第206話

 転送陣の定着作業は驚くほどすぐに終わった。具体的に言うと、「あ! 紙に描かれた模様が光りだした!」って思ってから十秒くらいで。まさかそんなにすぐに終わると思っていなかったので、もうしばらくだけ待ってみたけど、私が紙をめくって転写が終わってるか確認する前に、精霊達に「早く見ろ」とか「いつまでそうしてるの?」とかボロクソ言われた。

 ゆっくりと紙を持ち上げると、下には真っ白な筆で描かれたような転送陣が完成していたのだ。私は慌てて紙を鞄にしまうと振り返った。マイカちゃんがヒットアンドアウェイで敵を引き付けつつ、離れたタイミングでクーが奴らを一掃するという作戦に出たらしく、着実に数を減らしていた。

 手持ちの魔力の量によるものなのか、マイカちゃんはクーに言葉を伝えるのが下手クソだ。きっとあの作戦も話し合ったものではなく、なんとなくお互いにちょうどいい戦い方をしようとして確立されたものだと思う。言葉が通じなくても分かり合えるっていいね。


 戦況がどんな感じか見極めると、私は走り出した。マイカちゃんが離れ、クーが炎を吐くタイミングで精霊に念じる。


 ——あの一帯全部、落とし穴にして


 次の瞬間地面が揺れて、うじゃうじゃ居たアシッドウルフの大群が見えなくなった。とりあえずこれで一安心だ。それを見届けると、マイカちゃんが私の作業が終わったことを察知して振り返った。


「遅かったじゃない!」

「えぇ!? 早くなかった!?」

「一秒以上は”遅い”になるわよ」

「厳し過ぎるでしょ」

「文句言われたくないなら一秒だって離れないようにして」

「……うん」


 マイカちゃんの方が恥ずかしい台詞言うじゃん……面食らいつつも、ほんのり顔が上気するのを感じて、私はすぐに視線を逸らした。そこには、深い落とし穴に落ちて、出て来られなくなったアシッドウルフに容赦なく炎を浴びせ続けるクーが居た。


「もう良くない!?」

「私も思ったけど……あそこに放置しても共食いの末に餓死して死ぬだけでしょ。とっとと死ねるんだからある種の救済よ」

「そ、そうかなぁ……」


 かと言ってあれらを解放する訳にもいかない。何十匹という好戦的な狼を放置していられるなら、そもそも戦ってないんだから。巫女のみんながこっちに来た時になにかあっても嫌だし。私は地獄みたいな仕打ちを受けるアシッドウルフ達に心の中で手を合わせて、残党の処理へと頭を切り替えることにした。


「ランはそこに居てくれるだけで良いわよ」

「え?」


 マイカちゃんは私の肩に手を置くと、素振りの要領で、左拳に込められた氷の精霊の力を使って、落とし穴を免れた一匹をやっつけた。

 私はすぐに空になった精霊石に能力を付与する。一応周囲の警戒もしてみたけど、それはあんまり彼女の助けにはならない。私だけが見つけられてマイカちゃんが気付けないものなんて、魔力のようなものや、精霊や女神の痕跡だけだ。物理的な敵の動きに私だけが気付くって、本当に有り得ない。悲しいけど。


「というわけで。残党の処理が終わったら、レイ達がこっちに来るのをのんびり待ちましょ」

「う、うん……」


 まぁ、私もマイカちゃんの拳の精霊石に何が起こっているのか、はっきりさせたかったし。せっかくカバーを外さなくても力の付与を出来るようにしてあるんだから、これを機に確認しておこう。


 手の甲に付いている精霊石を覆う金属には、メッシュのように穴を開けてある。ちょっと見にくいけど、発光を見るだけなら十分だ。手を添えて、氷の精霊に力を宿して欲しいとお願いする。すると、やはり精霊石は光を放った。

 前はぼんやり光る程度だったと思ってたけど……結構はっきり光った、気がする。昼間にこれだけ視認できていれば、おそらくは夜道ではちょっとした灯りになるだろう。それくらいしっかりした光源だった。ちょっとした違和感があったけど、今は戦闘中だ。


「……やぁ!」

「ナイス!」


 私が力を付与し終えて光が収まると、マイカちゃんは即座に拳を放った。私達を撹乱しようと跳び回っていたアシッドウルフは空中で氷漬けになり、さらにそのままクーが火を吐く地獄へと落ちて行った。今日戦ったアシッドウルフの中で一番哀れな運命を辿ったと思う。


「これでとりあえず片付けたかしら」

「……だね、気配もしないし。マイカちゃん、左手はなんともない?」

「どういうことよ。平気よ」

「それならいいんだけど……」

「ただ、結構冷たいわね」


 マイカちゃんはそう言って私の手を握った。


「え? っつっめった!」


 変な言い方をしてぶんぶんと手を振る私が面白かったらしい。マイカちゃんはケラケラと腹を抱えて笑っている。だけど、私はそれどころでは無かった。


「マイカちゃん、小手脱いで!」

「え、でも」

「いいから!」


 マイカちゃんは「うわーつめたー」くらいにしか思っていないだろうけど、この冷たさは駄目だ。こんな冷たい金属で手を覆うなんて、凍傷になってしまうかも。

 強引に脱がせると、私は小手を抱っこしてできるだけ温めた。火の精霊が融通してくれて、すぐに人肌になったそれをマイカちゃんに返すと、私は呟いた。


「……マイカちゃん、精霊石の力を使う時にちょっと温かくなるとか、冷たくなるとかは前からあったと思うけど。ここまではっきりしたものじゃなかったよね?」

「そうね。こんなに冷たくなったのは初めてよ」


 レイさん達を待つ間、私達はこの事について少し話をすることにした。地獄の番人と化しているクーにも声を掛けて、小さくなって肩に戻ってもらう。今もパチパチと音を立てている穴の中は見ない。なんでって良心が痛みそうだから。


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