太のまんぷくグルメ紀行 (5)

(「第139話 帰省先の少女 (3)」からの続き)


 ――年明け 盛岡市街


 色々とあったお正月。

 詩穂へのイジメも解決し、清々しい気持ちで盛岡市街をひとり歩く太。


(詩穂ちゃん、元気になってくれて良かったな)


 太は、可愛い笑顔を浮かべる詩穂を思い出し、小さく微笑んだ。


(「私が好きなのは、太兄ちゃんだけだ!」)

(「詩穂、太兄ちゃんが好き……大好きなの……」)


 あの時、詩穂からの思わぬ告白に驚いた太。

 もちろん嫌な気持ちなどない。実際、とても嬉しい。

 しかし、太にとって詩穂は可愛い妹みたいなものだ。


(ふふふっ、あの告白もきっと詩穂ちゃんの黒歴史になるんだろうな)


 詩穂の本気がまだ伝わっていない様子。

 乙女心の分からない男である。


 JR盛岡駅から随分と歩いた。

 そして、太は立ち止まる。

 その目の前には、一軒のお店。

 何やら食欲をそそるいい匂いが漂っている。

 焼肉の匂いだ。


 しかし、太は思った。


(今日、ボクが求めているのは、この匂いじゃない!)


 太は、目的のモノの名前が書かれた暖簾を睨みつけた。


『冷麺』


 そう、盛岡は「麺の街」なのである。


「よし! 食うぞ!」


 声に出すな。

 店に入るとカウンター席に通された。

 店員のお姉さんがやってくる。


「すみません、冷麺ください」

「辛さはどうしましょう?」

「うーんと……普通でお願いできますか?」

「はい! ちょっと待っててね」


 にこやかに去っていくお姉さん。

 店内の別のテーブルでは、焼肉を楽しんでいる客もおり、いい匂いが漂ってくる。


(かぁ~、たまらん匂いだな……あれ?)


 太は、焼肉を焼いているテーブルに視線が釘付けになる。

 焼いたお肉を溶き卵につけて食べていたのだ。


(へぇ~、盛岡ローカルの食べ方なのかな……今度ウチでもやってみよっと!)


