その後の物語 4 - 石井由美子と安田武と有園透子 (4)

 ――三学期 学校の教室 ロングホームルームの時間


 楽しかった冬休みも終わり、何やら喪失感に包まれて、ぼんやりしている子が多い。

 しかも、授業ではないロングホームルームなので、さらに気が抜けている。

 安田は、相変わらず機嫌が悪そうにしていて、三学期も孤立は間違いないような状況だ。


「新聞委員から今月の学級新聞を配布します」


 新聞委員の男子が、印刷した学級新聞を手に前へ出る。

 毎月作成・発行している学級新聞は、その月の行事の予定や忘れ物の注意などが掲載されており、興味が無ければそのままゴミ箱行きになることが多いプリントだ。

 一番前の席にその列の人数分の新聞を渡し、後ろに回してもらっていた。


 そんな新聞委員の男子は、ふと由美子と視線が合う。

 ふたりはニヤッと笑った。


 そして――


 それまで怠惰な空気が支配していた教室が、急にざわめき始める。


「?」


 安田は奇妙な状況に気付く。

 なぜかクラスメイトの視線が自分に集まっているのだ。

 その安田に学級新聞が回ってくる。

 後ろの席に回した後、その新聞の内容に安田は――


「なんじゃこりゃーっ!」


 ――叫んだ。


『安田、ショッピングモールで不良中学生から透子を救う!』


 あの日の出来事が、事細かに記事になっていた。

 慌てて由美子に目を向ける安田。

 由美子は、ニヤリと笑った。


「い、石井……」


 クラスメイトは全員安田を見ている。


(これウソだろ……だって、アイツ弱い者イジメしかしねぇじゃん……)

(でも、情報提供者は石井さんだぞ……マジ話だろコレ……)

(安田とトロ子……幼馴染みって書いてあるわよ……?)


 パンッ パンッ


 ざわつく教室を静めようと、手を叩く先生。


「みんな、静かにしろー」


 静まる教室。


「安田」

「は、はい……」

「よくやったな、有園(透子)を助けて偉いぞ!」

「いや、それは……」


 優しい表情を浮かべていた先生は、一転厳しい表情になった。


「だがな、今回は運良く優しい中学生だったようだが、ケンカをしようとしたのは感心できん。こういう時は、急いで警備員や大人に助けを求めること! それは恥ずかしいことじゃない! いいな!」

