第136話

 お願いを聞いてあげた報酬とはいえ、本当にそんな重要な合言葉を私に教えてよかったんだろうか。そんな疑問が頭を過ったけど、藪蛇な気がして黙っておくことにした。

 そしてその話をする代わりに、私はオオノにあることを聞いた。


「あのさ。オオノって、サツキって人。知ってる?」


 そう聞くと、オオノは大きく目を見開いて、ただ一言「会ったのか」と言った。


「会ったっていうかなんていうか。今、私達の隣の部屋にヤヨイさんがいるよ」

「……すごい偶然だな」

「本当にね」


 オオノは遠い目をしたあと、振り返ってまだ布団の中で丸くなってるマトに話しかけた。


「マトに、伝えなきゃいけないことがある」

「嫌だ。オレは聞きたくねぇぞ」


 えぇ……聞くところじゃん、ここは。

 私だけじゃなく、マイカちゃんまで呆気に取られた顔をしている。クーは相変わらずマイカちゃんの肩を行ったり来たりしている。いつも通りでかわいいね、クーは。


「わかった」


 分かっちゃった……伝えたいことがあるって言ってたじゃん……何この二人……。

 オオノは長い髪の下に手を滑らせて首を撫でた。さっと髪を払うと、ため息をつく。


「あ、もちろん、オオノがここにいるってことは伝えてないよ。ツッコまれたらめんどくさそうだから、避けて数日過ごしてたんだ」

「私達が避けてたせいもあるけど、それにしても一度も会わなかったわ。もしかしたらもうこの街に居ないのかも」

「いいや、あの人に限ってそれは無いな」

「よく分かってるじゃないか」


 聞きなれない声がして、声が聞こえた方を向くと、窓からヤヨイさんが顔を出していた。何やってんのこの人。

 もしかして私達、つけられてたのか……。


「……姉さん」

「サツキに女装趣味があったなんてびっくりしたよ」

「姉さんに男装趣味があったのも驚きだけど」

「私は男装したんじゃなくて性別が判別不能なレベルで汚かっただけだぞ」

「いやそっちの方が問題じゃないですか?」


 何故か得意げなヤヨイさんについつっこんでしまったけど、これどうしたらいいんだろう。オオノはヤヨイさんから逃げていたみたいだけど、そのわりに落ち着き払ってるし。この空間で一番慌ただしそうにしているのはマイカちゃんの肩を往復しているクーだ。


「……もー、ワケわかんねぇ。とりあえず入ってもらえよ」

「いいのか?」

「お前の姉貴なんだろ? 無碍にするわけにもいかねぇだろ」

「……そうか」


 オオノは顎でヤヨイさんに向けてドアから入るようにジェスチャーすると、すぐに彼女は玄関から入ってきた。前に見たのと同じ服装でいる。何度見ても不思議な格好だ。


「郷に入っては郷に従えって言うだろ。少しはこの街に合わせろよ」

「断る。サツキは従い過ぎだ」


 ヤヨイさんは髪を頭の後ろで一本に結んでおり、服装は見慣れないものだけど、男装とは程遠く見える。大きく開いた袖の中に腕をしまって床に胡座をかく姿はかなり男性的だったけど。こうして見ると、どっちが男で女か分からなくなってくるな。


「で。単刀直入に言うけど、俺は戻るつもりはない」

「そこの子のせいか」

「だとしたらどうする。マトを殺すか」


 オオノの口から飛び出た物騒な言葉に、心臓が跳ねた。そんな可能性があるとするなら、私はヤヨイさんと剣を交えなければいけない。


「まさか。そもそもお前を連れ戻そうとしてるわけじゃない。ただ、無事か知りたかっただけだ」

「……嘘だろ」

「嘘じゃない。そんなことしても何の得もないだろ。よく考えろ馬鹿者」


 ヤヨイさんはそう言い放つと小さくため息をついた。ここで事を構えるつもりは本当にないようだ。私は、お節介かもと思ったけど、オオノを庇うように言った。


「オオノが不安に思ってたのは間違いないと思うんです。ヤヨイさんらしき人が街に入ったタイミングとドボルが増えたタイミング、照らし合わせてどう思う?」

「……そーいや、オレがその話をオオノにしてからだった気がする」

「やっぱり。ヤヨイさん、オオノの不安がこの街をかなり直接的に脅かしています。今は私の力で封じているけど、オオノが安定したらその封印を解く予定でした。だけど、心配事がある状態で封印を解いたら、同じことを繰り返す事になりかねません」


 この街がどうなろうと、もしかしたらヤヨイさんにとってはどうでもいい事かもしれない。だけど、オオノが暮らしている街だ。最低限は気を遣ってくれるだろう。

 私が伝えようとしたことが分かったらしい。ヤヨイさんは、改めてオオノに向き直ると、ゆっくりと、宣言するように言った。


「……なるほど。分かった。サツキ、あの集落には戻らなくていい。本当だ。私はただ伝えたかったんだ。サツキとフオのことを色々と言う人もいるのは事実だ。でも、そんなもの、もう気にするな」

「嘘つくなよ」

「……なんだと?」

「わざわざそんなことを伝える為に、世界のどこにいるのかも分からない弟を探す馬鹿がいるか」

「ここにいるぞ」


 正面切ってそう言われ、オオノは言葉に詰まっていた。少しだけ、泣きそうに見えなくもない。フオというのが誰かは分からないし、そもそもオオノがどういう理由でルーズランドを飛び出したのかも知らない。だけど、実の姉にこんなことを言われて感極まるのは分かるよ。


「お前がなんと言おうと、私はお前の味方だ。……マトと言ったか」

「お、おう?」

「サツキのこと、頼んだ。……私は去ろう。それがお前の為だと言うなら」


 そう言って立ち上がると、ヤヨイさんは本当に出て行ってしまった。このままだと彼女は荷物をまとめてこの街を去るだろう。っていうか、オオノもそうだけど、どうやって海を越えてきたんだ。


「ちょ! オオノ! いいのかよ!」

「……」


 彼女には聞きたいことがまだ山ほどある。オオノの為に彼女を避ける理由もなくなったし、今はあの寂しげな背中を追うべきだろう。


「ごめん、私、行ってくる」


 私は二人の家を出ると、彼女の背中を追って駆け出した。

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