第71話 文化祭 (5)

 ――文化祭 二日目 十六時十五分


 ついにライブの幕が上がった。

 駿、達彦、亜由美、太、そして幸子がステージ上に姿を現すと、観客から拍手と歓声が上がる。


 駿は、ステージ上に置いておいたミッドナイトブルーのリッケンバッカーのベースを抱え、ステージ中央に立った。


 亜由美は、深みのあるワインレッドのストラトキャスターのギターを抱え、向かってステージ右側に立つ。キーボードは、その後方に設置されている。


 達彦は、木目のレスポールのギターを抱え、向かって左側に立った。


 太は、ステージ後方中央に設置されたパールのドラムキットの定位置に座っている。


 幸子は、ステージ後方右手のキーボードの隣にあるPCとスタンドマイクのあるところに立った。


 全員、特別な衣装は着ずに、学校の制服を着用している(亜由美と幸子は、念の為スカートの下にスパッツを着用)

 軽音楽部は、いかにもな衣装を着て演奏していたが、駿たちはイベントの性質だけでなく、軽音楽部と差を明確にするため、あえて制服での演奏を行うことにした。


 そして、駿がマイクで挨拶する。


「みなさん、こんにちは。音楽研究部と申します。今日は光栄なことに、この講堂最後のイベントを受け持たせていただくことになりました。ご来校いただいた皆様には、この講堂の最後の思い出として。そして、在校生の皆さんには、今年の文化祭の最高の思い出となるように、精一杯務めさせていただきます。三十分という短い時間ではありますが、ぜひ楽しんでいってください!」


