第20話 梅雨の週末 (1)

 梅雨入りし、空気がしっとりと湿り気を帯びる季節。今日はさらに雨も振り、不快指数が高い状況だ。

 そんなムシムシとした空気の中、ここ戸神本町駅前で、幸子は困っていた。


「うーん、どうしようかな……」


 家を出る時は雨が降っていなかったため、折りたたみの傘を忘れてしまったのだ。バスで帰ったとしても、最寄りのバス停から自宅までの間でびしょ濡れになりそうな雨の降り具合である。コンビニでビニール傘を買えばいいのだが、そんなビニール傘が家には何本かあり、また買って帰ると母親・澄子にいい加減怒られそうな気がする。


「雨が止むまでぼんやり待ってようかな……」


 幸い再開発で雨をしのげる場所が増えたので、幸子は雨が止むのを待つことにした。


 ――三十分後


 雨は激しさを増していた。

 駅前交番の近くでしゃがみ込む幸子。


「最近は<声>が聞こえる回数もぐっと減って、心身ともに調子いいのに、運の悪さだけは変わらないなぁ……」


 ふぅー、と大きなため息をついて、膝を抱え込んだ幸子。


「あれ? さっちゃん?」


 聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには駿が立っていた。

 黒いロックバンドのTシャツに、デニム、白いバスケットシューズというシンプルでラフな格好だが、幸子にとって背の高い駿はモデルのように見える。


「どうしたの、また気分悪いの?」


 心配そうな顔をした駿。


「ううん、雨が止むのを待っていました」


 幸子は、てへへっ、と笑いながら立ち上がる。


「何だ、びっくりさせないでよ~」


 ホッとした駿。


「おっ、さっちゃん。今日も可愛いね!」


 白にグレーのモノトーンでシックな感じの長袖ストライプシャツ、ウエストリボンが可愛らしいモスグリーンのボタンスカートをハイウエストで穿いていて、黒のウォーキングシューズを履き、濃紺のボディバッグを身体にかけている。


「か、からかうのやめてください……」


 幸子は頬を赤く染めて、照れている。


「はははっ……あっ、さっちゃん、雨宿りしてたんだよね」

「はい」

「じゃあ、この後、時間ある?」


 幸子の脳裏に蘇るサンドイッチの悪夢。


「サ、サンドイッチですか……?」


 ハッとして笑った駿。


「違う違う! もうランチの時間には遅いし……さっちゃん、お昼は食べた?」

「はい、今日はお昼を食べてから来ました」

「じゃあさぁ、オレのバイト先……正確にはバイト先じゃねぇけど……まぁ、そういうとこ行かない?」

「バイト先?」

「うん、今バイト中でちょっと買い物来てたんだ」


 よく見ると、手には傘と荷物の入ったビニール袋を持っている。


「どんなところなんですか?」

「う~ん、まぁ、飲食店と言えば飲食店だし、娯楽施設といえば娯楽施設」

「どんなところなんだろう……?」


 首をかしげた幸子。


「あ、あの、変なトコロじゃないから、それだけは安心して!」


 駿は笑顔で焦っている。


「まぁ、着くまでお楽しみということで!」


 そこまで誘ってくれるならと、幸子も乗り気になった。


「お言葉に甘えていいですか?」


 満面の笑顔になる駿。


「OK! じゃあ、行こうか!」

「はい」


 駿と一緒に駅の南口へ向かう。以前行ったカフェレストランのある方だ。

 相合い傘をしながら、そのカフェレストランの前を通過して、しばらく進み、一本奥の道へ。飲食店などが立ち並んでいる、いわゆる繁華街に出る。


「さっちゃん、この辺はあまりガラが良くないから、ひとりで来ちゃダメだよ」


 幸子は駿にくっついて、物珍しそうに繁華街をキョロキョロと見回した。


「ここ、ここ」


 そこは雑居ビル。地下へ階段が続いている。

 看板には[カフェ&ライブハウス BURN]と書かれていた。


「さっちゃん、こっちだよ」


 先に階段を降りている駿が、幸子を手招きする。

 壁中にライブの告知チラシが貼られた階段を降りていくと、大きな扉があった。


「扉に気をつけて」


 重そうな扉を開け、幸子を中に招き入れる駿。

 中に入ると、少し暗めの照明で、バーカウンター、いくつもの丸テーブル、そして明るめのライティングで照らされたステージがあった。ステージでは、バンドが楽器のセッティングをしているようだ。


「うわー」


 初めて見るその光景に、幸子はまるで異世界にいるように感じる。


「さっちゃん、ライブハウスは初めて?」

「はい、初めてです!」


 興奮気味に答えた幸子。


「そっか、何か喜んでくれているようで嬉しいよ」

「はい、何か興奮しちゃいますね!」


 顔を見合わせて笑い合う幸子と駿。

 駿は、幸子を丸テーブルのひとつに案内した。


「さっちゃん、何飲む? オレご馳走するよ」


 ソフトドリンクのメニューを見せる駿。


「何かいつもご馳走してもらってばかりですね……」

「気にしない、気にしない!」

「じゃあ、このメロンソーダいただけますか?」

「はいよ! ちょっと待ってね!」


 メニューを手にカウンターバーの中に入っていった駿。


(駿くんにご馳走できるほどお小遣いもらってないし……)


 駿にお返しをしたい幸子は、ふと思い付く。


(お弁当作ったら、食べてくれるかな……身の程知らずかな……)


