第119話
ビンタされた私は、起き上がってベッドの端っこに座った。片手をマイカちゃんに向けてかざす。彼女は私の右手の手のひらを見て、険しい顔をしていた。
いまだに混乱してるけど、完全に気持ちが落ち着くのを待っていたら朝になりそうだ。マイカちゃんを落ち着けるため、自分が冷静さを取り戻すため、とりあえず私は口を開いた。ほっぺの内側から血の味がしてる気がするけど、これはもういいや。
「怒ってるのは分かったから。ちょっと待って。なんで怒ってるのか聞いていい?」
冷静に話し合いたい一心で投げ掛けた言葉のつもりだったけど、マイカちゃんの怒った表情はみるみる内に崩れていく。
——あ、ヤバい
自分が考えている以上に事態は深刻だとやっと認識したけど、もう遅かった。マイカちゃんの目に涙が溜まって、それが溢れて。頬を伝うそれに、言葉を奪われてしまった。
泣かせるようなことを言った覚えはないのに。彼女が泣くのを見るのは初めてじゃない。だけど、私の言葉のせいで彼女が泣くほど悲しんでいるのは、きっと初めてだ。
「ごめん、私、」
「来ないで!」
思わず手を伸ばしたけど、マイカちゃんに全力で突き飛ばされて頭からベッドに落下した。
気が付いたのは恐らく数分から数十分後。外はまだ暗いから、何時間も経っているということは無さそうだ。
マイカちゃんの姿が無い。私を突き飛ばしてすぐ、ドアに振り返ったように見えた。つまり彼女はそのまま部屋を飛び出したのだろう。テーブルを見ると、クーが心配そうな顔で私を見上げていた。
「……ごめん、ちょっと行ってくるね」
「クォ……」
クーは力なく返事をした。誰もいなくなって寂しいんじゃなくて、きっと私達のことを心配しているんだと思う。
壁にかけられたハンガーを見て、マントが無くなっていることを確認する。確定だ、マイカちゃんは少なくとも今夜は戻らないつもりらしい。
大きなユーグリアの街を駈け回る。大通りはもちろん、人気の無いところで体を丸めて寝ているかもしれないと思うと、路地裏も無視できなかった。頑張って探しても見つかるかは分からないし、もしかしたら入れ違いになるかもしれない。だけど、足を止まらなかった。
「ホントに……どこ行ったの……」
さっきも通った道をとぼとぼと歩きながら、顔だけは彼女を探すように色んなところに向ける。一旦部屋に戻った方がいいかもしれない、そんな考えが頭を過る。
「いた。ラン」
澄んだ声が私を呼ぶ。だけど、私が探している人の声ではない。振り返ると、そこには長身の美女、もとい美男がいた。
「オオノ……?」
「よう、女泣かせ」
オオノは茶化すようにそう言って鼻で笑う。私を捜していたということは、まさか。
「……なんで知ってるの?」
「マイカのやつ、すごい格好でこの街から出ようとしたから止めたんだよ。男装してないし、そもそも寝間着だし」
えぇ……街の中を彷徨うんじゃなくて、街から出ようとしたの……?
そっかぁ……。
それじゃ見つからない訳だ。オオノが止めたということは、マイカちゃんはまだ門の所にいるということだろう。あんな格好で街から出ようとする訳がないという、私の思い込みが盲点になった。
「何があったのかはマトが聞いてるけど。俺、マイカが可哀想だと思った」
立ち止まる私に、一歩一歩とオオノは歩み寄ってくる。
「あんな風に泣く子じゃないだろ」
「……どんな風に泣いてるのか、私には分からないけど、でも」
「見ようともしなかったのか。最低だな」
「違うよ、泣き出したと思ったら突き飛ばされて気絶してたから……」
「……?」
オオノは不思議そうな顔をして首を捻っている。きっとマイカちゃんのことをただの可愛くて小柄な女の子だと思っているんだろう。
とりあえずついて来いと言われて、私はオオノの隣を歩く。想像していた通り、その足は街の入口へと向かっていた。
マイカちゃんの様子を見て私を捜していたらしいオオノは、やっぱり根はいい人なんだと思う。門に着くまでに、私はオオノに「ごめん」とだけ言った。彼は「ん」と短く返事をしただけだった。
城壁の一角、くり抜かれたような空間は簡易的な応接間になっているようだ。開けっ放しになってる扉から、声が漏れてくる。
「なぁマイカ。オレもランがバカだと思うけど、別れるにしても荷物は持って帰れって。な? そんな格好じゃ危ないって」
「っさいわね! いいのよ! っていうか付き合ってないって言ってるでしょ!」
マイカちゃんのヒステリックな声に続いて、ドン! という音とバキッという音が聞こえてきた。
「え、何の音?」
「……」
小声でそう言うオオノと、なんとなく察した私がいる。多分、マイカちゃんが木製の何かを叩いて破壊したんだと思うけど……そうさせてるのは元を正せば自分だと思うとなんとも居た堪れない。
「オレ、この間はあんなこと言ったけど、ちょっと気になっててさ。ランにも言い過ぎたかな、とか」
「それが何よ」
「でも連れを泣かしてほっとくような奴にそんなことを思って損したぜ。最低だよな。ランのやつ。あいつ人の気持ちとか考えてないんだろ」
すごい言われよう……オオノもマイカちゃんが心配で私のこと探してたんだろうし。本格的に周りに味方がいないな。
出て行くに行けない。そうして迷っていると、一際大きいマイカちゃんの声が響いた。
「ランの悪口言わないで!」
「……!」
「ランは最低なんかじゃない!」
ダン! バキ!
続いて聞こえた音もさっきより大きい。あの子またなんか壊したな。
「ランは悪くないもん……私が勝手に意識して、それで悲しくなってるだけだもん……」
よく鈍いと言われる私だけど、ここまで話を聞けばどういうことなのか、大体見えてくる。信じられないけど、でも……。
「ここでずっと立ち聞きさせる為に連れて来たんじゃないぞ」
「……うん」
「行けよ」
彼女にかける言葉が見つからない。なんて言ったらいいんだろう。分からないけど、行かなきゃ。
「マイカちゃん」
私は小さなテーブルを挟んで向かい合っている二人の前に姿を現して声を掛けた。
「あのさ、とりあえず帰ろう?」
「嫌」
「う……」
「私、もうマトの家の子になる」
「オレはこんな乱暴な娘いらねぇよ」
マトと目が合う。軽蔑するような色が混じってる気がして、少したじろぐ。マトからすれば、私はルーズランドの財宝の噂に目が眩んでいる女泣かせなんだから、友好的に接してもらえる訳ないんだけど。
マイカちゃんがゆっくりと立ち上がると、後ろからオオノに声を掛けられた。
「ラン。逃げんなよ」
「……最初から逃げてるつもりなんか無いよ」
あんまりな言い分につい棘のある言い方をしてしまった。オオノはさほど気にしていないらしく、肩を竦めてマトと意味深に目を合わせている。
「邪魔したね」
そう言って、私はマイカちゃんの手を取って宿に戻った。帰り道、私達は一言も言葉を交わさなかった。
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