第163話
私は精霊や女神に力を借りる前に、手早く周囲を確認した。フオちゃんとクーはこの結界から逃れられたようだ。逃したはずの二人まで捕まっているのは考え得る限り最低のシナリオなので、それだけは避けられたことを知って少しほっとした。
「来んのか。では、ワシから行くかの」
「……!」
向こうは、きっと私の事を知っているはずだ。勇者が祝福の付与が頼んできたということは、誰かからそういった心得があると聞いたということ。そんな人間が魔法一つ使えないとは思われていないだろう。向こうが何も知らなければ、剣士のふりをして魔法で不意打ちすることもできたかもしれないけど。
ヴォルフは無言で杖を振る。くるくると渦のように巻いた先端が私を指した。一見なんでもない動作に思えるかもしれないけど、私は本能的に身の危険を感じて真横に跳んだ。
私が居たところには強力な黒い雷が落ちた。激しい閃光と、耳を劈く音。ヴォルフがただ者じゃないと知らしめるには十分だった。
「……!?」
避けたというのに、位置が近かったせいか体が痺れてガクンと脱力しそうになる。すぐに抜けるだろうから、今は踏ん張らなきゃ。
体を支えるように片手で膝を握る。なんとか顔だけはヴォルフから逸らさないようにして、気合いだけで炎の刃の柄を掴んだ。
「ほう! よくあの雷鳴を見て生きておったな。ふむ、精霊に呼びかけられるほど感応しやすい体質ならではの反応じゃなぁ」
煽るつもりは無いのだろう。そして手を抜いたつもりも。杖で気を引いて、無詠唱で頭上からの攻撃。はっきり言って、初撃にしてかなり情け容赦が無い。それを回避されれば意外に思うのも無理はないはずだ。
黒い雷が叩き付けられた地面は衝撃で抉れていた。あんなの喰らったら、多少耐性があったとしても即死かもしれない。体の痺れが未だに抜けない私は、少しだけ時間稼ぎすることにした。
「無詠唱ですごい威力……ってことは、雷か天候の適性があるのかな」
「ヴォルフフフ! 安心するがよい、そんなつまらぬものではないからのぅ」
彼は言い終わる前に、杖を下から振り上げる。風の精霊に力を借りて大きく後ろに跳ぶと、私が居たところに太くて黒い火柱が地面から盛り上がるように出現した。何メートルにもなる火柱は高速で回転している。熱風を感じながら見上げていると、唖然とする間もなくそれはこちらに向かってきた。しかも竜巻のようにうねりながら。
「あっぶな……!」
あれが移動するタイプの魔法なら、避け続けるのは体力を無駄に浪費するだけだろう。私はやっと調子が戻ってきた体で氷の刃を構えると、果敢にも炎に飛び込み、火柱に剣を突き刺した。
魔法を相殺して消すと、本来ならもっと早くに考えていたはずのある思いが脳裏を過る。
あの人、ヴォルフフフって笑ったよね……普通、自分の名前交えて笑う……? 別の意味で怖いんだけど……。
「ふむ、感心感心。しかし、これでどういう意味か分かったかのぅ、鍛冶屋のお嬢さんよ」
「信じられないけど……属性問わず魔法が使えて、無詠唱ですらこの高火力ってことだよね」
今の火柱には火属性はもちろん、風の属性も含まれていた。複合した要素をあれほど自在に操るなんて、この人どうかしてる。
「うぅん、惜しい。ま、分からんのも無理はないか……冥土の土産に聞かせてやる。ワシは詠唱はしない主義じゃ」
「……は?」
そんなこと、あるはずがない。これほどの魔導師が詠唱をしないなんて、その辺の人が「呼吸をしない主義」って言うくらい有り得ない。私もしないけど、かなり特殊な例だし……。
そうして理解した。目の前にいる彼もまた、特殊な体質の持ち主なのだと。
「分かったか? ワシの魔力は、魔法の源になる精霊を従わせる事に、非常に長けているのじゃ。だから詠唱など要らん。黙ってワシの言うことを聞くのじゃからな」
詠唱とは、術者のイメージを補完する為だけに存在するんじゃない。精霊達に呼び掛け、対話する為のものだ。それを放棄するだなんて、色んな意味で有り得ない。私の場合は声にせずとも心で通じ合えるからそれを省略してるだけ、こいつのとは原理がまるで違う。自分の魔力で強引に従わせる身勝手さに寒気すらする。
彼らと対話して願望を実現してもらっている私とは、対極の存在と言ってもいいだろう。
ずっと仲良くしてくれている存在の意思が踏みにじられているようで悔しかった。私は頭の中で話し掛ける。
——みんな。さっきの、そのままやり返してやって
了解。頭の中で声が響いた次の瞬間、空から青白い雷鳴が連続で大地を叩き、四本の真っ赤な火柱が先ほどの勢いに負けず劣らず暴れ回る。
衝突しては離れてを繰り返していたらしいマイカちゃん達も、私の力の影響を受けないように距離を取った。
苛烈な攻撃は一切手を緩めることなく、ヴォルフが居たところを重点的に攻めたてた。みんな、私の力を源として魔法を発現させることを喜んでいるようだ。
早くこいつを倒してマイカちゃんに加勢するか、勇者をどうにかしないと。先の事を考えていた私が甘かったと認識するまでに、そう時間は掛からなかった。
黒くて丸い何かが、攻撃を加えていた一点を中心としてぐわっと広がり、それはすぐに爆ぜた。私が呼んだ精霊の力も道連れにしたようで、私とヴォルフの間には何も残っていない。
「少しは楽しめそうじゃ」
肩の埃を払うような動作をすると、彼はそう言って不敵に笑った。
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