第148話

 男達が声を荒げて罵り合っている。拳が肌を打つ音が響いて、壁や地面にぶつかっては体勢を立て直して、相手へと向かっている。あそこを通るのはまだ難しそうだ。

 私達と向かい合うようにして立つ女は、うっすらと笑みを浮かべて、喧嘩の音なんて聞こえないって顔でいる。


「お二人とも、見かけない方々ですね」

「あ、えと。はい」


 この人、ホントになんなんだ。

 無害そうに見えるけど、怪しげなきのこ屋さんとのやりとりの様子からタダ者じゃないのは確かだろう。ただの上客? それにしては風格のようなものを感じる。こんなところで遣っていい言葉なのか分からないけど、下手な成金よりよっぽど真っ当なお嬢様に見えなくもない。


「どちらまで行くご予定かしら」

「……さぁ。あなたは?」

「ふふ。私のことをご存知ないだなんて。面白い方ですね。ちゃんと合言葉は言えましたか?」

「……えぇ」


 余計なことは言わない方がいい。さすがのマイカちゃんも今回は察したのか、女を観察するように見つめていた。クーは私と同じように何かに怯えている。その体は雪原にいた時よりも震えていた。

 女は有名であることを明かす様子に、疑わしいところは見られない。自らの力を誇示する目的ではなくて、本当にただの事実を述べただけのつもりのようだ。

 あまり深入りしない方がいいかもしれないけど、ここに来て初めてまともに会話ができそうな相手にも見える。偉い人のようだし、彼女なら何か赤の柱について情報を持っているかもしれない。警戒と打算で揺れ動いていると、彼女は懐に飛び込むような提案をしてきた。


「今晩の宿はお決まりで? よろしければ、うちに如何ですか?」


 私は返答に窮していた。どう答えるべきか、分からない。見たところ悪い人ではなさそうだけど、どうしても本能が警戒してしまう。しかし、そろそろ体を休めたいところではある。

 黙っていると、マイカちゃんが「ラン、お邪魔したら?」なんて言うから、私は一か八か、彼女の誘いに乗ることにした。


「そう。じゃ、いらして?」


 彼女はくるりと横を向くと、未だに掴み合っている男達の方へとずんずん歩いて行った。危ない、そう言おうとしたけど、男達は彼女を見ると慌てて壁に寄って「すいやせん!」と声を張り上げた。やっぱり目の焦点は合ってなかったけど、壁に体を押し付けて転びそうになりながら道を開けてくれている。

 おいたも程々にしないと、ね。そう言って笑うと私達に手招きをした。彼女の後を付いていって、そのまま八巻目に入る関所まで到達してしまった。しかし、ここで初めてのことが起こった。関所に立っている男に、合言葉を求められなかったのだ。男はただ、邪魔にならないようにと、巨体を精一杯壁に寄せて顎を引いていた。


「ラン、今の……」

「分かってる。あの人、思ってた以上にヤバい人かも」


 この奥に家があると言うなら顔パスなのも頷けるところだけど、彼女の顔を見た人々の反応から察するに、もう少し深い意味がありそうだ。

 不必要なことは言うべきでないとわかっていても、問わずにには居られなかった。


「もしかして……サカキさんですか?」

「ふふ。さ、着きましたよ」


 比較的太い通りから少し外れた路地で彼女はそう言った。着いたと言われたところはただの行き止まりだ。あぁもしかしてみんながグルになって私達を騙したのか、そう思って勢い良く振り返っても、予想していた背後からの襲撃は無い。正面に視線を戻すと、壁である筈の岩盤に、女性が肘まですっぽり埋めているところだった。

 なるほど、魔法で結界を張っているのか。騙されていると判断するのはまだ早いようだ。マイカちゃんと目を合わせてから壁に進む。何かにぶつかるような感触は一切無く、彼女と同じように岩盤を通り抜けることができた。


「うっそでしょ」

「なにこれ」


 中は、地下であることを忘れさせるような広さだった。というか、他の人間の居住スペースと比べると、いや比べるまでもなく明らかにスケールが違う。横穴を掘ってそれっぽい広さにしているだけの空間に見慣れ始めてきた私には、綺麗に塗り固められた壁や豪華な柱があるだけで上等な空間に見える。というか、こんな場所は地上でもなかなかお目にかかれないかもしれない。入ったところにまずホールがある立派な屋敷、地下であることすら忘れさせるような作りだ。

 魔法の類いで空間を拡張したり、建物を建築しているのだろう。そうじゃないと説明が付かない。

 ほえーと周りを見てると、大きな男が二人で私達を出迎えた。


「おかえりなさいませ」

「客人です。部屋に通しなさい。ご無礼のないように」

「はっ」


 で、結局あなた誰なの。先ほど躱されてしまった質問を頭の中でもう一度繰り返して、案内されるがまま歩みを進めた。


「ねぇラン……あとでお金を巻き上げられたりしたら……」

「きっとそれはないよ。オオノが言ってたでしょ、ここの連中は金目のものに興味がないって。きっと、お金を手に入れても使う術がないんだよ」


 マッシュ公国の配達員達の配達可能地区からも外れてるみたいだし、そもそもチリーンが使えるかどうかも怪しい。そんな私達にここまでする理由ってなんだろう。


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