ルーズランドを目指して

第140話

 私達は空から地上を見下ろしていた。少し前から風の匂いが変わってきた。潮の香りが混ざっているというか。あまり嗅いだことのない種類の匂いがする。好きとも嫌いとも言えないけど、寒さを嗅覚から訴えかけてくるような感じがして、ちょっとだけ身構えてしまっている。

 ユーグリアを出てもう数日経つけど、モンスターも全然出てこない。もしかすると、みんな寒さで大人しくなってるのかも、なんて。見た事もない敵に遭遇したら厄介なので、このまま何事もない旅が続くことを祈る。


 もやがかかっているので、遠くまで見えないけど、地図の通りだとすると天気さえ良ければ海が見えても不思議ではない。この辺は既にかなり肌寒いので、クーには高度はあまり上げないようにしてもらってる。試したくは無いし、高度を下げてもらった時に寒さが和らいだ気も全然しないんだけど、やっぱり上に行けばいくほど寒い気がするから。

 クロちゃんのお母さんがくれたマントは大活躍だ。スピードについても、クーはもっと速く飛べそうだけど、いかんせん私の身体が保たない。この寒さの中で強風に当てられたら凍ると思う。次に下に降りたら、ユーグリアで買った防寒着をすぐに身に付けるつもりでいる。


「ラン、さっきからガチガチうるさい」

「寒いんだもん……」


 マイカちゃんは私の腰に抱き付いたまま、私の体が奏でる異音について不満を述べた。歯の根が合っていなかったことを指摘されてから気付いた私は、ぐっと口を閉じて気合いを入れ直す。

 見かねたクーが上向きに火を吹いてくれた。あ、ちょっと顔が暖かい。一瞬だったけどその気持ちが嬉しいよ。クーに聞こえるようにお礼を言うと、クーはグォォと言って、長い首をこちらに向けてニコニコしていた。

 だけど、マイカちゃんの声色は険しいままだ。心底呆れているって感じの声が後ろから聞こえている。


「ルーズランドはもっと寒いんでしょう?」

「そうだけどさぁ……」


 炎の精霊に頼ればあったかくしてくれそうだけど、それは最終手段だ。やむを得ない事情が無い限り、私は寒冷地で精霊の力を借りないと決めている。人間ってさ、慣れちゃうし、甘えちゃうからね。

 些細なことであんまり頼りきりになりたくないっていうか。例えば、私たちを乗せてくれてるクーが寒くて死にそうになってるって言ったら本気で、精霊どころか女神に助け求めちゃうけど。

 これは他の人に言っても「そんなことにこだわってバカじゃないの」と一蹴されるようなことだと思うから、あんまり人には伝えないようにしてる。マイカちゃんはその辺を少し察してくれているのか、こういう時に精霊の力を使えとは言わない。まぁ、ルーズランドに着いてからその辺は改めて考えるとする。



 それからしばらく、私達は寒さを迎え打つように、冷たい風を運んでくる方へと進み続けた。ほとんどずっと真っ直ぐ飛んでもらって、やっと海が見えてきたところだ。

 クーはまだまだ飛べそうだったけど、大事を取って休むことにした。というか元より休むつもりで居た。私もマイカちゃんもね。本人が辛さを訴える前に手を打つ。これが我が家の育児方針だ。まぁそんな建前は置いておいて、何よりも私が薪に当たりたい。暖かい空気を身体で感じたい。じゃないと死んじゃう。


 適当なとこに降りてもらうと、マイカちゃんが飛び降りるのを確認してから、ゆっくりと器具から足を外す。空を飛んで寒いだけかもなんて思ってたけど、地上も十分寒かった。吐く息が白く見えることに驚いて、本当にとんでもないところに来てしまったと考えながら、防寒着を取り出して着替える。着替えるというか上からガバッと着ただけなんだけど。

 太ももをすっぽりと覆うくらいの長い丈のそれは、裏地がもこもこになっていてかなり暖かい。こんなのを着たら暑いんじゃないかなんて少しだけ思ってたけど、完全に杞憂だった。

 マントを畳んでバッグにしまうと、私は同じように着替えていたマイカちゃんへと振り向いた。


「マイカちゃんは平気?」

「そりゃちょっと寒かったけど……手、貸して」


 マイカちゃんは小手を外すと私の手を取った。私の手を包む小さな手は、柔らかくて暖かかった。何これ、手だけお風呂入ってるみたい。手綱を握っていた私の手が特別冷えてたのかななんて思ったりもしたけど、それだけじゃこの温度差に説明が付かない気がする。


「なんでこんなに体温高いの……?」

「生まれつきよ」


 ホント、マイカちゃんって色々チートだよね。でも、砂漠とかじゃ逆に不利なのかな。どうなんだろう。最後に行く予定のブルーブルーフォレストは砂漠の中にあるけど、その時は大変だったりして。


「一緒に寝る時、身体触っていい?」

「そのキンキンに冷えた手で私の身体に触れたら顔面に五回くらい拳を振り下ろすからそのつもりでいてね」

「分かった。絶対やんない」


 暖を取りたいとは思うけど、そのために命を失ってもいいとは思ってないんだ、私は。

 冷えてなかったらいいって言ってるようにも聞こえるけど、そんなことをわざわざ確認して「は? 違うけど?」って怒らせたら、顔面に二回くらい拳がめり込む気がしたから、私は見えてきた漁村の光景に集中することにした。

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