ほんの少し前の物語 - 中澤亜由美 (2)

 ――クリスマスイブ 午後3時 『カラオケ万歳』


 〜♪


 クラスのモテ男・川口と、その取り巻きたちとのコンパライクな地獄のカラオケは続いていた。


 テーブル越しに軽く身を乗り出してくる取り巻き女子のひとり。


「ねぇねぇ、中澤(亜由美)さん」

「ん?」

「隣のクラスの高橋(駿)くんって、中澤さんの奴隷なのぉ?」

「へ?」


 駿が私の奴隷? 太じゃなくて? どういうこと?

 取り巻き女子がニヤニヤしながら続ける。


「よくカバン持たせたり、スイーツ買ってこさせたり、あとバス乗るときに手を差し出させたりしてるよねぇ。アレ、やり過ぎだよぉ〜」


 川口の方をチラチラ見ながら話す取り巻き女子。

 なるほど、私の印象を悪くしたいということね。よく見てるわ、コイツら。


「ははは、そうだね」


 適当に笑って誤魔化そうとする。


「高橋くんもプライドないのかなぁ〜、ねぇ〜」


 笑って頷く川口や他の取り巻きたち。


「…………」


 駿を馬鹿にされ、私の顔から笑顔が消える。

 全員ぶち殺してやろうかと本気で思った。


 コイツらは、駿の優しさをまったく理解していない。


 ◇ ◇ ◇


「ほら、亜由美。カバン寄越せ」


 私に手を差し出す駿。


「え?」

「いいから。早く寄越せ」

「うん……」


 駿は笑顔で私からカバンを受け取った。


 ◇ ◇ ◇


「亜由美、新しいコンビニスイーツ見つけたんだよ!」

「へぇー」

「保健室の冷蔵庫借りてるからさ、後で食べに行こうぜ!」

「うん」

「あっ、さっちゃんの分もあるからね!」

「ホントですか⁉」

「ギャル軍団には内緒な……」


 笑顔で頷く幸子……だったが、苦笑いに変わる。


「何をあーしたちへ内緒にするって……?」


 駿の後ろにはジュリアがいた。


 ◇ ◇ ◇


「ジャーン」


 駿が差し出してきたのは、使い捨ての低温タイプのカイロ。

 季節は夏だ。


「この季節でも売ってるドラッグストア、見つけたんだよ!」

「そうなんだ」

「はい、亜由美にあげるよ」

「ありがと……」


 カイロをもらう私を見て、駿は嬉しそうに笑った。


 ◇ ◇ ◇


 バスがやってきた。


 キイィィ プシュー ビー ガラガラガラ


「?」


 いつもなら私が先に乗るのに、駿が先に乗り込んだ。

 そして――


「はい」


 ――バスのステップの上から、駿は手を差し伸べてくれた。


「ありがとう……」


 その手を取る私。

 駿は優しく微笑んでいた。


 ◇ ◇ ◇


 女の子の日。

 駿は、私が重いことに気付いてから、いつも気にかけてくれている。

 辛いのは表情や態度へ出さないようにしているつもりなのだが、駿は気がついてくれるのだ。


 カバンを持ってくれる。

 甘いものを買ってきてくれる。

 お腹を温めるためのカイロをくれる。

 バスの乗降時に手を差し出してくれる。


 他にもたくさん気を使ってくれている。

 それも周りにそれと分からないように。


 毎月憂鬱だけど、駿の優しさを独り占めできている気がして、そんな辛い気分も随分薄らいでいるのだ。


 ◇ ◇ ◇


 駿を嘲笑うコイツらを見て、大暴れしてやろうかと思ったが、駿ならこう言うだろう。


『言わせとけ。気にすんな』


 駿の笑顔が脳裏に浮かんだ。


「あ、ゴメン、ちょっとお手洗い」


 笑顔で席を立ち、部屋を出る。

 部屋を出た瞬間、笑顔は消えた。

 フロアの端にあるお手洗いを素通りし、正面にある外へ通じる非常階段へ。


 ガチャリ


 扉を閉め切らないように気をつける。

 ここは外から開かない仕組みだからだ。


(ふ〜……)


 冬の冷たい空気で深呼吸して、苛立った心を落ち着かせる。


(ちょっと頭を冷やそう……)


 階段に腰掛ける私。


(駿のイメージダウンになってるなぁ……一度レディースクリニックに行ってみようかな……さっちゃんのこともあるから、いつまでも頼ってられないし……)


 心がチクリとする。


(駿との接点が少なくなるのも……寂しいなぁ……)


 私は膝を抱えた。


(諦めたくせに……私、最低だ……)


 コンパのようなイベントに参加しても、頭に浮かんだり、比較してしまうのは、駿だった。

 はぁ、とため息ひとつ。


(戻るか……適当なところで帰ろ……)