 駿が頭を下げた。

 会場から拍手と歓声が上がる。


 駿は、二階通路で待機しているジュリアとココアに、手を挙げて合図を送る。

 会場の照明は、ステージに近いところがすべて消され、観客席は薄暗くなった。

 ステージ上の照明も落ち、赤い照明がステージを包んだ。


 ざわつく観客席。


 駿は、後方の幸子に目で合図を送る。

 幸子はPCのエンターキーを叩いた。



 いよいよライブが始まる。



 スピーカーから流れる車のイグニッションサウンド。

 野太いエキゾーストノートが響く。

 エンジンの回転数が上がる様と共に、ターボチャージャーによる吸気音が会場に響き渡った。


 キュイイイイィィィィー……


 消えゆく吸気音に被さるように、達彦と亜由美のギターのロック然としたリフがアンプとスピーカーから吐き出される。

 それに乗るようにドラムとベースのサウンドが重なっていった。

 すべての音が重なり、ステージの照明が灯る。


 一曲目は、三十年前に発表されたアメリカの人気ヘビーメタルバンドの疾走感のあるナンバーだ。

 そのノリの良いサウンドに、観客は大いに盛り上がる。

 ボーカルを取るのは、もちろん駿。オリジナルとは異なる太い声で歌っていく。


 そして、今回駿のアイデアとして、ステージ後方のスクリーンに、歌詞の和訳が映し出された。

 和訳は、駿とキララが自分たちなりに訳したものを表示させている。

 ステージ脇でキララがPCを操作し、歌の展開に合わせて、歌詞を表示させているのだ。


 曲がサビに入る。

 駿と観客の掛け合いが始まった。


「イェエー!」

『イェエー!』


「ウォーゥ!」

『ウォーゥ!』


 これはカラオケをヒントに、表示させた歌詞に観客が応えてほしい部分をカッコで囲んで表示させたため、はじめて聞く人でも一体感を持ってノルことができたのだ。

 また、掛け合いのところでは、客側の立場で幸子や亜由美、達彦が叫んでおり、それも観客がノリやすくなる要素のひとつになっていた。


 ステージ上では、亜由美が美しい金髪を振り乱しながら、ギターをかき鳴らしている。


 そして、達彦のギターソロ。

 オリジナルとは異なり、多少アレンジを加えたソロを奏でる。


 太のドラムのリズムもまったく乱れていない。


 最後まで観客との掛け合いが続き、一曲目が終了。

 観客から熱狂的な大きな歓声が上がる。

 年配の来校者の中にも、熱狂的に手を叩いて喜んでいる人がいた。

 若い頃、メタルキッズだったのかもしれない。


 観客はさらに増え、ライブ開始時、講堂の半分程度だった観客が、八割位にまで増え、現在も増えていっている。



 そしてステージの照明が変わり、濃いブルーに包まれる。

 MCは挟まず、二曲目に入った。


 亜由美はギターを置き、キーボードへ。


 幸子がPCを操作し、そしてエンターキーを押した。

 スピーカーから流れるSE。

 太のドラムを合図に、ステージの照明が灯り、二曲目の演奏が始まった。

 これも三十年近く前の日本のスカ・ロックバンドの曲だ。


 駿のスラップが唸る。

 そして、まるで叫ぶように歌う駿。


 駿は、オリジナルと同じようには歌えないと判断。

 自分なりの解釈で歌うことにした。


 達彦と幸子も、バッキングボーカルとして叫んでいる。

 ここでも客との掛け合いが発生するように、歌詞をスクリーンに映し出す。


 観客側には、小さいながらもモッシュピットが出来ていた。

 モッシュするような曲ではないが、一部の騒ぎたい、盛り上がりたい連中がやっているのだろう。


 達彦の短いギターソロを挟んで、曲の終盤へ。


 亜由美が全身でキーボードを弾いている。


 ラスト、駿がマイクに囁き、曲が終わった。

 観客から大きな歓声が上がる。

 二曲目も楽しんでもらえたようだ。


 観客は、ほぼ隙間もなく、満パンの状態。


 駿が短いMCを入れる。


「ありがとう。ここで少し空気を変えたいと思います」


 幸子は、四曲目以降に備え、一旦ステージ脇にはけていった。

 亜由美は椅子に腰を下ろす。


 講堂の照明がすべて落とされ、真っ暗に。

 そして、駿にスポットライトが当たる。


 亜由美は、キーボードをそっと弾き始めた。

 ピアノと同じ音がスピーカーから流れる。

 旋律に聞き覚えのある教員や来校者、在校生の音楽ファンから、うわぁ、という歓声が上がった。


 三曲目は、日本のカリスマロックシンガーの名バラード。


 駿にとって、この歌を歌うのは挑戦だった。

 オリジナルの真似をしようとしても絶対にできない。

 オリジナルを超えることも絶対にできない。

 だから、自分なりの解釈で歌うしかない。

 年配の方にとって、音楽ファンにとって、強い思い入れのある歌かもしれない。

 そんな歌を自分の解釈で歌い、受け入れてもらえるのか。ブーイングを浴びるのではないか。

 そんな大きなプレッシャーがかかっていた。

 幸子もそのことを知っている。


 だからこそ、駿は歌う。

 プレッシャーに負けない姿を幸子に見せて、勇気を与えたい。

 そんな想いも込めながら、歌い出す駿。


 観客は静まり返っていた。


 歌っている駿の顎や頬から流れ落ちる汗が、スポットライトに照らされて輝く。

 達彦の優しく、そして心を揺さぶられるギターソロ。


 駿は見た。

 すべての観客が真剣な眼差しで自分の歌を聴いてくれている。

 来校者だけではない、初めてこの曲を聞くであろう在校生の中にも、涙を流して聴いてくれている人がいた。


(受け入れてもらえた……!)


 そして、最後まで歌い切った。

 講堂を割れんばかりの拍手が包む。

 観客は、みんな笑顔だ。

 目が涙で濡れている人も大勢いた。

 駿は照れくさそうに手を挙げる。


(さっちゃんに勇気、与えられたかな……)


 ◇ ◇ ◇


(駿くんの歌、スゴい……この後、私が歌うのか……)


 駿の歌を聴き、駿がプレッシャーを跳ね除けたことに勇気をもらいつつも、幸子には違うプレッシャーがかかっていた。


 講堂の中の照明が再度すべて落ち、淡いブルーの光がステージを包む。

 駿は、ステージ向かって右手に移動した。


 幸子の出番だ。


(私だってやれる……いや、やるんだ!)


 意を決し、ステージに上がる。


 ステージ上にやってきた幸子を見て、駿は驚きの表情を浮かべた。

 幸子が、メイクをすべて落とし、髪型を元に戻していたからだ。

 メイクしてそばかすを隠した「私」は「私」ではないと幸子は考えたのだ。


 駿と目が合う。

 きっとそんな幸子の決意を察してくれたのだろう。駿は幸子に優しく微笑んだ。


 ステージ中央に立つ幸子。

 駿が中央から退き、さっきまで後ろで歌っていた小柄な女の子がマイクを握ったことに、観客がざわめいた。


 幸子は観客を見る。

 照明が落とされ、そこは闇の海だった。


(私はできる……絶対できる……!)


 曲をスタートさせようと、ジュリアとココアに合図を送ろうとした。

 その時だった。


 闇の海がゆっくりと持ち上がっていく。

 いや、観客たちに何ら動きがあったわけではなく、そもそもそんな風に動けるわけがないのだが、幸子にはそう見えたのだ。


 山のように盛り上がった闇の海は、幸子を指差し、嘲り笑っていた。


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