第153話 バレンタインデー (1)

 季節は、一年で一番寒い時期に入った。

 皆が身体を丸め、刺すような冬の冷たい風に耐える厳しい季節。

 そんな季節でも、女性は心をときめかせ、男性は期待に心躍るイベントがある。


 そう、バレンタインデーだ。


 ――二月十四日 放課後の教室


 駿と達彦は、クラスの男子たちと立ち話に興じていた。


「いいなぁー、高橋(駿)と谷(達彦)はチョコもらえて」


 クラスの男子たちがうらやましがっている。


「お陰さんでな、ホントにありがたいよ」

「そうだな、伊藤(キララ)たちが気ぃ使ってくれてよ」


 駿と達彦の言葉に、微妙に不満気な表情になった男子たち。


「気ぃ使ってくれたどころじゃないだろ。三人それぞれから別々にもらってさ」

「お前ら、気付いてねぇだろ?」


 達彦が男子たちに問い掛ける。


「何が?」


 頭にハテナマークが浮かぶ男子たち。


「駿は三人から手作りのヤツもらってんだぜ」


「なにーっ!」

「お、おい、タッツン!」

「ちなみに、オレは市販のヤツな」


 男子たちが駿を睨みつけた。


「た、高橋……お前ばっかりモテやがって……」

「そ、そんなこと言われても……」


 ボソッと男子のひとりが語る。


「おれ、山口(ジュリア)さんに『義理チョコとか無いですか?』って、冗談っぽく聞いたんだよ……」

「おぉ、ジュリアは何て言ってた?」


 興味津々の駿。


「一言『はぁ?』って言われた……目が笑ってなかったよ……」


 達彦は、笑いを堪えている。


「そ、それは、たまたま虫の居所が悪かったんだよ、きっと!」


 必死にフォローした駿。


「いや……伊藤さんに同じこと言ったら……」

「言ったら……?」

「鼻で笑われた……」

「…………」

「ちなみに、竹中(ココア)さんには相手にすらされなかった……」

「ぷっ! ぶはははははは!」


 笑いを堪えきれず、達彦は大笑いする。


「な、なんかスマン……もっと男子に優しくするように言っとくわ……」


 どよーんとした空気が男子たちを包んだ。


「あ、でも、ほら! 渡辺(遥)さんがチョコ配ってただろ!」

「あの、いつもはウザい渡辺が、今日は天使に見えた……」


 男子たちは、チロリンチョコ(駄菓子屋で売ってるチョコ)を握りしめて、涙目になっている。


「あ、それ、俺もらってねぇ」


 不満気な達彦。


「あ、タッツン。渡辺さんから伝言」

「伝言?」

「『谷くんにはあげない!』だってさ」

「は? なんだよ、アイツ」

「文化祭……」


 達彦は、ハッとする。


「あー……まぁ、文句はねぇよ……」

「オレはあるけどな……」


 駿から目をそらした達彦。


「高橋くーん」


 クラスの女子が駿を呼んでいる。


「はーい」

「二年の先輩さんが来てるよー」


 駿が教室の出入口を見ると、コーラス部部長の倫子が照れくさそうに小さく手を振っていた。


「倫子先輩、こっちでーす」


 駿の元にやってくる倫子。

 手には紙袋を持っていた。


「あ、取り込み中かしら……?」


「いえ、ダベってただけですから。どうしたんですか、また軽音の連中が何か……」

「ううん、コーラス部のみんなからのお届け物。はい、谷くんも」


 紙袋から取り出したのは、可愛くラッピングされたチョコレートだ。


「ありがとうございます! みんなによろしく伝えてください!」

「俺の分までありがとな」


 倫子は、ニッコリ微笑んだ。


「それと……」


 紙袋から、淡いピンクのリボンが結ばれた袋を取り出す倫子。


「あ、あの……これ……私から高橋くんに……」


 倫子の顔は真っ赤だ。


「あ、でも、他意はないのよ! ほら、お世話になったから! ね!」


 誰かにツッコまれたわけでもないのに、慌てる倫子。

 駿は、倫子からのチョコレートを嬉しそうに受け取った。


「倫子先輩、ありがたく頂戴します! これからも仲良くしてください!」

