第22話 梅雨の週末 (3)

 静寂に包まれ、幸子と駿、ふたりだけの空間になったライブハウス。

 幸子と同じテーブルの椅子に座る駿。


「ふ~」


 駿は、疲れた様子を見せていた。


「お疲れ様でした」

「さすがにプロと同じステージ立つのは緊張するよ」

「汗びっしょりでしたもんね」

「うん、Tシャツびしょびしょだったから、着替えてきた」


 幸子がよく見ると、確かにTシャツには、先程とは違うバンドが描かれている。


「あ~あ、ホントはもっとクールに、渋く決めたかったんだけどなぁ……やっぱ三枚目だな、オレは」


 たははっ、と苦笑いした駿。


「カッコ良かった!」


 うつむいた幸子が大声を出す。

 そして、蚊の鳴くような声で呟いた。


「カッコ良かった……駿くん……ホントに……すごくカッコ良かった……」


 下を向いたままの幸子。顔は真っ赤だ。

 それでも、幸子にとっては最大限の勇気を振り絞って出た言葉だった。


「さっちゃん、ありがとう。オレ、すっげぇ嬉しいよ!」


 顔を上げると、本当に嬉しそうな顔をした駿が見えた。

 幸子も、それに笑顔で応える。


「あっ、さっちゃん、ちょっと待っててね」


 席を立ち、バーカウンターの方へ向かった駿。

 バーカウンターの中でごそごそした後、何かを持って戻ってくる。


「はい、おやつ」


 ポテトチップスとチョコが入った木製のサラダボウルが、テーブルにコトリと置かれた。


「ま、また、叔父様に怒られちゃうんじゃ……」

「大丈夫、大丈夫。叔父さんも綾さんも、怒ったりしないよ」


 駿は、ニコッと笑う。


「なんか今日もたくさん気を使わせてしまって……」

「お菓子つまみながらお喋りしようよ、ね!」


(私なんかに、こんなに気を使ってくれて……嬉しいなぁ……)


「それでは、すみません。遠慮なくいただきますね」

「うん、食べて食べて!」


 おずおずと手を伸ばし、ポテトチップスをポリポリ食べる幸子。

 駿もチョコをパクッと口に含んだ。


「このライブハウスは、先程の叔父様のお店なんですか?」

「うん、そう、叔父さんのお店だよ」

「じゃあ、駿くんは叔父様のお店をお手伝いしているんですね」

「そうだね……というか、ここってオレの実家みたいなもんだから」

「実家?」

「あの龍司叔父さんって、オレの父親の兄貴にあたるんだけど、オレの育ての親なのよ。だから、恩返しじゃないけど、薄給でバイトしてます」


 駿は苦笑する。


「え?」


 驚いた表情をした幸子。


「オレ、両親が事故で早くに死んじまったんだけど、その時オレを引き取ってくれたのが、あの龍司叔父さんなんだ。で、このビルの上の階に住居があって、小学生の頃はそこで生活していて、だからここは実家って感じなんだよね」


 昔を懐かしむように、駿が続ける。


「このライブハウスも遊び場のひとつでさ、タッツンとよくここでかくれんぼとかして遊んでたな。あと、綾さんとは小学校に入るか入らないか位の時だったかな、この店に来て住み込みで働くようになって……だからやっぱりオレにとっては、頼りになる優しい姉ちゃん……って感じかな」

「そうだったんだ……ウチとちょっと似てるかも……」

「さっちゃんの家のこと?」

「はい、ウチも母ひとり子ひとりで、父は私が生まれる前に事故で亡くなりました。その後、父方の祖父母がとても優しい方で、母と私を家に受け入れてくれたんです」


 うつむき気味に幸子が続けた。


「私が小学生の時に祖父も祖母も亡くなったのですが、家と遺産を母と私に残してくれました。今住んでいる自宅がそうです。こうやって高校に通えるのも、毎日がんばって働いてくれている母と、祖父母の優しさのお陰なんです……」

