その後の物語 2 - 林将吾と宇都宮好香 (1)

※ご注意※


このエピソードは、非常にセンシティブなテーマ(児童虐待など)を扱っています。

お読みいただく際には十分ご注意ください。

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 夏の終わりを惜しむように鳴く蝉たち。

 そんな蝉の声に負けないくらい賑やかな声のする施設が、戸神ニュータウンの外れにあった。


『戸神なかよし児童センター』


 通称『なかよしセンター』だ。

 小さな子や小学生が遊べる遊戯室や図書室、年齢が高めの子どもたちが利用できる学習室を備えるなど、就学前の子から高校生まで、幅広い年齢層をカバーする児童厚生施設である。

 小学生の高学年以上の利用者は、二階・三階の学習室で勉強していることが多く、高校生のボランティアに勉強を教えてもらったりしていた。塾の代わりにここへ通う子どもたちもおり、昔で言うところの「鍵っ子」だけでなく、様々な子どもたちが集っている。


 そんな静かな二階・三階とは対象的に、外に響くほどとにかく賑やかなのが遊戯室のある一階だ。


「つみき! つぎはアスミのばんでしょ! かして!」

「まだボクがあそんでる! まだダメ!」

「オサムくん、ズルい!」

「ズルくないもん!」


 積み木を巡って、アスミちゃんとオサムくんのケンカが始まりそうだった。

 ふたりとも就学前の小さな子どもで、親が働きに出ている間、ここで遊んでいる『なかよしセンター』の常連さんだ。いつもは仲良しのふたりも、時折こういうことがある。周りの子ども達も、巻き込まれたくないのか、微妙に距離を取っていた。


「アスミちゃん、オサムくん」

「ケンカしちゃダメだぞぉ」


 ふたりの元にやってきた男女の高校生ボランティア。


「ショウゴおにいちゃん……だって……」

「コノカおねえちゃん、きいて! オサムくんがイジワルするの!」


 やってきた高校生ボランティアは、小学生の頃に幸子をイジメていたはやし将吾しょうごと、その彼女の宇都宮うつのみや好香このかだった。


 ひと月ほど前、夏祭りで出会った幸子にイジメを謝罪、赦しを得た後、その贖罪として臨床心理士、そしてスクールカウンセラーを目指しているが、その一環として定期的に『なかよしセンター』で子ども達の世話をするボランティアを好香とともに行っていた。


