第146話 コーラスライン (7)

 ――勝負の発表会まであと一週間 放課後の音楽室


 ガチャッ


「あれ? 誰もいねぇし……」


 音楽室へ練習にやってきたジュリア。


「駿が先に出たから、からかって遊ぼうと思って、急いで来たのに……」


 ジュリアは、音楽室の奥へ向かう。

 防音の音楽室の中は、シーンとしている。


「練習すっか……あーしだけ置いてきぼりはイヤだもんね……」


 ひとりで発声練習を始めたジュリア。


「えーと、腹式呼吸で……口の中で声が響くように……あー、おー、あー……」


 ジュリアは、母音を何度も復唱する。


「ふー……倫子ちゃんがいねぇから上手くいってんだか、いってないんだか、よく分かんねぇけど、間違いなく声の通りは良くなったよな……」


 毎日、倫子からアドバイスを受けながら練習していたジュリア。いまや、ちゃん付けで呼べるほど、倫子と仲良くなっており、部員たちとの関係も良好だ。


「倫子ちゃんも『繰り返しが上達の近道』って言ってたし、来るまで発声練習しよっと」


 声を出そうと、息を吸い込んだ時――


 ガチャッ


 ――音楽室の重い扉が開いた。


「駿、おそーい……あれ?」


 そこにいたのは、軽音楽部の小太郎とメンバーたちの五人だった。


「小太郎、この子だ、この子! コーラス部に入った可愛いギャルって!」

「三人いたうちのひとりだぜ、この子」


 メンバーたちの言葉に、ジュリアを上から下まで舐めるように見る小太郎。


「だ、だれ……」


 ジュリアは、後ずさりする。

 ジュリアに近づいてきた小太郎たち。


「こんにちは。俺たち、軽音楽部。俺は部長の薄井(小太郎)です」


 小太郎は、ニッコリ笑い、ジュリアの警戒心を解こうとする。


「ねぇ、コーラス部なんて、つまんなくない? 俺たちと楽しもうよ!」

「け、結構です……」


 一学期に校内へ流された噂が元で、男性不信に陥ったジュリア。

 軽音楽部のメンバーたちに囲まれ、完全に怯えてしまっている。


「大丈夫だよ。怖いことないから。俺たち、みんな優しいから安心して!」


 怯えるジュリアを安心させようと、優しい言葉をかけた小太郎。


 しかし、ジュリアは見たことがあった。

 自分の身体を舐め回すように見る小太郎やメンバーたちの仕草を。


 ジュリアは見たことがあった。

 瞳の奥に欲望の鈍い光が光っている小太郎やメンバーたちの目を。


 それは噂を流され、その噂を鵜呑みにして、自分に声をかけてきた男子生徒たちとまったく同じだった。

 あの頃のことが、ジュリアの脳裏にフラッシュバックする。


 ――ねぇ、ねぇ、いくらでやらせてくれんの?

 ――そこのトイレでしてよ、五千円でいい?

 ――ダチ連れてくるから、3Pやらせて?

 ――そのおっきい胸でしてよ、減るもんじゃないし、いいだろ?

 ――俺の彼女、生NGなんで、金払うからやらせてくんない?


