第137話 帰省先の少女 (1)

 ――時は少し遡り、元旦 朝


 東北の某県、新幹線の駅から車で三十分の場所にある地方都市の郊外。幹線道路から少し離れた、住宅や商店が立ち並ぶ昔ながらの住宅地。

 街はところどころ雪が積もっているものの、除雪がきちんとされているため、生活に困るようなことはなさそうだ。


 正月独特のシンとした静かで冷たい空気の中、一件の家から賑やかな音がする。


 どた どた どた どた どた ガチャッ


「太にいちゃーん! 起きろーっ!」


 ひとりの女の子が、部屋の中で寝ている男の子に叫んだ。


「詩穂ちゃんか……もうちょっと寝させて……あと、寒いから閉めて……」


 布団の中でもそもそ動きながら、寝ぼけまなこで話しているのは、太だ。


「もう! 初詣、一緒に行くって言ったよね!」

「慌てなくても……神社は逃げないよ……おやすみ……」


 太は、頭まで布団を被った。


「むむむっ……! とうっ!」


 少し助走を付けて、飛び上がる女の子。


 ドフッ


「ぐえっ!」


 女の子は、華麗にフライングボディアタックを決めた。


「い、痛いよ、詩穂ちゃん……」



 佐倉さくら詩穂しほ

 中学一年生。太の従妹(太の父親の妹の娘)

 身長は一七〇センチメートル近くあり、かなりの長身。

 黒髪の耳掛けショートグラボブで、とても可愛らしい顔付きをしている。



「太兄ちゃんなら、お肉が厚いから大丈夫でしょ!」


 ケラケラ笑う詩穂。


「詩穂ちゃん、もう大きいんだから……」

「あー、詩穂が重いっていうの⁉ 失礼しちゃうわ!」

「えっ? そんなこと……」


 ドフッ


「ぐはっ」


 詩穂は、布団の上から体重を掛けたエルボドロップを決めた。


「詩穂、軽いから痛くないよね?」

「い、いや、痛――」

「い・た・く・な・い・よ・ね?」

「――全然痛くないよー……」

「でしょー?」


 楽しそうに笑う詩穂。

 無邪気な詩穂の笑顔を見て、怒る気が失せてしまった太。


「わかったよ、起きるから……ほら、詩穂ちゃん、どいて」

「やだー」

「へっ?」


 ガバッ


 詩穂は、布団の上から太を抱きしめた。


「太兄ちゃん、でっかーい!」

「こらこら……」

「へへへへ」


 ニコニコ顔の詩穂。


 「ほら、もう起きるよ。詩穂ちゃん、危ないよ」

 「はーい」


 詩穂は、布団の上から立ち上がった。

 起き上がり、布団をたたむ太。

 そして、詩穂に向き直った。


「詩穂ちゃん、あけましておめでとう」

「太兄ちゃん、あけおめー! 今年もよろしくね!」

「うん、ボクの方こそ、今年も仲良くしてね」

「もちろんだよ!」

「じゃあ、ちょっと支度してくるから、少しだけ待ってね」

「はーい」


 ガチャ


 洗面所へ向かう太。家の中は静かだ。

 居間をそっと覗くと、電気点けっぱなしで両親と叔母夫婦が酔っ払って寝ていた。


(昨日、遅くまで大騒ぎしてたもんな……)