「うん! こちらこそ! あ、歓談中にゴメンね、じゃあ、またね」


 手を振りながら教室を出ていく倫子。

 チョコを渡せたことが余程嬉しいのか、倫子は恥ずかしげな微笑みを残しながら教室を出ていった。


 そして、クラスの男子たちは、駿を睨みつける。


「高橋……オマエ、上級生にまで……女たらしが……」

「い、いや、そう言うなら、コーラス部に入りなよ! 女の子多いよ!」


 なるほどと、真剣に検討を始めた男子たち。


「でも、悪さしねぇか、長嶺(光)の姉御が目を光らせてるけどな」

「タッツン! その名前は出すな!」


 男子たちは、何の話か分からないので、首を捻っている。


 その時――


「高橋ーっ!」


 ――教室の出入口で叫んだのは、吹奏楽部部長の光だ。


「ほらみろ、来ちゃったじゃん……」

「マジ、スマン……」


 光は、教室に勝手にズカズカ入ってきた。

 突然の出来事に、キョトンとしている男子たち。


「高橋、ほら、チョコやるよ。谷も、ほら」


 光が、ポイッと投げて寄越したのは、スーパーで袋売りしているチョコのお菓子の小袋だった。


「あ、ありがとうございます……」

「どーも……」


 明らかに乗り気でない駿と達彦。


「ところで、高橋。アタシとのデ――」

「あ、長嶺先輩! こいつら紹介しますね! みんな、いいヤツばっかりだし、全員フリーですよ!」


 光の言葉に被せる駿。

 男子たちは突然話を振られて一瞬焦ったが、光が美人だと分かると甘い夢を見始め、なんとなくカッコつけ始めた。


「あー……頼りなさそうだから、いいや。パス」


 男子たちは、十五秒で夢から叩き起こされた。


「じゃ、じゃあ、谷は⁉ コイツ、腕っぷしもバッチリですし!」

「駿! オマエ……!」


 親友を肉食獣に売ろうとする駿。


「谷って……こいつ、川中(静)の彼氏だろ?」

「!」


 男子たちの視線が達彦に集まった。


「谷……オマエは硬派だと思っていたのに……」


 焦る達彦。


「アタシ違うクラスだけど、よく『谷くんが、谷くんが』って嬉しそうに言ってるの見かけるぞ」


 達彦は頭を抱えた。


「今日は、手作りチョコ持ってき――」

「な、長嶺先輩、それは言わない方が良いのでは……」


 被せ気味にツッコむ駿。


「あぁ、そうだな! わりぃわりぃ、忘れてくれ!」


 達彦は、諦めの表情を浮かべた。


「でだ、高橋。アタシとのデートはどうなったんだよ」

「いや、予定があわないですし……」

「んじゃあ、ここでいいや」

「何がですか?」

「デートの場所」

「は?」


 駿と肩を組む光。


「な、なんですか、突然!」

「バカ、おまえ、デートっつったらチューだろ」

「はぇ?」


 理解の限界を超えて、変な声が出た駿。

 達彦は、カオスな話の流れに呆然としている。

 周りの男子たちも、もはや意味が分からない状態だ。


「ほら、遠慮しねぇで」


 顔を無理矢理寄せてくる光。


「ちょ、ちょっと待って、オ、オレ、こっちも経験ないんで……!」

「安心しろ、アタシも無いから」

「はあぁぁぁっ?」


 もうまったく意味がわからない駿。


「ちょ、ちょっと待って、長嶺先輩!」


 駿は光の顔に手を当てて、これ以上の接近を止めようとする。

 口を尖らせて、無理矢理何とかしようとする光。


「ストップ! ストップ! いや、マジで、ヤバイって! 先輩!」


 スパンッ


「いてっ!」


 吹奏楽部の女の子が、来客用のスリッパを片手に立っていた。

 先日の発表会の時に、トランペットを演奏していた子だ。


「光! いい加減にしなさい! 一年の教室で何やってんの!」

「いや、だって、高橋が……」

「高橋くん、ゴメンね……光、普段は姉御肌で頼りになるんだけど、色恋事になると、途端に異世界の生物に……」

「なによ! 人をエイリアンみたいに!」

「エイリアンは、無理矢理男の子にキスしようとしたりしません!」


 厳しいツッコミに、うなだれた光。


「ほら、練習サボらないの! 行きますよ!」