 キィィ パタン


 非常階段の扉から屋内に戻る。


「中澤さん、中澤さん」


 部屋への廊下を歩いていると、別の部屋から声をかけられた。

 利用されていない部屋から川口が呼んでいる。

 手招きする川口に誘われて、部屋の中に入った。


 バタン


 防音の部屋の中はシーンとしている。


「何?」


 私は笑顔で受け答えた。


「ゴメンね、急に。中澤さんって、付き合っている彼氏とかっている?」


 嫌な展開になってきたなぁ、と面倒クセェメーターが跳ね上がる。


「別にいないけど……」


 弾ける笑顔を浮かべる川口。


「あの……僕とかって、どうかな……」


 面倒クセェメーターがレッドゾーンに振り切れる。


「あぁー……気持ちは嬉しいんだけど……」


 私は愛想笑いを浮かべた。


 トン


 川口は、壁沿いにいた私の顔の横に手を置いた。

 いわゆる、壁ドンだ。

 川口の顔が目の前にある。多分、これが川口の必殺技なのだろう。


 壁ドンされた私は思っていた。


(この距離だったら、顔面に頭突きか、顎へアッパー気味に掌底ぶち込めば何とかなるな……迫ってきたら、膝の屈伸利用して顎に下から頭突きかましたろ)


 色気もへったくれもない、やっぱり私は武闘派だな、と内心苦笑する。


「中澤さんは、やっぱり高橋(駿)が好きなの?」


 その言葉にドキッとする。


「川口くんには関係ないでしょ」

「関係なくはないよ、こうして中澤さんに告白してるわけだし」

「それは今お断りしたじゃない」

「高橋が好きなのは、あの小柄な子じゃないの?」

「そうかもね」

「だったら、新しい恋を探した方がいいんじゃない?」

「はぁ?」

「いつまでも報われない恋をしていたって、中澤さんが傷付くだけだよ」


 優しく微笑む川口。


(コイツ、何言ってんだ……? 本気で苛ついてきた……)


 人の心に土足で踏み込んでくる川口に苛つく私。


「私がどんな恋をしようと、あなたには関係ない」


 川口は、フッと笑った。


「高橋、見る目ないよね。中澤さんみたいな可愛い子を捨ててさ」


 駿に捨てられてなんていない。

 私の怒りのイグニッションスイッチに明かりが灯った。

 スイッチには『STANDBY』の文字が浮かんでいる。


「僕は、高橋みたいに中澤さんを悲しませるようなことはしないよ」


 駿に感謝こそすれ、悲しまされたことなどない。

 スイッチに浮かぶ文字が『READY』に切り替わる。


「高橋が好きな子、見たよ。その……言っちゃ悪いけど……あんな気味の悪い子のどこがいいのか……」


 苦笑する川口。


 私は、ためらいなくスイッチを押した。


「ねぇ、川口くん」

「何だい?」

「仮に、私と川口くんが付き合い始めたとしようか」

「うん! 楽しもうよ!」


 例え話に大喜びする川口へ呆れ顔をする私。


「仮に、の話だから」

「うん、うん!」

「でさぁ、私の顔が変わったらどうする?」

「え?」

「じゃあ、具体的に言おうか。私の顔が川口くんの言う『気味の悪い』そばかすだらけになったらどうする?」

「どうするって……」

「リアルに考えてみて」

「…………」


 川口はすぐに答えを出せなかった。


「な、何もないよ! これまで通り中澤さんを――」

「捨てるでしょ」


 川口の言葉に被せるように吐き捨てる私。


「え、いや……」

「即答できない時点でアウトじゃない?」

「…………」

「外見だけで彼女選ぶんだったら、それでもいいって女を選んで」

「ぼ、僕はそんなつもり……」

「だって私、川口くんとほとんど話したことないよね」

「僕は、いつも中澤さんを見て……」

「私がその『気味の悪い小柄な子』と仲が良いのも知らないでしょ?」

「え……」

「私、薄っぺらい男、嫌いなの」


 何も言えない川口。


「ねぇ、手ぇどかしてくんない」

「い、いや、ちょっと待って」


 川口は壁ドンをやめようとしない。


(んだ、面倒クセェ野郎だな……)


 私は川口の腕をくぐって、そのまま部屋を出ようとする。


「な、中澤さん……!」

「あ、そうそう」


 振り向いた私。


「駿やさっちゃんの上っ面だけ見て、嘲笑うのはやめてね」

「いや、僕は別に……」


 私は川口を睨みつけた。


「今度同じことしてみろ、テメェら全員ただじゃおかねぇぞ」

「…………」

「私はやるって言ったらやるからな。中学時代の私を知っているヤツに聞いてごらん」


 部屋の扉のノブに手をかける。


「好きな子のいる男を追い掛けて! そんなの時間の無駄だ!」


 川口が叫んだ。

 振り返らずに、私は答える。


「そうであっても、オマエは選ばない」


 ガチャリ バタン


 廊下に出て、元いた部屋へ向かう。


(追い掛けて、か……もう私は単なる傍観者だよ……)


 私は部屋に戻った後、用事ができたと、その場をすぐに去った。

 取り巻き女子たちは喜んでいたので、まぁ、これでいいだろう。


 太に言われて来てみたものの……楽しもうとしない私がいけないんだろうな……

 私はひとり、駅前のバスターミナルに向かっていった。


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