 これだけ仲良くなっても、中々自信が持てない幸子。


「はい、お待たせ!」


 テーブルの上には、アイスクリームの浮かんだメロンソーダが出されている。チェリーもちょこんと乗っかっていた。いわゆるクリームソーダである。


「えー、駿くん! これ……」

「今日ムシムシして暑いからさ、アイス乗っけて、クリームソーダにしちゃった!」


 てへぺろっ、とおちゃらけた駿。


「すごく嬉しいです……! ありがとうございます!」

「いえいえ、さっちゃんのためなら……」


 バシンッ


「いってぇ!」


 後ろから頭をはたかれる駿。


「客の注文を勝手に変えるな! ボケッ!」


 駿は、はたかれた頭をさすっていた。


「いいじゃねぇか、減るもんじゃねぇし……」

「減るし、客の都合もあんだろうが!」



 高橋たかはし龍司りゅうじ

 駿の叔父(駿の父親の兄)。身長一八〇センチメートルでシュッとした体型。黒髪の短髪で、口周りに髭を蓄えている。ビシッしたスーツを着ており、パッと見はちょい悪オヤジ。



「叔父さん、この子、オレの同級生のさっちゃん。オレが連れてきたの!」

「えっ? お前の?」

「そう、オレの友達」

「あぁ、そういうことか。そうか、そうか。いやぁ、よく来たね!」


 席を立って挨拶する幸子。


「あ、あの、山田 幸子と申します。駿くんには、いつもお世話になっております。どうぞよろしくお願いいたします」


 ペコリと頭を下げた。


「おー、お前に似合わず真面目な子だね!」

「うっせー」

「私は、駿の叔父の 高橋 龍司 です。気軽に『オジサマ』って呼んでね。ほら、ほら、呼んで!」


 幸子は、少し引く。


「え……あの……おじさま……」

「あー! もうちょっと感情込めて『ステキなオジサマ』って、さぁ、ほら!」


 さらに引いた幸子。


「す、すてきな、おじさま……」

「んー、いいね、いいね!」

「おい! さっちゃんにセクハラやめろって!」


 駿を無視する龍司。


「さっちゃん、高一でしょ? お友達にさぁ、オジサン好きな女の子とかいない? ねぇ、いない?」


 幸子はドン引きした。


「さ、さぁ、私にはちょっと……」

「じゃあさ、じゃあさ、さっちゃんはどう? ねぇ、駿なんか放っといてオジサンとさぁ……」


 ガンッ


 頭を押さえてうずくまる龍司。


「お、お、お、お、お……」


 そこには丸い銀トレイを縦に持っている綺麗な女性がいた。


「綾さん、叔父さんの教育たのんますよー、もう」


 うずくまりながら、涙目で自分を殴った女性を見る龍司。


「綾……た、縦はダメだって……気楽に行こうよ……」

「駿のガールフレンドに手を出そうとするな!」


 龍司を足蹴にする女性。



 小峰こみねあや

 まもなく三十代。身長一六〇センチメートル、黒髪のシャギーショート、細身でセクシーな女性。十年近く前に龍司に連れられてこの店に来た。少々ワケ有りで、以来この店には住み込みで働いている。駿を子どもの頃から面倒見ており、駿も姉のように慕っている。



「駿、アンタがガールフレンド連れてくるなんて、初めてじゃないの?」

「亜由美を除くとそうだな」


 腰を少し曲げて目線を幸子に合わせた綾。


「こんにちは、私は 小峰 綾 って言います。綾って呼んでくれればいいからね」


 綾は、幸子にニコっと微笑む。


(わー、大人の女性だぁ……)


 少し怖気づく幸子。


「あの、山田 幸子と言います。駿くんと仲良くさせてもらっています。よろしくお願いいたします」


 ペコリと頭を下げた。


「さっちゃんだね、よろしく」


 改めて微笑む綾。


「可愛い子だね、駿。いい子見つけたじゃないの」


 綾は、駿と腕を組んで身体を寄せる。

 それを見て、心がキュッとした幸子。そして、モヤモヤする心。駿と綾の関係に「男女」を想像してイラついてしまう。

 そして、一気に沸き立った感情が溢れ出した。


「あ、あの!」


 大声を出した幸子に驚く駿と綾。


「あの、綾さんと駿くんは! あの、どういう関係、なんですか!」


 駿と綾は、幸子の大きな声にポカンとしてしまう。

 綾は、何かを察したかのように、駿から身体を離した。


「さっちゃん、安心して、駿とはそういう関係じゃないからね」


 うふふっ、と笑う綾。


「駿とはね……そうね、私は駿の姉みたいなものよ。駿を子どもの頃から見ているもの」


 駿も焦って口を挟んだ。


「そうだよ、さっちゃん。綾さんには子どもの頃からお世話になってるんだ。タッツンとか亜由美、太も綾さんのこと知ってるよ」

「そ、そうなんですか……」

「私が駿と腕組んだから、ヤキモチ焼いちゃったのよね」


 優しく微笑む綾。


(ヤキモチ……私、綾さんに嫉妬したの⁉)


 幸子の顔がみるみる真っ赤になっていった。


「あ、綾さんも、さっちゃんをからかわないでください!」


 綾はコロコロ笑っている。


 ふと何かを思い付いた綾。


「駿、さっちゃんにカッコイイところ見せたくない?」


 首をかしげる駿。


「ん? どういうこと?」


 綾は、顎でステージを指した。


「さっちゃんの前で、一曲やんなさいよ」


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