第70話

 怒りで体を巨大化させたドラゴンは、身を屈めて大きな腕を振り下ろす。後ろに飛び退いたマイカちゃんだったが、まだ攻撃に転じる気はないらしい。

 初手を軽々と躱されたことに彼は動揺したように見えたけど、止まることはなかった。そのままぐるりと回転して尻尾で周囲を薙ぎ払う。土煙を上げて、その風が私の前髪まで揺らす。

 視界がクリアになった先にいたマイカちゃんは、なんと尻尾を受け止めていた。嘘でしょ、それ受け止められるもんなの? 彼女は脇でそれを抱えたまま怒鳴った。


「アンタ! いい加減にしなさいよ!」


 ドラゴンは尻尾を掴まれて振り返ったままマイカちゃんを睨みつけていたが、視線を落とすと目を大きく見開いた。マイカちゃんの隣には雛がいたのだ。

 彼女は雛を庇った。それを理解したらしいドラゴンが次に攻撃を放つことはなかった。マイカちゃんは尻尾を放ると、助走を付けて投げたばかりの尻尾に乗り、間髪入れずにそのまま次の足を踏み込んだ。一歩一歩と歩みを進めて、あっという間に背中に飛び乗る。


「グオ!?」

「めっっっっ!!!!!!!!」

「ギャオォォ!!!」


 長い首を回してマイカちゃんの咥えてつまみ出そうとしたドラゴンだったが、彼の角と角の間、人間にとっての頭頂部に当たりそうなところに、マイカちゃんは拳を振り下ろす。


「なるほど、躾……」


 それは会心のげんこつだった。握り締めた拳を天高く振り上げて、叩きつけるように振り下ろす。一連の流れがお手本のように見事で、殴られたドラゴンのリアクションまで完璧で、私は思わず声を漏らした。


 いたたまれなくなったのか、ドラゴンの体はぐんぐんと縮んでいく。その間にマイカちゃんは背中から飛び降りて、雛の頭をひと撫でする。きゃうきゃうという可愛らしい鳴き声を上げて、彼女の足首に抱きつく雛はどこまでも無邪気だ。

 元の体格に戻ったエモゥドラゴンは申し訳なさそうにマイカちゃんに近付く。彼女は何も言わずに足元をビシッと指差した。おそらくは、この子に謝れ、ということだろう。彼は地面に手を付いて、雛の頬を舐める。何度も。雛は少し怯えているようだったけど、拒絶することはなかった。


「アンタ、私達と一緒に来なさい」

「……?」

「気に食わない事があったらそうやって暴れて。あの様子だと初めてじゃないんでしょ」


 ドラゴンは返事をせずに、じっとマイカちゃんを見つめていた。彼女の言葉を肯定して、話をきちんと聞いているという態度に見える。


「そんなことしてたら、みんなに怖らがれて、誰からも相手にされなくなるわよ」

「あぁ。マイカちゃんもよく一緒に遊んでた子にキレて叩いたりしてたもんね」

「ランの爪はあとで剥いでおくとして、分かった? クー」

「私への仕打ちがあまりにもなんだけど」


 でも、やっと分かった。

 そうか。だからマイカちゃんは、いけないことをしたあの子を、きちんと叱ろうと思ったんだ。みんな怖がって言えないだろうから。これはあそこにいる飛竜達の為であり、このドラゴンの為でもあった、ということだろう。

 さすが、似たような内容で孤立したことのある経験者は違う。なんて言ったらマイカちゃんじゃなくても怒りそうだから黙っておく。


「えっ、ちょっと待って。いま、クーって言ったよね? それ名前?」

「そうよ? 知らないの? さっき私が付けたんだけど」

「聞いてないから知らないけど!? 逆にそれ知ってたら気持ち悪くない!?」


 騒ぐ私から視線をそらして、マイカちゃんはクー……え、クーで決定なのかな……まぁいいけど……クーの方を向いた。手を差し出すように伸ばして、高らかに宣言するように言い放つ。


「だから、私が友達の作り方を教えてあげるわ。一緒に来なさい」

「クォー!」


 クーは高い声で大きく鳴くと、差し出されていた手に頭をすり寄せた。

 私は言わない。絶対に。でもマイカちゃん友達いないよね? とか言わない。何故ならば私はそれなりに自分の命が大切だから。


 私達が口論している間におじさんがすぐ近くまで歩いてきていた。全然気付かなかったと小さく驚きながら、事の顛末を話そうとすると、彼は手のひらをこちらに向けて、何も言うな、と言った。

 でも金額の交渉とかあるし……言わないわけにいかないんだけど……。困った顔のままマイカちゃんを見ると、彼女は精悍な顔付きで「連れて行くわね」なんて宣った。だから金額次第ではすぐに連れて行けないかもしれないんだってば……時が経てば経つほど言いにくくなってくる。そんなに大金は払えないって。

 伝説になるような古代種のドラゴンが安価に求められるだなんて思っていない。私は意を決して口を開いた。


「あの、金額についてなんですけど」

「金額? そんなもんはタダだよ。あいつは元々森で弱っているところを保護された。こいつがどんな人間を認めて、どう生きようとするのか、俺はそれを見届けたかっただけさ」

「え、じゃあ」

「代わりと言ってはなんだが、街で生活する間のこいつの住処や、食べ物はしっかりとな。どれ、好物をメモしよう。それと世話の仕方の基本もだ」


 私達は小屋に戻ると、クーを迎え入れる準備に必要な物などを教えてもらった。住居が決まるまでは、しばらくこの牧場で預かってもいいとおじさんは言ってくれたけど、マイカちゃんは出来る限り早く引き取りに来れるように努力すると誓っていた。

 まさかそこまで迅速な対応を心掛けていたとは。驚いた顔でいると、彼女は至極真面目な顔で言った。せっかく心を開いてくれたのにいつまでも一人ぼっちにさせる訳にはいかないでしょ、って。


 マイカちゃんは友達の作り方を教えてあげるなんて言ってたけど、クーの最初の友達は、マイカちゃんだと思うな。そんな風に思ったけど、なんだか野暮になる気がして、やっぱり黙っといた。



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