第4話 昼休み (2)

「いただきまーす」


 教室の隅、一番後ろの一番窓側で机をいくつかくっつけて、駿、亜由美、達彦、太、そして幸子の五人がお弁当を広げ、昼食を取っている。


「駿、最近体調の方はどうだ」


 達彦が駿に話しかけた。


「あぁ、まぁボチボチだな……」


 駿の答えに、何かを察する達彦。


「ん、そうか……まぁ、慌てなさんな」

「タッツンさぁ、駿の体調をよく気遣ってるよねぇ」


 亜由美がツッコミを入れた。


「駿、病気か何かしてんの? 怪我してるとか?」

「いや、そんなことないよ。健康だよ。これはタッツンの挨拶みたいなもんだな」

「挨拶ねぇ……何か古女房的な感じ?」


 ケラケラ笑う亜由美。


「こんな無愛想な女房はいらねぇよ」


 駿も笑った。


「ほー、こんなに優しい俺様を無碍にするのか。わかった。もう駿にいいネタは回さん」


 ふふんと挑戦的な達彦。


「マジすいません。今後ともよろしくお願いいたします」


 駿は瞬時に平伏した。


「いいネタって何よ?」


 亜由美のツッコミに目をそらす駿。


「あぁ、大体分かったわ。エッチなヤツのことね」


 亜由美は、フンッと呆れた顔で駿を見た。


「ば、ちげぇって!」


 慌てふためく駿に、達彦が暴露する。


「こないだ駿に貸してやったヤツ、タイトルは確か『人妻の昼下がり……』」

「待て待て待て待て! それ以上言うな!」


 顔を真っ赤にして慌てた駿。


「お前らさぁ、今日は山田さんがいるのを忘れてねぇか?」


 亜由美がニヤニヤしながら答える。


「だからそういう話をしてるんでしょう? さっちゃんに駿の正体を早く知ってもらわないとね」


 達彦もそれに乗っかった。


「そうだな、完璧超人とか言われて、本人と違うイメージが先行してるからな。まずは身近な人から駿の認識を変えねぇと」

「お、お前ら……」


 箸を持つ手がぷるぷる震えている駿。


「さっちゃんだって、エッチで下品なやらしいヤツ見て、ヨダレ垂らしながら喜んでる不潔な男は嫌だよねぇ」


 亜由美は、ニヤニヤして駿をチラチラ見ながら幸子に迫った。


(な、何て言えばいいんだろう……高橋くんをフォローした方がいいよね……)


「あ、あの、男の子には、色々あって、その、そういうのが必要だって、あの、理解しています。だから、あの、その……」


 顔を真っ赤にしながら幸子が口にしたセリフに――


「だーっはっはっはっは! 駿、お前さっちゃんにこんなフォローしてもらってどうすんだよ! さっちゃん、ナイス返し!」


 ――達彦は、机を叩いて大笑いしていた。


「あはははは、さっちゃん、いいわぁ~、面白すぎる!」


 亜由美もお腹を抱えて笑っている。

 当の駿はというと、顔を真っ赤にして、恥ずかしそうな表情を浮かべていた。よく見ると、ちょっと涙目だった。


(セ、セリフの選択、間違ったかな……高橋くん、ゴメンナサイ……)


