第121話
翌朝。と言っても二、三時間後くらいだと思うんだけど。
マイカちゃんは私の腕の中で目覚めるとそのままぎゅっと抱き着いて、私の匂いをすんすん嗅いでいるようだった。臭くないならいいんだけど……何回もくんくんしてるしそれは大丈夫かな……? でも、猫とかは何回も臭いものを嗅ぎに行っては辛そうな顔してるし……何度も嗅ぐからといっていい匂いとは限らないか……?
「……おはよ、マイカちゃん」
「うん。おはよう」
二人とも、半分寝てるような声だ。ほとんど寝てないから、当然と言えば当然なんだけど。
「……昨日の話の続き、いい?」
「え、今?」
「うん。この寝ぼけた頭なら余計なこと考えずに言える気がしたから」
「じゃあ言って。都合の悪い言葉が聞こえたら私も寝たフリするから大丈夫」
「ちゃんと受け止めようね」
私は頭の中で少しだけ言葉と気持ちを整理すると、それをそのまま声にした。
「マイカちゃんにとっては不本意かもしれないけど、私は、今まで誰かをそういう目で見たことがなかったっていうか。この歳になって何言ってんだって思うかもしれないけど、本当に経験がないんだよね」
「そんなこと思う訳ない。ランが仕事熱心だったのは、誰よりも理解してるつもり。駆け出しの頃なんてほとんど毎日うちに来てたじゃない」
「……そっか、マイカちゃんは全部知ってるんだよね。まぁそんな感じだからさ、人とそういう意味で向き合ったことがなくて……」
「……」
あぁよくない方向で考えてるな、この子。
「私もちゃんと向き合ってみたいなって。元々異性とか同性とか、そういうの私は気にしないし。って、それもマイカちゃんは知ってるか」
「……それって」
「付き合うとかじゃなくて、悪いんだけどさ」
これが今の私にできる精一杯だ。ちょっと乱暴だけど、マイカちゃんが優しくて気の合う子だってことは、私も分かってるし。
今後のことはものすごく前向きに考えるってことでどうか一つ。そんなことを言おうと思ったんだけど、それよりも先に、体に衝撃が走った。
「折れる! 折れるよ!」
「ランーーー」
強すぎるほど抱きしめられて、本格的に生命の危機を感じる。肋骨とかその辺の骨が軋んでいる。まだ死にたくないと思いながらも、私は優しくハグを返した。
「ごめんね、全然年上っぽくなくて」
「いいわよ。ランのこと、五つも年上だって思えないし」
「え……」
それはそれで傷付くんだけど……。
年上としてしっかりしなきゃとか、少しでも年齢を意識してたの、私だけだったんだ……。
「よいしょっと」
「ちょっと? マイカちゃん?」
彼女は起き上がって片手で私の両手首をまとめると、頭の上で押さえつけた。相手がマイカちゃんじゃなかったとしても、こんな風に拘束されたらよほど力に差が無いと振り解けないだろう。
何コレ。はい?
マイカちゃんは空いた手で私の顎を掴むと、そのままキスをした。ポカーンとしてる私の顎を解放して、また抱き着いてすんすんと鼻を鳴らしている。え……?
「マイカちゃん?」
「何かしら」
「あの、今びっくりするくらい強引にキスしたよね?」
「だってランは私のことを好いてくれようとしてるのよね?」
「まぁ、そうだけど」
「肥料は与えるべきよ」
「あんな強引にしなくても嫌がったりしないから普通にしようね!!」
「……そうなの?」
「……え? そうでしょ」
寝る前に私からしてるじゃん……。ノリでしちゃったから、自分でもかなりびっくりしたけどさ。
私の返事を聞いたマイカちゃんはぴたりと動きを止めた。そして何も言わないまま赤くなった。やりにくいなぁ……。
このまま彼女を抱き枕にして二度寝してもいいくらい頭は働いていなかったけど、今日は行きたいところがある。私はマイカちゃんを腰から下ろすと身支度を始めた。
「どこか行くの?」
「うん。マトとオオノのとこ」
「……あぁ、そういえば、迷惑かけたわね」
「そういうこと。あと、クーにも」
「……そうね、ごめんなさい」
「クー!」
クーは私達が揃って朝を迎えたことを喜んでくれているようだ。差し出されたマイカちゃんの腕から肩に登ると、マイカちゃんの首に抱きついて「ぎゅー」と言っている。クーはたまに、甘えているときにこんな声を出す。
マイカちゃんへのハグが終わると、背中の小さな翼をぱたぱたと動かして、今度は私の肩に降り立つ。同じように”ぎゅー”をすると、私はクーの頭を人差し指で撫でながら謝った。
「これからも三人で一緒に旅をしようね」
「クッ!」
それから少しして、私達はいつもの装いで宿を出た。
今日は日差しが強く、街も心なしか昨日より活気付いてるように感じた。数時間前にマイカちゃんを探して飛び出した時とは大違いだ。まるで別の街みたいな印象を受ける。
寄り道等はせず、まっすぐマト達のところに向かおうとしていたけど、悲鳴が聞こえて立ち止まった。進行方向、つまり門の方から走ってくるおじさんはスカートを持ち上げて、さらにヒールを手に持って裸足で走っていた。
「お前ら! 逃げろ! ドボルだ!」
それを聞いて動かずにいるのは私達だけだった。早い人なんて、おじさんが血相変えて走ってきた時点で何かを察して走り始めていたくらいだ。
「……ドボルって何かな」
「知らないわよ。どうせモンスターでしょ。行くわよ」
「そうだね」
そうして、私達は人の流れに逆らって早足で門へと向かった。
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