「そうだったんだ……」


 駿は、うつむき加減で優しく微笑む幸子を見つめている。


「今の話聞いて思ったんだけど、さっちゃんが素敵な女の子である理由、分かった気がした」

「えっ」


 顔を上げて駿を見つめた幸子。


「とても優しいお爺ちゃんとお婆ちゃん、頑張り屋のお母さん、そんな素晴らしい家族からたくさんの愛情をもらって育ったからなんだね」


 駿の言葉に、思わず涙がポロリと零れる。


「家族を……家族を褒められると……こんなにも嬉しいものなんですね」


 目に涙をためながら微笑んだ幸子。


「あー、ほら、さっちゃん、もー」


 席を立ち、冷たいおしぼりを持ってくる駿。


「ありがとうございます……」

「また、うさぎさんになっちゃうぞ!」


 駿は、からかうように言った。


「うふふふ。駿くんは、うさぎさんがお嫌いですか?」


 おしぼりで涙を拭きながら笑う幸子。


「いいや、好きだよ……食べちゃいたい位にね!」


 駿は、がおー、とおちゃらけた。


「あははははは」


 楽しそうに笑う幸子。

 そんなふたりをバーカウンターの向こう側から優しい眼差しで見つめる龍司と綾。

 龍司と綾は顔を見合わせて幸せそうに笑い、自分の仕事へと戻っていった。


 ◇ ◇ ◇


「叔父様、綾さん、今日はありがとうございました」


 幸子は、龍司と綾に頭を下げた。


「いいよ、いいよ、またおいでね」


 笑顔の龍司。


「こ、今度は、おじさん好きなお友達を呼ん――」


 バインッ!


 綾の銀トレイが龍司の顔面を捉えた。

 思わずうずくまる龍司を蹴飛ばした綾。


「さっちゃん、またいつでもおいで」


 綾がウインクする。


「はい、綾さん、ありがとうございます」

「あれ~、俺らのステージ、見てってくんないの~」


 サイケデリック・ファンキー・バニーズのリーダーであるバニーもやってきた。


「申し訳ありません……あの……母が心配してしまうので……」


 申し訳なさそうに説明した幸子。


「あー、帰りが遅くなっちまうもんな。じゃあ、しょうがねぇか」

「次の機会にぜひ、楽しみにしています!」

「なーんだよ、女子高生から社交辞令言われちまったよ!」


 肩をすくめるバニー姿に、一緒にいたメンバーたちが大笑いする。


「じゃあ、さっちゃんを駅まで送ってくるんで」


 駿が綾に声をかけた。


「駿、よろしくね」


 駿の背中をポンポンと叩く綾。


「あ、あの、叔父様は大丈夫なんですか……?」


 顔を押さえて床にうずくまっていた龍司。

 そのまま手を少し伸ばして、震える手を小さく振っている。


「だ、大丈夫そうですね……」


 綾は呆れ顔だ。


「じゃあ、行こうか」

「はい」


 頭を下げる幸子に、手を振る綾とバニーたち。

 分厚く重い扉をくぐると、扉はゆっくりと音も無く閉まった。

 非日常から日常へと戻ってきたかのように感じる幸子。

 地下からの階段を上がると、雨はすっかり上がっていた。水たまりの点在する夕暮れ時の繁華街。居酒屋の点滅する電飾の明かりが、濡れた地面に反射して、駅へ向かうふたりを照らした。