「男に理解のある女の子で良かったじゃない、駿」


 クククッと笑いながら駿をからかう亜由美。


「さっちゃんはホントにいい子だねぇ~、もう!」


 亜由美は、幸子を抱き寄せて頭を撫でた。

 緊張で固まる幸子。


「ねぇ、姉御」


 太が亜由美に声を掛けた。


「ん、何?」

「その唐揚げ、もらっていい?」


 太は、亜由美の弁当に入っている唐揚げを指差す。


「お前はブレねぇな! 勝手に食えよ!」

「サンキュー」


 太は、どこまでもマイペースだった。


「あの、ところで皆さんはどういうつながりでお友達になったんですか?」


 幸子は気になっていたことを聞いてみた。


「元々オレとタッツンが幼馴染みで、小さい頃から一緒だったんだ」


 駿が答えていく。


「で、小学校に入って、四年の時だっけ?」


 亜由美の顔を見る駿。


「クラス替えのタイミングだから五年でしょ! 忘れたの?」

「そうそう、五年の時に亜由美と同じクラスになったんだよな」


 うんうんと頷いた亜由美。


「その後、中学の時に太と友達になって、今に至る……って感じかな」


 幼馴染みもおらず、友達も少なかった幸子は羨望の目を向ける。


「じゃあ、皆さん長い付き合いなんですね。いいなぁ……」

「そうだね、腐れ縁かもしれないけど」


 駿は照れくさそうに笑った。


「長い付き合いのあるお友達、とても羨ましいです……」


 自分の気持ちを率直に話す幸子。


「何言ってんのよ、さっちゃん」


 亜由美は優しい笑みを浮かべながら、幸子を見ていた。

 駿がそれに続く。


「そうだよ、だってこれから、さっちゃんは『高校時代からの長い付き合い』になるんだからさ」


 幸子に微笑んだ駿。


(やだ、泣いちゃいそう……)


 幸子は、決壊しそうな涙腺を必死にこらえている。


(出会って間もない私に、こんな優しい言葉をかけてくれるなんて……)


 嬉しさでいっぱいになった幸子の心。

 しかし、少しだけ、ほんの少しだけ。幸子の心の隙間に疑念が湧いた。


(陽キャな人たちのただの気まぐれなのかな……)


 その瞬間。


 <その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?>

 <気持ち悪ぃんだよ>


 幸子の頭に<声>が響く。

 思わずうつむき、目をつぶる幸子。


(お願い、裏切られてもいい、少しだけでいいから夢を見させて、お願い……)


 <山田菌が感染る>

 <気持ち悪ぃんだよ>


(わかってる! わかってるから! お願い、お願い……)


「…………さん! 山田さん!」


 駿の声で我に返る幸子。


「大丈夫? 何か突然目をつぶって、下向ちゃったから……」


 幸子が周りを見渡すと、四人が心配そうに顔を覗き込んでいた。


「ご、ごめんなさい。ちょっと急に気分が悪くなって……」

「保健室行こうか? 私、一緒に行くから」


 心配そうに声を掛ける亜由美。


「ううん、大丈夫です。大丈夫ですから……」


 幸子は、気丈に答えた。


「大丈夫ならいいけど、絶対無理しちゃダメだからね! 辛いときは休む! これ大事!」

「はい、亜由美さん、ありがとうございます……」


 少し落ち着きを取り戻したようなので、ホッとする亜由美。


「ところでさぁ」


 亜由美は駿をジトッと見た。


「何でアンタだけいつまでも『山田さん』呼びなの?」


 ハッとする駿。


「あー、何かタイミングが……」


 亜由美は首を左右に振った。


「寂しい! それは寂しすぎる! 最初に知り合ったアンタが他人行儀でどうすんのよ!」


 駿の胸を手でトントンと突く亜由美。


「確かに……」

「あ~ぁ、さっちゃん可哀想だなぁ。さっちゃんが気分悪くなったのも、アンタがいつまでも他人行儀だからじゃないの? あ~ぁ、さっちゃん可哀想。ひどい男だよ、ホントに」


 亜由美は、ジトッとした目をしながら駿を責めた。


「そうだ、そうだぁ、さっちゃんが可哀想だぁ」


 亜由美を援護する太。

 達彦は、それを見ながらニヤニヤ笑っていた。


「わかったって! そんなにオレを責めるなよ……」


 幸子の方へ向き直す駿。


「えーと……山田さん、オレも『さっちゃん』って呼んでいい……?」


「はい、もちろんです」


 幸子の答えにホッとする駿。


「そしたら、オレのことも『駿』でいいからね」


 幸子は少し照れながら駿の名前を口にした。


「はい、あの……駿くん……よろしくお願いいたします……」


 その幸子の顔を見た亜由美が興奮する。


「さっちゃん、笑顔が超カワイイ!」


 幸子自身は意識していなかったが、どうやら笑顔で駿とやり取りしていたらしい。


「うん、いいね、笑顔! やだ、もう~、さっちゃん、カワイイ~」


 またまた幸子を抱きしめる亜由美。

 幸子は固まった。


「すっかり亜由美お気に入りのぬいぐるみだな」


 フッと笑う達彦。


「姉御」

「なによ、今いいとこなのに!」


 幸子を抱きしめながら、話し掛けてきた太をキッと睨んだ。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまって、何が……あーっ!」


