズして……結果、さっちゃんにあんなこと言わせてしまって……本当に情けないよ……」
「駿くん……」
「さっちゃん、お願いがあるんだ……」
「はい、何でも言ってください」
「オレに勇気をわけてくれないか……」
「私が……?」
「治るかどうか分からないし、きっと心が折れそうになることもあると思う……そんなとき、さっちゃんから『ガンバレ』って言われたら、オレ頑張れると思うんだ……」
幸子の手を握る力を強くなる。
「だから、さっちゃん、お願いだ! オレに勇気をわけてほしい、頼む!」
駿は、真剣な、そして必死の形相を浮かべた。
そんな駿に、幸子は優しく微笑んだ。
「もちろんです。私、駿くんの支えになりたいです!」
「こんな情けないところ、さっちゃんには見せたくなかったけど……」
「それも駿くんの魅力です! 人間臭くてステキだと思います!」
「こんな情けない男を、ステキって言ってくれるのは、さっちゃんだけだよ」
笑顔の駿の目に涙が光る。
「私みたいな気持ち悪い女を可愛いって言ってくれるのは、駿くんだけです」
心の中の霧が晴れたかのように、ふたりは幸せそうに微笑んだ。
「駿くん……」
「ん?」
「今夜、このまま……手をつないだまま寝てもいいですか……?」
「オレがお願いしたいくらいだよ、さっちゃん」
改めて指を絡め合わせるふたり。
「さっちゃん……」
「はい……」
「オレ、さっちゃんに伝えたいことがあるんだ……」
握っている幸子の手がピクリと動いた。
「はい……」
「でも、まだちょっと心の中がぐちゃぐちゃしていて……整理ができたら、ちゃんと伝えるから、少しだけ待ってくれるかい……?」
「はい……お待ちしています……ずっと、お待ちしています……」
駿の手をキュッと握る幸子。
「ありがとう……」
駿は、幸子の手を握り返した。
「おやすみ、さっちゃん……今夜はありがとう……」
「駿くん、おやすみなさい……」
眠りに落ちていくふたり。
< * * * * * * * >
心の奥底に疼きを感じる幸子。
(これは何……不思議な感覚……何だろう……なん……だ……ろ……)
不思議な疼きを感じつつ、幸子は眠りについた。
駿は、澄子に言われた言葉を思い出していた。
(『いいじゃない、かっこ悪くたって。いいじゃない、情けなく泣き喚いたって。幸子は、きっと高橋くんを優しく抱きしめてくれると思う』)
(澄子さんの言った通りだった……そして、さっちゃんは、自分の身体を張ってまでオレに尽くそうとしてくれた……)
幸子の行動は、駿の想像を遥かに超えるものだった。
(オレにはまだ、そんなさっちゃんに『好きだ』と言う勇気がない……でも、この想いを伝えたい……さっき約束もした……必ず近いうちに、さっちゃんに……さっちゃんに……)
幸子への想いを胸に抱きながら、駿は眠りについた。
◇ ◇ ◇
――一月三日 朝
コンコン
「高橋くん、起きてる……?」
カチャ
「!」
澄子の目に、駿と幸子が布団を並べて、身体を寄せて寝ている姿が映った。
想定外の光景に、言葉を失う澄子。
「た、たかは……」
澄子は、声を掛け、ふたりを起こして説教をしようとしたのだが、一旦それをやめた。
小さなため息をつく澄子。
(何というか……高校生らしくないわねぇ……子どもみたい……ふふふっ)
微笑みを浮かべた澄子は、そっと部屋を出て、静かに扉を閉めた。
パタン
「もう少し寝かせてあげるか」
階段を降りていく澄子。
部屋の中では、駿と幸子が恋人つなぎをした手に向かって、顔を寄せて寝ていた。
窓のカーテンの隙間から差す朝の光に照らされたふたりは、どんな夢を見ているのか、笑みを浮かべ、とても幸せそうな寝顔だった。
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