 膝をついて、オサムくんと目線を合わせる将吾。


「オサムくん、今日は朝からつみきで遊んでるよね。そろそろアスミちゃんの順番じゃない?」

「でも、もうちょっとあそびたいんだもん……」

「前にさ、アスミちゃんが遊んでたオモチャ、オサムくんが『かして』って言ったら、アスミちゃん『いいよ』って、すぐに貸してくれたよね?」

「うん……」

「オサムくん、その時どう思った?」

「うれしかった……」

「そうだよね。じゃあ、今のオサムくんみたいに『ダメ』って言われたら、どう思う?」

「かなしい……」

「うん、じゃあ、今オサムくんはアスミちゃんにどうしたらいいかな?」


 オサムくんはしゃがみ込み、散らかっていた積み木を箱に収めた。

 その箱をアスミちゃんに差し出すオサムくん。


「はい……」

「もういらない!」


 アスミちゃんは、ぷいっと顔を背けた。


「あ……」


 うなだれるオサムくん。

 そんなオサムくんに、好香が優しく微笑みながら語りかける。


「オサムくん、アスミちゃんは『イジワルされた』って思ってるよ。勇気を出して、言った方がいい言葉、あるよね?」


 オサムくんは頷いた。


「アスミちゃん……ごめんなさい……」


 その言葉を聞いてニコッと笑うアスミちゃん。


「うん! ゆるしてあげる!」

「ホント⁉」

「そうだ、いっしょにつみきであそぼ!」

「うん!」


 満面の笑みを浮かべながら、積み木を持って部屋の隅へ向かうオサムくんとアスミちゃん。


「好香、サポートありがとう」

「将吾こそお疲れ」


 笑顔を送り合い、お互いを労る将吾と好香。


「ふたりとも、いつもありがとうね」


 そんなふたりに声をかけた白髪で銀縁眼鏡をかけた初老の男性。


「館長さん、お邪魔しています」


 好香は頭を下げる。


「いつもこれ位スムーズにいくといいんですが……」


 苦笑いの将吾。


「いやいや、助かってるよ。子ども達もおふたりに懐いているし」

「だって将吾、いつも子ども達と一緒になって本気で遊んでるもんね」

「バッ、好香! そ、そういうことを館長に言うなよ!」


 館長と好香から笑い声が上がる。


「そうそう、シャワー室の工事が終わったから、その確認作業があるので、何かあったらシャワー室に来てね」

「はい、わかりました」

「やっとお湯の出るシャワーが使える……!」


 喜ぶ好香に微笑む館長。


「子ども達の相手をしていると汗かくからね。宇都宮(好香)さんは嬉しいでしょ?」

「はい! 汗臭いままバス乗るの、ちょっと抵抗があったので……」

「大丈夫だよ、好香からはいつもいい匂いしかしないから」


 将吾の言葉に顔を真っ赤にする好香。


「はい、はい、ご馳走様。オジサンはさっさと確認作業に行ってきます」


 ふふふっと笑って、去っていく館長。

 照れる好香に、頭をバシッと叩かれる将吾だった。


 ◇ ◇ ◇


 その後は、子ども達も仲良く遊んでおり、将吾と好香も仲間に入れてもらって、一緒に遊んだりしていた。


「ハンカチ落としとか、懐かしい遊びだけど楽しいね! ……将吾?」


 将吾は、遊戯室の部屋の隅でひとりポツンと座っている髪の長い女の子を見ていた。

 最近見かけるようになった子で、小学校に上がるか、上がらないか……それ位の歳の子だ。

 他の子ども達と一緒に遊ぶことはせず、お迎えは無く、閉館時間になるとひとりで帰っていくので、気になっていたのだ。


「将吾、あの女の子……」

「うん……ボクらの方から行ってみようか」

「そうだね、それがいいね」


 その女の子の元へ向かうふたり。


「こんにちは」


 どこを見ているわけでもなかったその女の子は、突然好香に声をかけられビクッとする。


「ボク、将吾。こっちのお姉ちゃんは好香。よろしくね」


 ニッコリ微笑む将吾の顔を、表情なく見つめる女の子。


「お名前教えてくれる?」


 好香の問いに、女の子はボソッと答えた。


「キリカ……」

「キリカちゃんか! 可愛い名前だね!」


 笑顔を浮かべる将吾。


 しかし、将吾と好香はこの時点で異常に気付いていた。

 臭いのだ。

 顔は汚れ、髪はベタベタで、明らかに風呂に入っていない。着ているTシャツやスカートも、よく見ると汚れている。遊戯室にいる子ども達も、それに気付いたので一緒に遊ぼうとしなかったのだ。


「ねぇ、キリカちゃん。お姉ちゃんとアワアワごっこして遊ぼうか!」

「アワアワごっこ……?」

「うん! 身体中アワアワにするの! シャボン玉とかも飛ばせるから楽しいよ~」


 一緒に入浴しようと、笑顔で語りかける好香。


「アワアワごっこ、楽しいぞ~! お姉ちゃんと遊んできな!」


 将吾も好香にあわせて、笑顔で誘導する。


「お、おかあさんにおこられない……?」


 キリカは、本気で怯えた様子だった。


「うん、大丈夫だよ。怒られないよ……」


 好香の言葉に、可愛らしい笑みを浮かべるキリカ。


「じゃあ、行こっか!」


 好香は、キリカと手をつないで、工事が終わったばかりのシャワー室へ向かっていった。

 この時、将吾と好香の頭にある言葉が浮かぶ。


『虐待』


 ――小一時間ほど経ち、キリカと好香が帰ってきた。


「キリカちゃん、楽しかったね!」

「うん! ぶくぶくあわあわで、すごくたのしかった!」


 すっかりキレイになったキリカは、子どもらしい無邪気な笑顔を浮かべた。

 下着や洋服は洗濯・乾燥中で、なかよしセンターに常備してある予備の下着と洋服を着ている。粗相してしまったり、汚してしまった子ども向けに、予備の衣類が常備してあるのだ。


「お洋服がキレイになるまで、お姉ちゃんたちと遊ぼう!」

「うん!」


 やがて閉館時間がやってくる。

 洗濯した衣類は、ビニール袋に入れて持ち帰らせることになった。


「ねぇ、お姉ちゃんたちがお家まで送ってあげるよ、ね!」


 にこやかに申し出た好香の言葉に、顔を強張らせるキリカ。


「お、おともだちをつれていくと、おかあさんにおこられるから……」


 キリカは、好香の申し出を断った。

 そして、そのまま足早になかよしセンターから出ていくキリカ。

 そんなキリカを見守るしかない将吾と好香。


「好香、館長のところに行こう……」

「うん……」


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