 ジュリアの尊厳を無視した言葉の数々に、ジュリアの心は深く傷付き、その傷はいまだ癒えていない。男性不信はその現れだった。

 そして今、軽音楽部が集団で、その当時の男子と同じ仕草と目で、逃げ場のない状況の中、自分に迫っているのである。


「い、いや……駿……駿……助けて……駿……」


 全身をガクガク震わせながら、その場にいない駿へ助けを求め始めたジュリア。

 そんなジュリアの様子に、さすがの小太郎たちも異変を感じる。


「キミ、大丈夫……?」


 メンバーのひとりが、他意無くジュリアの肩に触れた。


「イヤァーッ!」


 絶叫したジュリア。

 小太郎たちは突然のことに驚く。


「駿! 駿ーっ! 駿ーっ!」


 ジュリアは、完全にパニックを起こしていた。

 パニック状態に陥ったジュリアはその場にしゃがみ込み、背中を丸めて小さく縮こまり、涙を流しながらただひたすらに駿の名前を叫び続ける。


「お、おい、小太郎、どうする……? この子、ヤバイぞ……」

「どうするったって……」


 小太郎たちもどうしたら良いのか困惑していた。


 ガチャッ


 扉の開く音に、小太郎たちが目を向けると、駿と倫子がいた。

 ジュリアの叫び声に気がつく駿。

 小太郎は、慌てて駿を呼んだ。


「た、高橋(駿)! 早く来てくれ!」


 軽音楽部とジュリアの元に走り寄る駿と倫子。


「ジュリア!」

「駿! 駿!」


 赤ん坊のように、床に座り込んだまま、必死で両腕を駿に伸ばすジュリア。

 そんなジュリアを抱きしめた駿。


「もう大丈夫だ! 大丈夫だからな、ジュリア!」

「駿……駿……」


 駿に必死でしがみつくジュリア。

 息が荒く、全身が震えていた。


 状況が理解できない倫子は、ひとりオロオロしている。

 駿は、小太郎に顔を向けた。


「何があった……」


 静かな怒りを湛える駿の瞳に、思わずおののく小太郎。


「じ、実は……」


 小太郎は、事のあらましを説明した。


「ホ、ホントに、変な気持ちで肩を触ったんじゃないんだ! し、信じてくれ!」


 ビビりながら言い訳する軽音楽部のメンバー。


「わかった……」


 小太郎たちは、駿の一言にホッとした様子だ。


「だがな……ジュリアにちょっかい出そうとしたことは事実だ……」


 ビクッとする小太郎たち。

 駿は、立ち上がって小太郎たちと対峙した。

 こてんぱんにやられたことを思い出し、ビビる小太郎たち。


「いいか、音楽研究部とコーラス部の女の子らには、絶対に手を出すな。絶対にだ」

「わ、わかった」


 駿の声のトーンが一段落ちる。


「二度目はねぇぞ」


 何度も頷く小太郎たち。


「き、今日は終わりだ! は、早く帰るぞ!」


 小太郎は音楽室から立ち去ろうと、足早に扉へ向かった。


「こ、小太郎、待てって!」


 メンバーたちもそれを追いかけていく。


 ガチャッ ドカッ


「わっ! いたたた……びっくりしました……」

「なんだ、あのチャラいヤツらは……」

「ぶつかったら、ゴメンナサイくらい言え~」


 入れ違いに、幸子、キララ、ココアがやってきた。


「みんな! 手を貸してくれ!」


 駿の大きな声に、何事かと足早に駆け寄る。

 そこには床に座り込み、倫子に背中を擦られているジュリアがいた。


「ジュリア!」

「ジュリアちゃん!」


 キララとココアは、座り込んでいるジュリアの肩を抱いた。


「ジュリアさん……」


 そして、ジュリアの手をそっと握る幸子。


「キララ……ココア……さっちゃん……うっ……ううぅぅぅ……」


 ジュリアは、安堵から嗚咽をもらした。


「キララ、今日はこのままジュリアを送っていってくれるか」

「うん、わかった」

「ココアも一緒に行って、ジュリアのそばにいてやってくれ」

「わかった!」


 キララとココアの手を借りて、何とか立ち上がるジュリア。

 そこには、いつもの元気で明るいジュリアの姿はなかった。

 そして、ふたりに連れられてヨロヨロと歩きながら、音楽室を後にしていく。


 ガチャッ バタン


「倫子先輩……」

「うん……」

「助っ人は無しにさせてください……」

「そうね……仕方ないと思うわ……」


 悔しそうな駿の背中に手をかけた倫子。


「駿くん……」

「ごめんな、さっちゃん……ジュリアを守ってやれなかったよ……」


 幸子は、首を左右に振る。


「それは違いますよ、駿くん」

「えっ……」

「駿くんがいなければ、もっと酷いことになっていたかもしれません……だから、そんな悲しそうな顔をしないでください……私まで……」


 駿の手を握る幸子。


「さっちゃん……倫子先輩……そうだな、オレがしょぼくれてたらダメだよな。ふたりとも、ありがとう」


 ガチャッ


 その後、続々と集まってくる部員たち。

 そして、駿が全員を集めた。


「みんな、残念なお知らせがある――」


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