 パチリ


 電気を消して、そっとふすまを閉める。

 身支度を整え、部屋に戻った太。


「詩穂ちゃん、おまたせ」

「おー! 太兄ちゃん、今日もカッコイイ!」


 詩穂は、笑顔で太を迎える。


「毎日同じような格好だけどね」


 苦笑いした太。

 今日の太のコーデは、ホワイトのセーターにデニム、ネイビーのニットキャップに、アウターはブラックに近いダークグレーのダウンジャケットを着ている。


「詩穂ちゃんは、今日も可愛いね」

「ホント? ホント? やったー!」


 詩穂は大喜びする。

 詩穂のコーデは、ホワイトの厚手のトレーナーに、スキニージーンズ、アウターは淡いパープルのオーバーサイズのボアブルゾンを羽織っている。


「じゃあ、初詣に行こうか? 神社に案内してもらっていい?」

「うん、詩穂がバッチリ案内しちゃう! 行こう、行こう!」


 ◇ ◇ ◇


 神社へ向かうため、朝の静かな街を歩いていく。

 太と腕を組んで楽しそうにしている詩穂。


「太兄ちゃん、出店も出てるからお楽しみにね!」

「おっ! ホント? ご馳走するから色々食べようよ!」

「おごり? やったね! 見た目通りの太っ腹!」


 詩穂は、太のお腹をポンポンと叩いた。


「あ、そうそう……」


 ダウンジャケットの内ポケットからポチ袋を取り出す太。


「はい、詩穂ちゃん」

「えっ?」


 詩穂は驚いた。


「えっ……もらえないよ……太兄ちゃん、まだ高校生でしょ」

「バイトしてるからね」

「だったら、それは大事に……」

「そうだね、大事に使うよ。だから、詩穂ちゃんにお年玉」

「…………」

「正直、大した金額は入ってないから」


 たははっ、と笑う太。


「金額の問題じゃないよ……」

「こんなおデブのボクと仲良くしてくれてるんだもん、これくらいはね」


 太は、自分を見つめる詩穂に微笑んだ。


「太兄ちゃん……ありがとう……大切に使うね」

「うん、中学生ともなれば、お化粧とか友達付き合いとかにお金かかるだろうしね。その足しにしてよ」

「うん……」


 表情に影が微かに落ちる詩穂。


「ねぇ、詩穂ちゃん」

「ん?」

「中学校、楽しい?」


 一瞬、詩穂はピクッと反応した。


「う、うん、楽しいよ!」

「そっか、何か困ったことあったら何でも言ってね。相談にのるからね」

「うん、ありがとう……」


 笑顔を浮かべながらも、複雑な表情の詩穂。


 太は、気付いた。

 一昨年の年末、小学生の詩穂と会った時は、おかしいことはなかった。

 昨年の夏、中学生になった詩穂と会った時、違和感を感じた。

 今回会った時は「出会ったばかりの頃の幸子」と重なって見えた。

 最初は、それがなぜなのか分からなかった。


 しかし、その違和感の正体が、今はっきりと分かった。

 背中が丸まって、猫背になっているのだ。

 本人は、それに気が付いていない様子。


 そして、今の会話の反応で、何か問題を抱えていると気付いたのだ。

 だが、相手は年頃の女の子であり、ここであまり突っ込んだ話をしない方が良いと太は判断した。


 ふたりの周囲にも参拝客が増えてくる。


「ほら、あそこの神社!」


 ぱっと見はこじんまりとした神社だが、参道が長いのか、たくさんの出店が出ているようだ。


「じゃあ、まずは参拝しよう」

「うん!」


 嬉しそうに太と腕を組み直す詩穂。


「兄ちゃん、ハグレないようにね!」

「はい、はい」


 大勢の参拝客に混じって参道を進み、本殿で参拝したふたり。


「太兄ちゃんは、何をお祈りしたの?」

「詩穂ちゃんともっと仲良くなれますように、ってね」


 太は、詩穂に微笑む。

 顔を真っ赤にした詩穂。


「へ、へぇ~、そうなんだ……へぇ~……えへへへへへ」


 太は、照れ笑いする詩穂の頭を優しく撫でる。


「詩穂ちゃんは?」

「えっ? えーと……詩穂は……」


 言いあぐねる詩穂。


「あははは、いいよ、いいよ、無理に言わなくて」

「じゃ、じゃあ、ナイショ!」

「わかった、わかった」


 太は優しく微笑んだ。


(太兄ちゃんともっと仲良くなりたいって祈った……なんて言えないよ……)


