第21話 梅雨の週末 (2)

 綾は、顎でステージを指した。


「さっちゃんの前で、一曲やんなさいよ」

「えー!」


 驚く駿。


「今日はサイケデリック・ファンキー・バニーズの連中がいるから、リハーサルがてらベースで一曲やらせてもらいなさい」


 駿は、急な話に困惑した。


「ねぇ、バニーさんたち、ちょっと来て!」


 綾の掛け声で、ぞろぞろと集まるサイケデリック・ファンキー・バニーズのメンバーたち。大所帯のバンドだ。リーダーの男性ボーカリストであるバニーが一歩前に出る。


「何すか綾さん。おう、駿もおひさ」

「こんにちは」


 リーダーに頭を下げた駿。


「実はね、今日駿のガールフレンドが来てるのよ」


 メンバーの目が幸子に集まる。

 幸子は、思わず立ち上がって頭を下げた。


「へぇ~、駿、可愛い子じゃねぇか! なぁ!」


 ガヤガヤしだすバンドのメンバーたち。


「でね、ガールフレンドに駿のカッコイイとこ見せてやりたいと思ってね、リハーサルがてら、駿と一曲やってくれないかしら。駿、ベースやるから」

「おぉ、いいよ、いいよ、やろうよ。丁度準備も終わったし。何やる?」


 悩む駿。


「さっちゃん、普段どんな音楽聞く?」

「えーと、特別これっていうのは無くて、まぁ流行りの歌とか、かなぁ……」

「OK、了解……」


 駿はまた悩み始め、バニーに尋ねる。


「バニーさん、皆さんファンク系ですよね」

「そうだな、オリジナルの他はUKファンクとかアシッドジャズとかが多いな」


 む~ん、と悩む駿。


「駿、そしたらよぉ、スラップ中心のベースが目立つ曲がいいんじゃねぇか? お前イケんだろ?」

「イケると思いますけど……地味でいいッス」


 ハッ、と呆れるバンドのメンバーたち。

 駿と肩を組んで、ぐいっと引き寄せたバニー。


「そしたらよぉ、こんなのはどうだ?」


 バニーが、駿にボソボソっと耳打ちする。


「な、地味だろ? 曲も知ってるよな」


 怪訝な顔をした駿。


「あのドライブするベースをオレに弾けと……」

「お前のベースがグルーヴのカギだ」

「オレがミスると、全部ガタガタですよね?」

「そりゃそうだろ、お前のベースが俺たちを引っ張るんだから」


 ニヤッとするバニー。

 メンバーたちも察したのか、みんなニヤニヤしていた。


 サイケデリック・ファンキー・バニーズは、一般に知られたバンドではないが、メンバーそれぞれがスゴ腕のテクニックの持ち主であり、ファンクファンからは、知る人ぞ知るバンドとして知られている。実際の演奏を何度も見ている駿も、彼らの演奏テクニックが極めて高いレベルにあることを知っていた。

 リーダーが提案した曲のベースパートは、複雑な演奏テクニックは求められないものの、楽曲全体をベースが引っ張っていく、いわゆるドライブするベースの演奏が求められる。リズム隊の要であるドラムではなく、同じくリズム隊のベースに、他の楽器の演奏を合わせる、リーダーはそう言っているのだ。

 プロを引っ張るという事実に、駿はとてつもないプレッシャーを感じていた。


 悩んでいた駿が顔を上げる。


「バニーさん、やりましょう」


「OK!」


 バンドのメンバーたちと握手を交わした駿。


「決まったみたいね。さっちゃん、ステージ前のテーブルに移りましょう」


 ステージ前のテーブルに席を移る幸子。

 席についた幸子に綾がそっと耳打ちした。


「ベース弾いてる駿、すごくカッコイイからね。期待してて」


 幸子にウインクする綾。

 幸子は、ステージに目を向けた。バンドのメンバーたちが演奏の準備を進めている。

 倉庫からフェンダーのサンバーストカラーのジャズベースを持ち出してきた駿。ベースを抱え、今まで見たことのない真剣な表情をしている。


 準備を終え、そして、静寂。

 駿が叫ぶ。


「いくぜ!」


 観客は、幸子ただひとり。

 一発勝負のステージが幕開く。


 駿がベースの弦を指でかき鳴らし、曲がスタート。

 そこにドラムが乗っかり、ギターやキーボードが重なっていく。

 ホーン隊も参戦し、ファンキーでノリの良いサウンドが生み出される。

 この曲はインストなので、ボーカルはいない。

 ギターやキーボードのソロパートでは、派手ではない、聞かせるソロをバニーズのメンバーがブレやミス無く奏でていく。

 駿は、ただひたすらに同じフレーズを、同じリズムで、ベースをかき鳴らし続けていた。


 駿の演奏する姿に目が離せない幸子。

 バンドのメンバーは楽しそうに演奏しているが、駿にはその余裕が無いのが伺い知れた。駿は、この短時間に、汗びっしょりになっているのだ。


 各楽器の演奏が中断され、短いドラムソロが入る。曲の中間地点だ。

 汗まみれで、ふらふらっとする駿。

 幸子は思わず、ガタッと椅子から腰を上げた。

 そのままベースを構え直す駿。

 ドラムソロが終わるタイミングで、駿のベースが再開される。

 今度は、所々で違うフレーズを加えて演奏。

 汗を滴らせながら、歯を食いしばってベースを弾く駿。


(駿くん……カッコイイ……目が……駿くんから目が離せない……)


