第141話 コーラスライン (2)

 三学期の始業式の日。

 教室で音楽研究部のメンバーと談笑していた駿は、音楽教諭で部活顧問の大谷に呼び出された。


 職員室を訪れる駿。


 コンコン ガラガラガラガラ


「失礼します」


 駿は、職員室に入り、大谷の席へ向かった。


「大谷先生」

「あっ! 高橋(駿)くん」

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」


 大谷に頭を下げる駿。


「あけましておめでとう。こちらこそ今年もよろしくね」


 大谷は、駿ににっこり微笑んだ。


「それで、ご用件は……」

「ちょっと場所変えましょうか……一緒に来てくれる?」

「はい」


 駿は、大谷と職員室を出て、別のフロアにある生徒指導室へ入る。

 テーブルを挟んで、折りたたみ椅子に座ったふたり。


「ここならゆっくりお話しできそうね……」

「大谷先生、何かあったんですか?」


 うつむき気味な大谷。


「高橋くん……」

「何でも言ってください」

「コーラス部を助けてほしいの……」

「コーラス部を?」

「そうなの……今、音楽室から追い出されそうで……」


 駿の頭にハテナマークが浮かんだ。


「コーラス部はコンクールでの実績もありますし、そうなる理由が思い当たりませんが……音楽室から追い出されるって、誰にですか?」


 恥ずかしげに答える大谷。


「軽音楽部なの……」

「はぁ⁉」


 思いもよらない名前が出てきて、駿は驚いた。


「あんな何の実績もない、死ぬほどヘタなアイツらに、何でコーラス部が……」

「実は――」


 大谷は顔を上げて、これまでのことを説明し始めた。


 ◇ ◇ ◇


 ――時は少し遡り、二学期終盤の放課後の音楽室


 ピアノの伴奏に合わせて、合唱しているコーラス部。

 音楽室には、美しいハーモニーが満ち溢れていた。


 そんな美しいハーモニーが外野からのノイズにかき消される。


「私らの方が歌上手くね? ラララ~♪」

「ぎゃはははは! マジ、上手い!」


 三人の女子が音楽室で騒いでいた。

 軽音楽部の追っかけ、いわゆる「グルーピー」である。

 最近、コーラス部に対して、このような嫌がらせとも思える行為を繰り返していた。


 コーラス部は、うんざりするも無視して練習を続けている。


「私、猫踏んじゃった弾けるよ! 見て見て! ほら、どいて!」


 伴奏のピアノを奪ったグルーピーのひとり。

 猫踏んじゃったを弾いている。


 そんな暴挙を繰り返すグルーピーたちに、ひとりのコーラス部の部員が前に出る。

 部長の倫子だ。



 東雲しののめ倫子りんこ

 コーラス部部長の高校二年生。

 身長一六〇センチメートルで七〇キログラム弱のちょっとぽっちゃりした女の子。黒髪のミディアムで、毛先を軽くカールさせている。

 真面目かつ温和な性格で、部員みんなから慕われており、歌の上手さは顧問の大谷も太鼓判を押している。アルトからソプラノにかけての音域を得意とし、伸びのある高音が強みの歌い手だ。