「はい……」


 うなだれる安田ではあったが、先生は笑顔に変わった。


「それでも今回、安田はよくやった! みんな、安田の勇気に拍手!」


 パチパチパチパチパチパチパチパチ

 パチパチパチパチパチパチパチパチ


 大きな拍手の音にそっと顔を上げると、クラスメイトたちが笑顔で自分に拍手しているのが見えた。

 嬉しいような、恥ずかしいような、そんな感情の波に、安田はいつもの機嫌の悪そうな素振りを見せた。


「それと新聞委員。このコラムについて説明してくれるか?」


 先生は、学級新聞に掲載されていた『無意識のイジメ』という小さなコラムを指差した。


「はい、これは石井さんから提供してもらったコラムなので……石井さん、いいかな……?」

「先生、私の方から説明していいですか?」

「おう、いいぞ。前に出て説明してくれ」


 先生の指示に、教壇へ上がる由美子。

 そして、クラスメイトたちを厳しい目で見据えた。


「これは、みんながもしかしたら気が付かないうちに、誰かをイジメているかもしれない……というコラムです」


 自分たちが誰かをイジメているという由美子の言葉に、教室が一気にざわめく。


「おい、静かにしろ。ちゃんと石井の話を聞け」


 先生の言葉に教室が静まる。


「どんなに仲が良くても、みんなそれぞれ触れてほしくないことってあると思います。例えば……私であれば……」


 少しうつむき気味だった由美子は、思い切ったように前を向いた。


「この、そばかすです……」


 シンとする教室。


「もしも、みんなが仲の良い友だちに、そんなことをあだ名にされたりしたら……しかも、まったく悪気はなく……やめてくれって言えるでしょうか……?」


 みんな、思い当たる節があるのだろう。

 うつむいてしまう子が多かった。


「イジメるつもりはなくても、結果的にイジメになってしまう……私はそれを『無意識のイジメ』と名付けました」


 挙手する男子。


「でも、それって無意識だったらどうにもならないんじゃ……」


 由美子は、首を左右に振った。


「だから意識すればいいんじゃないかなって……見た目とか、テストの点が悪いとか、足が遅いとか……相手のことを思いやれば、触れてほしくないことが見えてくるんじゃないかなって……」


 ――静寂の空気が教室を包む。


 そして、ひとりの男子が恐る恐る挙手した。


「あ、あの……ボク……『天パ』って言われるの……ホントはイヤで……」


 髪が天然パーマの男の子で、みんなは親しみを込めて『天パくん』などと呼んでいた。

 もちろん呼んでいる方は、悪意があったわけではない。

 実は、そう呼ばれるのがイヤだったという本人の言葉に、クラスメイトは衝撃を受けた。


 そして、由美子は声を掛ける。


「透子ちゃん。透子ちゃんはどう?」

「え……」


 突然話を振られ、驚く透子。

 安田は心配そうに透子を見ている。


「トロ子ちゃんは、トロ子ちゃんだもん。みんな大好きだしさ」


 ひとりの女子が声をあげた。

 その言葉に、教室がホッとした空気に包まれる。


「わ、私~……トロいから~……トロ子でも~……」


 笑いながら『トロ子』を受け入れようとする透子。

 そんな透子の様子に、クラスメイトたちも笑みを浮かべる。


 しかし、先生と由美子、安田だけは厳しい顔を崩していなかった。


「ホントにそれでいいんだな、透子」


 声をあげたのは、安田だった。


「たーくん……」


 安田に助けを求めるような眼差しを送る透子。


「オレが決めることじゃねぇ」


 安田は透子から視線を外した。


「透子ちゃん、ホントに『トロ子』でいいの……?」


 最後通牒のような由美子の言葉。

 誰も声を発せない教室。

 透子がゆっくり口を開いた。


「わ、わたしね~……一生懸命やってるんだけど~……」


 透子の顔からいつもの笑顔が消えていく。


「でも~……でも~……み、みんなみだいにできなぐで~……わだじ……わだじ……」


 大粒の涙をボロボロとこぼす透子。


「透子ちゃん、ホントは『トロ子』って呼ばれるのイヤなんじゃないの……?」


 由美子の問い掛けに、透子は嗚咽を漏らした。


「でぼ、わだじ、ばがだじ……なんにもでぎないじ……」

(でも、わたし、馬鹿だし……何にもできないし……)


 透子の本当の気持ちに触れ、クラスメイトたちは透子を深く傷つけていたことを知り、視線を落とす。


「透子ちゃんは、何にもできなくないじゃない」


 由美子の言葉に顔を上げた透子。

 由美子は、改めてクラスメイトたちに向き直る。


「みんな、学級新聞をもう一度見てみて」


 手元の学級新聞に視線を移すクラスメイトたち。


「下のところ、スゴくない?」


 新聞の下の部分、約四分の一を使ってとても上手な可愛いイラストが描かれていた。

 女の子と男の子が洗面所でうがいをしていて、バイ菌のキャラクター(これも可愛い)が逃げているイラストで「うがいをしてカゼを予防しよう」と標語が書かれている。

 それこそプロが描いたと見間違うほどで、クラスメイトの大半は「きっとマンガの一場面をコピーして使っているのだろう」と思っていた。


「これ、透子ちゃんが描いてくれたの」

「えーっ!」


 教室中が驚きの声に満ちた。

 透子は絵画だけでなく、イラストもプロ級に上手なのだ。

 クラス中の注目が透子に集まる。


 由美子は、自分の思惑通りに話を進められたことに、心の中でほくそ笑んだ。


(よし、最後のトドメだ!)