 おっと、珍しく追加注文はしない様子。

 そうそう、何事も腹八分目が大事。

 太もようやく「食べ過ぎはダメ」ってことが分かったようです。


 ちなみに、溶き卵をお肉に絡ませて食べるのは、関東の焼肉屋さんでもたまに見かけることがあります。


「お待たせしました、冷麺です」

「おぉー、これが『盛岡冷麺』……美しい……」


 太の前に置かれた冷麺。

 その麺は、秋田で食べた稲庭うどんとはまた違い、半透明で光沢が美しい麺である。

 具は至ってシンプル。

 ゆで卵、きゅうりの三杯酢漬、牛肉のチャーシューが麺の上に乗り、大根のキムチがゴロゴロ入っている。

 それが、これまた美しい赤い半透明のスープの中に佇んでいた。


「では早速……いっただっきまーす! (ずるるるるる)」


 太は驚く。


「す、すごいコシの強さ……! それにこのスープ、あっさりしているのにしっかり美味しい……!」


 『盛岡冷麺』は『盛岡三大麺』のひとつに数えられる盛岡のご当地グルメだ。

 じゃがいものデンプンと小麦粉をしっかり練り合わせて作られたその半透明の麺は、まるでゴムのようにしっかりとした強いコシと、ツルッとした喉越しの両方が味わえる。

 スープも牛肉から取っており、あっさりとしながらも、奥深い味わいをしっかりと楽しめるのだ。

 麺の食感と甘み、スープの旨味、キムチの辛味と酸味が渾然一体となって、太の味覚を刺激する。


「うっま~い!(ずるるるるる)」


 太の舌の上では、日本の着物を着た可愛い女の子と、チマチョゴリを着た可愛い女の子が、手を繋いでクルクルと楽しげに踊っていた。

 朝鮮半島で生まれた冷麺(北朝鮮の咸興ハムン冷麺と平壌ピョンヤン冷麺)を元に、日本人好みになるように試行錯誤を続けて出来上がった『盛岡冷麺』。

 まさしく朝鮮半島と日本のコラボレーションと言えよう。


「アニョハセヨ~!」


 どうやら太も冷麺にやられたらしい。


「(ずるるるるる)ぷはぁーっ! 美味しかった~、し・あ・わ・せ♪」


 そんなコラボに大満足の太。


「焼肉も食べたいけど……ここは我慢だ!」


 うん、えらいぞ、太。


 ◇ ◇ ◇


 太は店を出て、市街地を歩いていた。

 盛岡駅に戻ってバスで帰るのだろう。


 ところが、太は一軒の店の前で足を止めた。

 看板にはこう書かれている。


『じゃじゃ麺』


 太は、ニヤリと笑った。


「次は、オマエだ」


 ここに来たいから、さっき焼肉我慢したんだな……

 食欲魔人、恐るべし!