 ◇ ◇ ◇


 ――戸神本町駅北口 バスターミナル


 帰りのバスを待つ幸子と駿。他にバスを待つ人はいない。

 ふたりの間に言葉は無いが、幸子も駿も、そんな空気がなぜか心地良かった。


 ブオオォォ キィー…… プシュー


 バスがやってきた。


 ビー ガラガラガラッ


『整理券をお取りください 整理券をお取りください 整理券を……』


「駿くん、今日もありがとうございました。すごく楽しかったです」


 バスの乗降口の前で頭を下げる幸子。


「また機会があったら、一緒に行こうね」

「はい、ぜひ誘ってください」


『整理券をお取りください 整理券をお取りください 整理券を……』


 時間が流れていく。


「駿くん!」


 意を決したような様相の幸子。

 駿は、驚いて幸子と目を合わせた。


「どうしたの?」

「駿くん、私のこと、素敵な女の子って、言ってくれましたよね」

「うん」


 笑顔で応える駿。


「私ね、私……」


『戸神ニュータウン経由、森の里公園行き、まもなく発車します』


 バスの外部スピーカーから、発車を告げるアナウンスが流れる。

 幸子は手をギュッと握り、そして、叫んだ。


「私……駿くんの方がもっともっと素敵だと思います!」


 振り向かずに、バスへ駆け乗る幸子。


 ビー ガラガラガラッ バンッ ブオオォォ……


 幸子を乗せて走り去ったバスが小さくなっていく。


「ありがとう、さっちゃん……」


 喜び微笑んだ駿。


「でもね……」


 その表情は、すぐに消える。


「オレは……オレにはそんなことを言ってもらう資格はないんだ……」


 空を見上げた駿。湿気った空気に、空に浮かぶ月が滲んでいる。


「そんな資格はないんだよ、さっちゃん……」


 駿は、悲痛な表情で、滲んだ月を見ていた。


 ◇ ◇ ◇


 ――走行中のバスの車内


 最後尾の一個手前の座席に幸子は座っていた。車内には幸子がひとりだけ。


(わぁー、言っちゃった、言っちゃった!)


 ひとり、座席で悶絶している幸子。


(学校で会ったら、いつも通り接してくれるかな……)

(口利いてくれなくなったら……イヤだな……)

(でも、いつも優しい言葉をかけてもらってるもの!)

(私から正直な思いを伝えたっておかしくないよね!)


 女子高生らしい乙女心である。


 <ちょっと勘違いし過ぎじゃないの?>


(!)


 幸子の目の前が、徐々に暗転していく。


 <ボツボツ女>


(ウソでしょ、ウソでしょ! しばらくなかったのに……!)


 <その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?>


(何で? どうして? どうして今なの……⁉)


 幸せな気分など許さないとばかりに<声>が頭の中に響く。


 <その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?>


(相手にされなくてもいい! 私が恋をしたっていいじゃないか!)


 <その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?>


(駿くんが私を嫌いでもいい! 私が駿くんを好きなのは自由じゃないか!)


 <アンタ見て勃つ男いないでしょ>


(そうかもしれない……でも、私はただ駿くんを好きでいたいだけだ!)


 <ボツボツ女>


(わかってるよ、そんなこと! 私が気持ち悪いのはわかってる!)


 <山田菌>


(やめて! お願い! もうやめて!)


 <山田菌が感染る>


(あ……ぁ……う……あ……)


 すべてを諦めようとする幸子。


『次は、戸神ニュータウンです。お降りの方はブザーでお知らせください』


 バスのアナウンスで、現実に引き戻される。

 息が荒い。ぎゅっと握っていた手は、汗でしっとりと濡れていた。

 窓の外に目をやると、バスは見知った道を走っている。

 幸子は、震える手で降車ボタンを押した。


 ぴーんぽーん


『次、止まります。バスが止まってから……』


 ◇ ◇ ◇


 ビー バタンッ ブオオォォ……


 バスを降りた幸子は、疲れ切った様子で立ち尽くしている。

 幸せだった気持ちと、自分を貶める<声>。幸子の頭の中はぐちゃぐちゃだった。


 ふと空を見上げる。月が滲んでいるのは涙のせいか。

 幸子は、光の消えた諦めの瞳で、滲んだ月を見ていた。


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