「はーい……」


 光と吹奏楽部員は、トボトボと教室を出ていく。


「高橋ー! また来るからなぁー!」


 笑顔で手を振りながら去っていった光。


「頼むから、もう来ないでくれ……」

「高橋……オマエも大変なんだな……」


 男子たちから憐れみの視線を浴びて、ガックリする駿。


「あ、そうそう、未経験の高橋は自動的に入会だから」

「入会? 何に?」


 駿は、不思議そうな顔をした。


「俺達が結成した『チーム・チェリーズ』に!」

「いやなチームだな、オイ……」


 訝しげな表情をする駿。


「つーことは……まさか……」


 不安気な達彦に、ニッコリ笑った男子たち。


「ようこそ、谷!」

「う、嬉しくねぇ……」


 達彦は、困り顔だ。


「でも、あんなに可愛い女子たちに囲まれて、傍から見てても好意を持たれてるってわかる高橋が童貞って、何か不思議だよな……」


 駿は、少しだけ真顔になった。


「うーん……彼女たちとそういうことしたくない、と言ったら嘘になるよ。オレだって男だしさ」

「だよな」

「でもさ、彼女たち、本当にいい子なんだよ。だから、傷付けたくないっていう思いの方が強いね。くさい言い方だけど、大切な友達なんだ」


 にこやかに答えた駿を見て、男子たちは顔を見合わせながら、少し顔を赤くした。


「今の言葉で、高橋がなんでモテるのか、分かった気がした……俺たちと意識の差があり過ぎだわ……」

「でも、みんな可愛いから、ドキッとすることも多いよ。正直言えばね」


(まぁ、ドキッとしたところで、オレのは役に立たねぇけどな……)


 苦笑いする駿。


「隣のクラスの中澤(亜由美)さんとも仲いいもんな。あの子、可愛いよな!」

「そうだな、亜由美とは付き合いも長いしな。実際、美人だし、アイツもすごくいい子だよ」


 駿は笑顔で答えた。


「そういえば、中澤さんの巨大チョコ、高橋も、谷も、もらわなかったんだな」


 男子たちの素朴な疑問だった。

 亜由美が持ってきた紙袋に入った巨大なチョコを誰にあげるのか、一部の男子の間で話題になっていたのだ。


「亜由美からは、例年通り普通のチョコもらって、それだけだな」

「俺も同じだ」

「なんか誰にも渡さず、持って帰ったみたいだけど……おれら、みんな高橋か、谷か、小泉(太)の誰かがもらうのかと思ってたんだけどね……」


 ピンとくる駿。


「あー……それ『本命チョコ』だな……」

「えっ! 中澤さんの『本命』って誰⁉」


 達彦もわかったようだ。


「ウチのクラスにいるぜ」

「高橋と谷以外に、中澤さんと親しい男子っているか……? 誰……?」

「さっちゃんだよ」


 苦笑いする駿。


「えっ? 山田(幸子)さん⁉」

「そう。亜由美、さっちゃん大好きだからな」

「あー、言われてみれば、よく抱きついてるの見かけるな」

「本命チョコに限りなく近い友チョコだな」

「だから、持って帰っちゃったのか」

「さっちゃん、お休みしちゃったからな」


 男子たちは、駿に向かってニヤ~っと笑った。


「いやぁ~、高橋く~ん。本命からチョコもらえなくて残念だねぇ~」

「うっせー、うっせー!」


 クラスの男子たちにもからかわれる駿。


「山田さんも、良いタイミングで休んでくれてナイス!」


 男子たちの間で笑いが起こった。


「いや……それが、さっちゃん、インフルエンザらしいんだよ……」

「えっ?」

「熱が四十度近く出ちゃって、今大変らしいんだ……」


 顔を見合わせる男子。


「ただの風邪か何かかと思って……笑っちゃってゴメン……」

「いやいや、みんながそういうヤツらじゃないのは分かってるから」

「じゃあ、高橋も心配だろ?」

「そうだな……お母さんがついてるから大丈夫だと思うけど、高熱が続くのは辛いよな……」


 駿は、何気なく窓の外に目を向けた。


(さっちゃん、大丈夫かな……)


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