 幸子は、ステージの上の駿を見つめていた。


 やがて、演奏は最後の盛り上がりを見せ、ホーン隊の力強い音でフィニッシュ。

 四分半に渡る駿の戦いが終わる。


 バニーが叫んだ。


「イェー! 駿、よくやった!」


 バンドのメンバーたちが駿の元にやってくる。みんな楽しそうに笑いながら、駿をもみくちゃにした。駿も照れ笑いしながら、まんざらでは無い顔をしている。

 幸子は、ステージに向かって拍手をしながら、駿のカッコ良さと、初めて経験する生演奏の迫力に感動していた。

 駿と目が合う幸子。駿が幸子に軽く手を振る。

 笑顔と拍手で応える幸子に、駿は満足気な笑みを浮かべた。

 スッとステージ脇にはけていく駿。


 バンドのメンバーたちは、そのまま幸子の元へ集まってきた。

 綾もやってくる。


「バニーさん、どうもありがとう。駿はどうだったかしら?」


 リーダーが満足気な笑みを浮かべながら話した。


「合格だね、まったく問題ない。あれだけプレッシャーかけた中、よくあそこまでできるもんだと思ったね」

「あら、バニーさんたちに認められたなんて駿が聞いたら、きっと大喜びするわ」


 満足気に笑みを浮かべる綾。


「なぁ、俺たちどうだった⁉」


 幸子に尋ねたバニー。


「はい、すごくステキでした!」


 興奮冷めやらない様子の幸子。


「だろ、だろ! じゃあ、誰が一番カッコ良かった⁉」


 リーダーの言葉に、他のメンバーたちは……


「俺に決まってんだろ」「は? ボクだろ」「私に決まってるじゃない」


 ……好き勝手に言っていた。

 全員に注目される幸子。


「あ、あの……駿くん……」


 その言葉に、ニヤッと笑ったリーダー。


「え? 誰だって?」


 手を耳に当てて幸子に尋ねる。

 顔が赤くなった幸子。


「駿くんが……カッコ良かった……」

「え、何?」「聞こえませーん」「ねぇ、誰、誰?」


 幸子にイジワルするメンバーたち。


「駿くんが一番カッコ良かったです!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ幸子。

 バニーとメンバーたちがニマッと笑う。


「だってよ、良かったな、駿」


 幸子の後ろに視線を向けながら、リーダーが話した。

 えっ、と慌てて振り返る幸子。

 そこには、顔を真っ赤にして頭を掻いている駿が立っていた。


「…………!」


 幸子は、驚きのあまり、声が出ない。


「ありがとね、さっちゃん」


 真っ赤な顔で照れくさそうにお礼を言う駿。

 幸子は照れと混乱で、あわあわしていた。

 ふたりの様子を暖かく、にこやかに見守る綾とバニー、バンドのメンバーたち。


「バニーさん、ご協力ありがとうございました」


 綾が頭を下げた。


「いやいや、俺たちも楽しかったよ。駿、またやろうな!」


 右手を差し出し握手を求めるバニー。


「勉強になりました。またぜひよろしくお願いいたします」


 駿はバニーと握手をして、頭を下げた。

 にっこり笑いながら、駿の肩をバンバンッと叩くバニー。


「綾さん、楽屋借りるね。今夜のセットリスト、メンバーたちと考えなきゃなんで」

「ええ、今夜はバニーさんだけなんで、自由に使ってちょうだい」

「OK! おい、行くぞ!」


 リーダーの掛け声でぞろぞろとメンバーたちが引き上げる。


「じゃあな、駿」「じゃーねー」「チュッ(投げキッス)」


 頭を何度も下げながら、手を上げて見送った駿。


「じゃあ、駿。さっちゃんのお相手してなさいな」


 綾が幸子と同じテーブルの空いている椅子を引く。


「まだ掃除が……」

「今日はもういいわ、大丈夫だから。さっちゃん、ごゆっくり」


 幸子に微笑んだ綾は、そのままバーカウンターの奥に消えた。

 龍司も、バーカウンターの奥で、夜の営業の準備をしている。


 先程まであれだけ賑やかだったライブハウス。

 今は静寂につつまれ、幸子と駿、ふたりだけの空間になった。


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