「ねぇ、みんな。このイラスト、カラーで見たくない?」


 由美子の言葉にみんな頷いている。


「透子ちゃんが持ってるんだけど……透子ちゃんを『トロ子』なんて呼ぶ人には……」


(これで、もう透子ちゃんを『トロ子』と呼ぶ人は……)


 ガタッ


 急に立ち上がった透子。


「『トロ子』でいい!」


「え?」


 透子の言葉に、由美子と安田、先生の声がハモった。


「私の絵を見てくれるなら『トロ子』でもいい!」


 パチパチパチパチパチパチパチパチ

 パチパチパチパチパチパチパチパチ


 みんなが透子に笑顔で大きな拍手を送った。


 キーンコーンカーンコーン♪


 直後、ロングホームルーム終了。

 同時に、クラスメイトたちが透子の元に集まった。


「うま~い!」「すっげー!」「メチャメチャうまいな!」


 カラーのイラストを前に、透子に称賛の言葉を浴びせるクラスメイトたち。

 透子はとても嬉しそうだ。


 取り残された由美子、安田、先生の三人は、今までの話は何だったのかと、顔を見合わせて苦笑いしていた。


 ◇ ◇ ◇


 ――その後


「透子ちゃん、おはよう!」

「おはよ~」


「おはよ、有園(透子)さん。さみぃね……」

「おはよ~、さむいよね~」


 あの後、透子を『トロ子』と呼ぶクラスメイトはいなくなった。

 また「無意識のイジメ」問題は、今後もクラスの大きな課題としてロングホームルームの時間などを利用し、みんなで話し合っていくことになり、先生も賛同してくれた。

 三年生から四年生にかけては、クラス替えや担任の先生の交代もないので、進級後も話し合っていくことになりそうだ。


「透子ちゃん、おはよう」

「由美子ちゃん、おはよ~」

「あれ? 自分の席にいるなんて珍しいね」

「え~と、まだ来てなくて~」

「そうなんだ、遅いわね」


 そして、安田が登校してきた。


 安田はその後も孤立しており、クラスメイトたちもまだまだおっかなびっくりな状態だ。

 ただ、ひとつ違うのは――


「たーくん、おはよ~」


 とてとてとてっと安田の席に向かう透子。


「何だよ、朝から。席に戻れよ」


 安田は、鬱陶しそうに振る舞った。

 しかし、ニコニコして気にする様子のない透子。


 安田は完全に孤立しているわけではなく、透子が寄り添っていることが多くなった。

 あの日以来、タガが外れたように安田の元に来る透子。幼馴染みであることがバレて、気にする必要がなくなったと思っているのだろう。

 透子が寄り添うようになり、粗暴な態度も随分と柔らかくなった。


「また鼻出てんじゃねぇか。ほら、チーンしろ」


 透子にティッシュを差し出す安田。


(ちーんっ)


「ったく、しょうがねぇなぁ」

「うふふふ~」


 何だかんだと、安田も満更ではない様子だ。

 それを見つめる由美子と登校してきた男子。


「最近は安田も大人しいし……YATOの解散も考えたら……?」

「いや、まだまだわからないよ……もう少し様子見の方が……」

「そっか……しょうがないよね……もうしばらく様子を見ましょうか……」


 安田の孤立はもうしばらく続きそうだ。


「たーくん、新しい絵を描いてきたの~。見て見て~」

「わ、わかったから、くっついてくるな!」


 ただ、その孤立は寂しいものにならなさそうな様子だ。


(この調子でいけば、四年生になる頃には孤立も解消されるかな?)


 由美子は、じゃれ合うふたりを見つめながら微笑んだ。


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