 そんな温和な倫子も、さすがに腹に据えかねた。


「練習の邪魔をするのは、やめてください!」


 倫子の注意に、グルーピーたちが睨みつける。


「なんだよ、おデブちゃん。音楽室はオメェらのモンじゃねぇだろ!」

「私たちは、きちんと予約して、音楽室を使っています! 軽音楽部に用があるなら、準備室へ行ってください!」

「まだ、軽音のみんなが来てねぇからココにいんだろ。何か文句あんのかよ!」

「あります! 最近、あなた達の行動は目に余ります! 音楽室から出ていってください!」

「オメェらの歌がつまんねぇからだろうが!」

「私たちの歌がつまらないなら、なおさら出ていってください! 迷惑です!」


 引き下がらない倫子に、グルーピーのひとりがキレた。


「生意気なんだよ、デブ!」


 倫子に掴みかかり、髪を引っ張るグルーピー。


「い、痛い……! やめ、やめてください!」


 揉み合いになったふたり。


「いけ! ビンタしちゃえ、ビンタ!」


 グルーピーを煽る、他のグルーピー。


「やめてください!」

「キャッ!」


 ドタッ


 倫子の振り払ったグルーピーが床に倒れた。


「あっ……ごめんなさい……だいじょう――」

「大丈夫⁉ 何すんのよ! 暴力振るうことないでしょ!」

「えっ? そちらが先に……」

「冗談で絡んだだけじゃん! 投げ飛ばすことないじゃない!」


 倒れたグルーピーを見ると、大げさに痛がっている。


 ガチャッ


 音楽室の重い扉が開き、ひとりの男子が入ってきた。


「おぅ、どうした」

「小太郎くん!」



 薄井うすい小太郎こたろう

 軽音楽部部長の高校二年生。

 身長一七〇センチメートル、茶髪の長髪で、甘いマスクのイケメンボーカリスト。歌はあまり上手くない。

 軽音楽部を結成した人物で、結成の理由は『女子がかんたんに釣れる』から。

 春、入学したばかりの駿に殴り倒され、亜由美に股間を蹴飛ばされたのは、彼である。



「コーラス部のデブが、急に暴力振るってきたの!」

「倫子ちゃ~ん、何してくれてんだよ~」


 ニヤニヤしながら倫子に近寄る小太郎。


「わ、私は、何も……」

「何もなくないだろ~? 実際、こうやって怪我人が出てるんだしさ~」


 倫子は驚いた。


「け、怪我人なんて……!」

「あー、痛い、痛い! そのデブに投げ飛ばされて!」

「それは、そちらが先に……」


 ニヤッといやらしく笑う小太郎。


「これはコーラス部の不祥事だよな!」

「!」


 部員たちも『不祥事』という言葉に恐れおののいた。


「そ、そんな、そっちが先に暴力を……」

「冗談で絡んだだけじゃん!」


 グルーピーがここぞとばかりに倫子を責める。


「倫子ちゃん、とりあえず、この件は全日本合唱協会(全日本コーラスコンクールを主催する財団法人)に暴力事件として報告するよ」

「!」


 小太郎の言葉に驚き、焦った倫子。


「不祥事かどうかは、協会に判断してもらえばいいんじゃね? 問題なきゃ、県大会にも出られるだろ」


 小太郎はニターッと笑う。


「問題なきゃ、な」

「ど、どうすれば……」


 倫子に顔を近づけた小太郎。


「音楽室、明け渡してくれたら、あの子たち、俺が説得してあげるよ……」

「えっ⁉」

「河原か何かで練習すりゃいいじゃん、な……?」

「ば、伴奏のピアノも無いし、騒音だらけの河原でコーラスの練習は無理です!」

「まぁ、年明けまで答えは待ってあげるから、よ~く考えてちょうだいよ。り・ん・こ・ちゃん」


 倫子は、顔面蒼白だ。


「みんな、準備室で手当てしてあげるよ。優しくな……」

「キャー! 私も手当てして~!」

「はい、はい、ほら、準備室においで」

「はーい!」


 音楽準備室に入っていく小太郎とグルーピーの三人。


 ガチャリ バタン カチャッ


 物音ひとつしない音楽室。


「ぶ、部長……」


 同じように顔面蒼白な部員たちが倫子の周りに集まる。


「どうしよう……」


 倫子は頭を抱え、その場にうずくまった。


 ◇ ◇ ◇


「――そんなことがあって、東雲さんが私へ相談に来たの……」


 手を顎に当て、悩んだ様子を見せる駿。


「軽音顧問の鮎川先生に相談してみては……」


 駿の提案に、首を左右に振った大谷。


「一応、要求を取り下げるように相談したんだけど、生徒間の問題だからって、取り合ってもらえなくて……」

「鮎川先生らしいですね、事なかれ主義で」


 フンッと、駿は呆れてしまう。


「高橋くん、そう言わないでちょうだい」


 苦笑いした大谷。


「それで、高橋くんに相談させてもらったの。何かいいアイデアがないかなって」

「そうだったんですね……」


 駿は、手を顎に当てて考え込む。


「大谷先生、少し時間をもらえませんか? うまくいくかどうか分かりませんが、軽音のヤツらと交渉してみようと思います」

「わかったわ。時間稼ぎするように、東雲さんに言っておく」

「コーラス部のみんなとも、一度話をしたいと思います」

「次に集まるのは明後日だから、音楽室に来てもらえれば、みんなと会えるわよ」

「わかりました」

「それから、高橋くん」

「はい」

「やんちゃしちゃダメよ……」


 亜由美と同じように大谷から注意され、恥ずかしさから顔が赤くなった駿。


「あー……はい、わかりました……」

「高橋くんが無闇に手をあげるような子じゃないことは、先生よく分かってるけど、コーラス部のために、学校から処分されるようなことは絶対にしたらダメ。ね?」

「はい、お約束します」


 駿の返答に、ニッコリ微笑む大谷。


「それでは、一旦この話は持ち帰らせていただいて、準備を進めたいと思います。適時ご報告いたしますので、よろしくお願いいたします」

「うん、よろしくね……悪いわね、高橋くんを頼っちゃって……」

「大谷先生は、オレたちが困っていた時、助けてくれたじゃないですか。今度はこちらの番ですよ」

「高橋くん、お願いね……」


 大谷は、駿の手を両手で包み込んだ。


「全力で取り組みます!」


 笑顔で頷く大谷。


(この際だから、軽音楽部、ぶっ潰すか……)


 駿は、静かに怒りの炎を灯した。


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