 自分の弁当箱を見て、驚愕する亜由美。


「てめぇ! 唐揚げ全部食いやがったな!」

「いや、勝手に食っていいって、姉御が……」

「だからって、全部食うヤツがあるかよ!」

「まぁまぁ、姉御、唐揚げくらいで……」

「お前が言っていいセリフか! 私のおかず、ブロッコリーしかねぇぞ! これで米食えってか! どうしてくれんだよ!」


 太の胸ぐらをギュウっとつかんだ亜由美。

 達彦は、幸子に告げ口するように話す。


「さっちゃん、さっちゃん。亜由美は、さっちゃんより唐揚げの方が大事らしいぜ」

「えっ! いや、そうじゃなくて、ち、違うのよ、さっちゃん!」


 慌てふためいた亜由美。

 駿と達彦は、それを見て大笑いしている。


「あ、あの、亜由美さん。よろしければ、私の肉巻き野菜食べませんか? 母の手作りで美味しいですよ」


 自分の弁当箱を差し出した幸子。


「や~さ~し~なぁ、さっちゃんは! ありがとう! 遠慮なくいただきます!」


 亜由美は、半泣きで幸子からおかずを分けてもらう。

 そして、男衆三人をキッと睨んだ。


「アンタたち、覚えてなさいよ!」


 凄んだ亜由美。

 三人はケラケラ笑っている。


「さっちゃん」


 駿が幸子に声を掛けた。


「明日もみんなでご飯食べようね」


 突然の申し出に、一瞬戸惑った幸子。


「ぜひよろしくお願いいたします」


 しかし、前向きな気持ちを忘れないように笑顔で答えた。

 亜由美も、達彦も、太も、笑顔で幸子を見つめている。


 ◇ ◇ ◇


「さて、午後の授業が始まりますね。姉御、そろそろ戻りましょうか。さっちゃん、また明日ね」

「そうね、戻った方がいいかな。じゃあ、さっちゃん、また明日!」


 席を立ち上がる亜由美と太。


「はい、亜由美さん、太くん、また明日よろしくお願いいたします」


 幸子も立ち上がり、頭をペコリと下げた。


「さっちゃん、固いなぁ~」


 笑いながら手を振り、去ってゆく亜由美と太。


「オレらも机を元に戻さないと、席のヤツらが戻ってきちゃうな」


 慌てて三人で、くっつけていた机を元の位置に戻した。


「じゃあ、午後の授業も頑張りますか!」

「あの、たかは……駿くん」

「ん、どしたの?」

「今日は、声を掛けてくださって、ありがとうございました」


 にっこり笑って駿は答える。


「気楽にいこうよ、ね」


 駿は、幸子の肩をポンポンッと叩く。


「タッツンさんも、受け入れてくれて、ありがとうございました」


 達彦は、照れくさそうに口を開いた。


「ばーか、そういうんじゃねぇだろ。さっちゃん、楽しくやろうぜ」


 ふたりに笑顔で頭を下げて、自分の席に戻る幸子。


 ――山田さんって、あのグループと仲がいいんだね、意外だわ。

 ――あの子と仲良くなったら、中澤さんと仲良くなれるかなぁ?

 ――何であんなチビブスが高橋くんたちと一緒にいるの! ムカつく!


 幸子は、駿たちが自分を「友達」としてくれたことに心の平穏を感じた。そこに周囲の声など些細なことだった。


(楽しかったなぁ……夢のような時間だったな……)


 そして、明日も一緒にお昼が食べられる。その事実だけで、幸子は幸せになった。

 しかし、前向きになろうとしている幸子も、その幸せがどうしても現実のものであると受け止め切れなかった。


(夢のような時間……そう夢なんだ、これは。夢はいつか覚める。大丈夫、わかってる)


 そして、<声>が響く。


 <気持ち悪ぃんだよ>


(夢なのはわかってる……わかってるから……もう少しだけこの夢を見させて……お願い……)


 <気持ち悪ぃんだよ>

 <気持ち悪ぃんだよ>

 <気持ち悪ぃんだよ>

 <気持ち悪ぃんだよ>

 <気持ち悪ぃんだよ>


 自分の席で下を向いてギュッと目をつぶる幸子。

 頭の中で響く<声>が止むことはなかった。


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