「じゃあ、朝ご飯代わりに何か食べよう! 詩穂ちゃん、何食べたい?」

「あ! 美味しいベビーカステラ屋さんがあるの! そこ行こうよ!」

「よーし、行こう!」


 ふたりは、ベビーカステラとジュースを買って、休憩スペースで食べながら談笑していた。


「あれ? 『ジャンボ』じゃねぇの?」

「あ~、ホントだ~。変なデブといる~」


 ビクッとする詩穂。

 太が声のした方を見ると、少年三人、少女三人の六人がいた。


 詩穂の同級生だろうか。詩穂を見て、ニヤニヤしている。

 ひとりの少年が詩穂に話し掛けた。


「『ジャンボ』、なにやってんだよ」

「…………」


 背中を丸め、下を向いて何も答えない詩穂。

 そんな詩穂を見て、小馬鹿にするように話し掛けるひとりの少女。


「鼻が詰まって話せないんじゃない、『ハナクソ』があるから」


 詩穂は、ハッとして自分の鼻を隠す。

 詩穂の右の鼻の穴のところには、小さなホクロがある。


 他の少年少女たちは、太と腕を組んでいたことをからかい始める。


「ほら、さっきこの人と腕組んでたし、パパ活でもやってんじゃないの」

「えっ、パパ活って、マジかよ⁉」


 詩穂に侮蔑の言葉を浴びせる少年少女たち。

 下を向いたまま、悔しそうに身体を震わせ、涙をこぼす詩穂。

 太は、そんな詩穂にそっとハンカチを渡した。


「ねぇ、ねぇ、ボク、詩穂ちゃんの従兄だけど」

「従兄?」

「そうだよ、こっちへ遊びに来たから、詩穂ちゃんと初詣に来たんだよ」


 ひとり、ホッとしたような表情をする少年がいた。

 最初に、詩穂を『ジャンボ』と呼んだ少年だ。


「それとさ、人の容姿のことをそういう風に言うのは、お兄さん、感心しないな」


 太は微笑みを浮かべているが、目が笑っていない。


「自分が言われてイヤなことは、他人に言ってはいけないよ、ね」


 説教臭い言葉に『ジャンボ』と呼んだ少年が口を開く。


「なんだよ! 俺に説教なんて、何様だよ!」

「そうだよ、雅彦くんのお父さん、市会議員なんだからね!」

「『ハナクソ』の親、働いてるところからクビにしてやろうか!」


 雅彦以外の少年少女から脅しの言葉が吐き出された。

 親をクビにすると言われ、詩穂が顔を上げて、オロオロと慌てている。


 「へぇー、雅彦くんのお父さんは議員さんなんだ?」

 「そうだよ! 佐々木彦三って聞いたことないの? このあたりじゃ実力者だからね!」


 太の問いに、ひとりの少女が答えた。


「でも、議員さんが誰かをクビとかできるの? 信じられないなぁ」


 疑問を呈する太。


「かんたんだよ! その会社に圧力かけるだけだもん、ね!」

「俺が言えば、パパはすぐ動いてくれるからね。今までも俺に逆らった何人か、やってやったし」


 雅彦は、思いっ切りドヤ顔した。


「へぇ~、そうなんだ~、怖いね~」


 全然怖そうじゃない太。


「言いたいことは以上?」

「え?」

「うん、だから、言いたいことは以上でいいかな?」

「…………」


 太の問いに、誰も何ら答えられない。


「雅彦くんさぁ、好きな子をイジメたりするのは、分かんないことはないけど、もうやめた方がいいよ」

「はぁ?」

「だから、詩穂ちゃんが好きだからって、イジメたりするなってこと」


 太の指摘に、顔を真っ赤にする雅彦。


「だ、誰がそんな大女のこと……!」

「ねぇ! 雅彦くん、私じゃなくて、あんな『ハナクソ』が好きなの⁉」


 ひとりの少女が雅彦に詰め寄った。


「そ、そんなわけねぇだろうが!」


 雅彦は、明らかに動揺している。


「お、おい! 『ジャンボ』! オマエの親、クビにしてやるからな!」


 詩穂は太のハンカチをギュッと握りながら、雅彦の脅しに涙をポロポロとこぼし、嗚咽をもらす。

 そんな詩穂の肩を抱き、太が口を開いた。


「やれるもんなら、やってみろよ」


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