第141話

 クーが高度を下げる。前方に見えていた、海沿いの漁村を目指す。こんな言い方したら失礼かもしれないけど、そこはちょっと寂れていた。贅沢は言わない、ゆっくり休めればそれででいい。


「今日はなんとか布団で眠れそうね」

「みたいだね。良かったよ。ルーズランドに入る前に無茶したくなかったし」


 こっそりとそんな会話をしながら漁村に足を踏み入れる。点在するように建てられた木製の建物が辺りに立ち並び、私達はきょろきょろと村の規模を計りつつ、人の気配を探した。

 あんまり考えたくないけど、実は盗賊のアジトでした、なんて事があったら大変だしね。でも、私はその可能性をすぐに頭から消した。子供達が砂浜を駆け回り、家々から夕飯の支度をしているであろう匂いや煙が上がっているのが見えたから。


「あの」

「んー?」


 そうして私は適当なおじさんに声をかけて、宿が無いかを聞いてみた。あまり歓迎はされなかったけど、追い出されないならなんだっていい。村の外れにある建物に案内されて、一晩だけ泊めてもらえることになった。


「お世話になります。私はラン、こっちはマイカです」

「お客さんなんて久々だべ」

「普段はどうやって生計を立ててるのかしら」

「マイカちゃんっ、しっ」


 宿を尋ねる頃にはすっかり暗くなっていて、部屋を見る前に夕食を頂くことになった。質素だったけど、魚がすごく美味しかった。とれたての魚がここの唯一の売りなんだとか。

 それを聞いたマイカちゃんが「布団には期待しない方が良さそうね」と言ったから、また慌てて「しー……!」と言う羽目になった。


 夜。私達は状態として言うなら”可”という布団で横になっていた。部屋は狭いし余分なテーブルなんかは置いてなかったから、クーには私達の枕元で丸くなってもらっている。

 若干粗末な布団で寝ることになって初めて気付いたけど、例え布団がアレで少し臭くても、マイカちゃんが柔らかくていい匂いさせてるから乗り切れる気がする。ここだけ聞くと私がスケベなおじさんみたいだけど、私から何かしてるわけじゃなくて、彼女の方からくっついてきてるからね。

 マイカちゃんが私の顔を自分の胸へと抱き寄せる前に、私は反対に彼女の頭を自分の懐へと導いた。マイカちゃんの胸の中で寝ると、本当に死ぬ危険性があるから。というかこの間、実は一度死にかけている。

 柔らかいおっぱいで息が出来ないと言えばいい感じに聞こえるかもしれないけど、この子に両腕でぎゅってされたら肺まで空気が到達しなくなる。私の肺活量がマイカちゃんの腕力に負ける感じ。胸の柔らかさを堪能している余裕なんてない。


「ラン」

「何?」

「好き」

「……うん、おやすみ」


 殺されかけたこととか、全部どうでもよくなってくる。ま、本当に嫌なら別々の布団で寝ればいいだけだしね。命の危険に瀕しながらも私が彼女と同じ布団で寝ている時点で、まんざらでもないって言ってるようなものだ。彼女がたまに投げ掛けてくれる好きという言葉に、私はいつも「うん」と返していた。


***


 翌朝、私達は朝食に合わせて起きた。この村の朝は早いらしく、大地の際で輝く太陽を見て「ひえ……」って声が出た。まぁ漁村だしね。そりゃ朝早いよね。


 焼き魚を頂くと、外に出た。浜辺を走る子供はさすがにおらず、外に出ているのは海に行かない仕事をしている大人だけのようだ。宿の近くに、大きな斧で太い木をずっと叩いてるおじさんがいる。恰幅のいいおじさんは、その斧を軽々と持ち上げて作業に没頭していた。

 昨日も感じたけど、私達は明らかに歓迎されていない。まぁ、こんなところにわざわざ訪れる旅人なんて怪しくてしょうがないのだろう。無視されることを想定しながらおじさんに話し掛けてみると、彼は思っていたよりもすんなり口を利いてくれた。


 ボロボロになった舟が稀に打ち寄せられるという話を聞かせてくれたあと、おじさんはまた斧を振り上げた。


「悪魔の大陸から流れて来てるに違いない。あいつらめ……しぶとい連中だ」

「悪魔の大陸って、ルーズランドのことですか?」


 おじさんの背中の向こう、ずっと奥でかまどに火が点かないと、大人達が大きな声で話してる。今日は少し風が強い。思うように点火できないのは当然だろう。ずっとガヤガヤと騒いでいて、ちょっとだけ耳障りだった。


「ルーズランドねぇ。最近じゃそんな呼び方をされるようになったけど、この村の人間はあそこを悪魔の大陸と呼ぶ。お前さんらもあそこに財宝があるとかいう眉唾を信じて目指してるクチか? やめときな。女二人であんな大陸に行ったところで」

「あんな大陸?」

「そうそう。乱暴されて生きて帰ってくることすらできないだろうさ。悪いことは言わない。あんな気の触れた連中がいる大陸には」


 私は鞘から炎の刃を抜くと、槍のように炎の刀身を伸ばして竈門にくべてある薪を突き刺した。腰のすぐ横、スレスレを刃が通った若者は腰を抜かして驚いている。

 斧を持っていたおじさんも口をあんぐりと開けて振り返っていた。だけど、この言い方に気を悪くしたのは私だけじゃない。


「友達の出身地をそんな風に言われるのは、あんまり好きじゃないわ」


 彼がいつまで経っても切れなかった太くて硬い木を、マイカちゃんは真下に突き出した拳一撃で半分に割っていた。


「な、なん……」


 私達の背後には、怒りに体を巨大化させたクーがいた。ギロリとおじさんを見下ろして、グルルルと唸っている。もちろん、彼らをどうにかするつもりはない。何も知らなければ、私達だってあの大陸をただの恐ろしいところだと思っていた。そこから悪いイメージを膨らませることなんて、きっと簡単だ。

 だけど今は違う。あそこで育った優しい人達を知っている。私達とこの村の人の違いなんて、きっとそれだけなんだ。


「行こう。宿ありがとうございました」

「ひっ……!」


 騒ぎを聞いて駆けつけてくれたおばあさんに宿代を渡すと、私とマイカちゃんはクーの背中に乗って、そのまま飛び立った。


 魔王なんていなくても、この世は不条理な事ばかりだ。身分や能力を隠して生きざるを得ない人、恐怖から他人を疎ましく思うことしかできない人達がたくさんいる。

 人は共通の敵を作る事で団結できるなんて言うけど、魔王という存在が信じられていて、それを討伐する為に勇者が動いていても、この世界に住まう人間達の軋轢は消えない。


 今は私にできることだけを考えよう。救える命を、救うんだ。

 散々怖がってきたルーズランドだけど、今は全然怖くなかった。


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