 店に颯爽と入る。


「じゃじゃ麺、大盛りでお願いします」


 大盛り。

 さっき冷麺食べたばかりのはずなのだが。


 『盛岡じゃじゃ麺』、これもまた『盛岡三大麺』に数えられるご当地グルメだ。

 ちなみに、中華料理の肉味噌の汁無し和え麺である「炸醤ジャージャー麺」とはちょっと違う。

 戦前、中国(満州)で食べられていた「炸醤ジャージャー麺」を日本人好みにアレンジしたものである。


「はい、じゃじゃ麺、お待ちどう!」

「これが……」


 太の目の前には、先程の『盛岡冷麺』と同じように、極めてシンプルな麺料理があった。

 麺はうどんのような平打ち麺。その真ん中には、きゅうりとネギの刻んだものが乗っており、さらにその上には肉味噌の塊がドンと乗っている。

 確かに炸醤ジャージャー麺と似てはいるものの、異なる趣きである。


「まずは、よーく混ぜる……」


 お皿の上で箸を踊らす太。

 真っ白な平打ち麺に、肉味噌ときゅうり、ネギが絡み合っていく。


「こんなもんかな……」


 麺全体にしっかり肉味噌が絡んだら、食べ頃だ。


「よ~し、では、いっただっきまーす! (ずるるるるる)」


 太の頬に、ガツンと肉味噌のパンチが飛んでくる。


「やばっ! 肉味噌、ウマッ! (ずるるるるる)」


 この肉味噌は、数十種類の材料が練り込まれた、ちょっとやそっとでは真似できない味わいなのだ。


「ここで味変あじへん! お酢とコショウを投入!」


 数口食べたところで、味を変えてみる太。


「(ずるるるるる)むっはーっ! うま~い! (ずるるるるる)」


 残り三分の一程度のところで、さらに味変あじへん

 ラー油とニンニクを投入した。


「(ずるるるるる)……た、たまらん……(ずるるるるる)」


 味変あじへんは大成功した様子。

 少し麺を残して、箸を置く太。

 さすがに食べ過ぎたか。


 が、太はおもむろに、カウンターに合った生卵を割り、お皿に入れた。

 食べ残した麺が残ったその皿の上で溶き卵を作る太。

 そして、その皿を持って、店員さんに声を掛けた。


「チータン、お願いします」


 店員さんは、その皿を持っていってしまう。

 そして、持ち帰ってきたその皿には、麺の茹で汁、ネギ、そして味噌が追加されていた。


 これぞ、じゃじゃ麺の締めを飾る『ちいたんたん』である。

 太は、コショウとラー油で味付けした。


「溶き卵の味噌スープで締め! (ズズズズズ……)っぷはぁー! し・あ・わ・せ♪」


 『ちいたんたん』をすべて飲み干し、『じゃじゃ麺』も大満足のようだ。

 しかし、よく食うな……


 ◇ ◇ ◇


 店を出て、JR盛岡駅へ向かう太。

 時間は、お昼すぎといったところだ。


 まさかと思うが『盛岡三大麺』をすべて制覇しようとか考えてないよな。

 無理だぞ。

 あれに挑むのは無理だ。

 別の日にしなさい。

 いや、ホントに。


 しかし太は、駅に程近い一軒の店の前で立ち止まる。

 もうお気付きの方も多いだろう。


 『わんこそば』


 『盛岡三大麺』最後の一角を占めるご当地グルメである。

 冷麺とじゃじゃ麺を食べた後に挑むものではない。


「百杯は食べないとな」


 ちなみに、百杯分のわんこそばは、普通のかけそば七杯分くらいある。

 それを分かっているのか、分かっていないのか、謎の自信で店に入る太。


「すみません、予約した小泉(太)ですが…」


 予約してやがった。

 もう食う気満々である。

 いざテーブルにつき、わんこそばの始まりを待つ。


「やばい……」


 そりゃヤバいだろう、もう二食も食べてるし。


「腹減ってきた……」


 もうダメだ、コイツ。

 満腹中枢がイカれてやがる。


 前掛けをつけ、お給仕さんが横に付く。

 薬味や漬物、刺身などもテーブルに並んだ。


 『わんこそば』というと、大食いや早食いのイメージが強いが、そもそもは岩手のおもてなしなのだ。もちろん、たくさん食べることも凄いことではあるが、横に付くお給仕さんとの会話を楽しんだり、目の前に並んだ料理を楽しんだりと、食事を楽しむための趣向なのである。決して、たくさん食べれば良いというものではない。


 しかし、そこは『わんこそば』。

 あの掛け声につられて、つい食べてしまうのである。


 そして、『わんこそば』が始まった。


「(ずるり)はい、じゃんじゃん(ぱちゃっ)」

「(ずるり)はい、どんどん(ぱちゃっ)」

「(ずるり)はい、じゃんじゃん(ぱちゃっ)」

「(ずるり)はい、どんどん(ぱちゃっ)」


 ずるりと太がそばをすすれば、掛け声と共にお給仕さんがそばを入れる。

 繰り返されるこの動作。

 食べても食べても追加されるそば。

 太にとって、そこは楽園だった。

 楽園に刻まれるお給仕さんの正確なリズムとビート。

 それは太をトランス状態へと導いていく。

 自分がそばを食べているのか、そばが自分に食べさせられているのか。

 いくら食べても減らないそばに、太は神の存在を感じた。

 炭水化物のオーバードーズでキメキメにキマっていく太。

 もうカーボンジャンキーである。


 テーブルに積み重なっていくお椀の山。


(こんなもんかな……)


 自分のお椀に蓋をする太。

 そばの供給がストップした。


「丁度百杯ですね! たくさん食べられましたね~!」


 お給仕さんが記念品を持ってきてくれた。

 百杯完食記念である。


「わんこそば、美味しかったです! し・あ・わ・せ~♪」


 太の満面の笑みに、お給仕さんも嬉しそうだ。


「またいらしてくださいね」


「はい、今度はお腹を空かしてきます!」

「…………え?」


 この男が、来店前に冷麺とじゃじゃ麺を食べてきたことは知らないお給仕さん。

 はてなマークが付くのも、当たり前である。


 店を出て、伸びをする太。

 その凛々しい表情は『盛岡三大麺』を一日で制覇した男だけに許された表情だった。

 やり遂げた感で満足気だ。

 そして、スマホで時間をチェックする太。


「さてと、午後からは詩穂ちゃんと――」


 おっ、午後は詩穂とデートかな。

 詩穂を楽しませてあげてくださいな。


「――グルメ小旅行に行く予定だったよな」


 まだ食うんかい。

 待ち合わせ場所のJR盛岡駅へ向かう太。


 太の食い尽くしの旅は続く……




 ◇ ◇ ◇


 <作者より>


 作中で登場したご当地グルメは、すべて実在しています。

 作者はどれも実際に食べており、美味しさを確認しております。


 その土地ならでは味。

 機会がございましたら、ぜひご賞味ください。



 食道園

  (盛岡冷麺/発祥の店)

   https://shokudoen.com/


 元祖じゃじゃ麺 白龍パイロン

  (盛岡じゃじゃ麺・ちいたんたん/発祥の店)

   http://www.pairon.iwate.jp/


 そば処 東家あずまや

  (盛岡わんこそば)

   https://wankosoba.jp/


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