第120話

 部屋に戻って来た私達は、クーを起こさないようにそっと部屋のドアを閉じた。並んだベッドに向き合うように腰掛けて、私はゆっくりと顔を上げる。


「……あの、さ」


 マイカちゃんは顔を伏せたまま、何も言わない。何がそんなに嫌だったのかちゃんと言葉にして教えて欲しいけど、それってマイカちゃんにとってはすごく辛い作業だろうし、無理に聞き出すような真似はできない。でもそうするとほぼノーヒントでこうなった原因を当てなくちゃいけないんだよなぁ……。

 私が難しい顔をしても、彼女はいつものように助け舟を出してくれたりしない。多分、分かって欲しいんだ。私に。


「……さっきの話の続きなんだけど」


 マイカちゃんはずっと視線を落としてシーツを見つめている。


「私、マイカちゃんが今日一日ずっと機嫌が悪かったのって、冗談でも「キスする?」なんて聞いたからだと思ってたんだ」


 昼間のことを思い出しながら続ける。できることならあの時に戻って馬鹿なことを言った自分を止めたいって思う。


「いくら値引いてもらえるからって、そんなこと言われて嫌だったんだろうなって」


 そこまで言葉にしてみても、マイカちゃんは何も言わない。


「でもさ、もしかして。冗談だったから怒ってる?」


 マイカちゃんははっとした顔をして、私をじっと見つめていた。震える唇が何かを言おうとしてるけど、なかなか声に成らない。どれだけかかってもいい、そう思って彼女の言葉を待ち続けた。


「……ったい……と……った、に……」

「え?」

「……絶対、分からないと思ったのに」


 つまり正解ということか。

 彼女が悲しんでる原因を探ることに夢中で、その答えを探り当てた後でどうしたいかなんて、全然考えてなかった。どうしたらいいの、これ。


「だって、ラン、バカだし……」

「え?」


 マイカちゃんの左拳が垂直にベッドを打つ。小手もしてないし、手加減もしてるみたいだから壊れることは無かったけど、次はないという威嚇には十分だった。黙って聞こう。


「……」

「……」


 マイカちゃんは何も言わない。先ほどとは違い、何か言おうとしている風にも見えない。


 重苦しい沈黙が流れる。

 これ、何の時間? 私から何かすべきかな?


「私、ランが好き」

「……うん」


 面と向かって好きと言われたことには驚いたけど、内容自体に驚きは無かった。会話の流れで分かるし。「うん」なんて返事じゃいけないことも、なんとなく分かる。


「私、これからもランと旅がしたい。でも、もう……何も知らないランと一緒にいるのは辛いの」

「……」

「何か言って」


 そりゃそうだ。マイカちゃんは何もおかしいことは言っていない。彼女は十分過ぎるほど、真っ直ぐ気持ちを述べてくれた。今度は私の番だ。


「……今更取り繕っても無駄だろうから言うけどね。マイカちゃんが私のこと好きなのは理解できたよ。それはいいんだ。でもさ、まずその前提が私にとっては突飛だったんだ?」

「どういうことよ」

「塩撒いてきてた子が自分のこと、そういう意味で好きだなんて思わないでしょ」


 そう、これが私の素直な気持ち。アクエリアとピコを渡る船の上で、嫌いじゃないとは言われてたけど、まさかこんな真剣に好かれてるとは思わなかった。


「旅を始めた頃にも聞いたと思うけど、私はマイカちゃんって私のこと大嫌いなんだと思ってたし」

「違うって言ったじゃない」

「言ってたけど、好きな人に塩撒くってさ……」

「好きだもん! ばか!」


 そんなムキになって好きって怒鳴らなくても……っていうか隣に響くかもしれないから声抑えて……。


「だって、お母さんが……マイカはランのこと好きって、バカにするから……パパも笑ってるし……私、そんな風に言われるの嫌だったから……」

「……あー」


 この間言ってたバカにするって、そういうことか。照れ隠しにしてはちょっと過激過ぎない……?


「……ごめんなさい」

「もういいよ」


 マイカちゃんに謝られると、私が辛い。知らなかったとはいえ、ずっとマイカちゃんに辛い思いさせてきたのは私なんだし。今はこれ以上話をする必要があるとは思えなくて……わたしは一つ、簡単な提案をした。


「とりあえずさ、寝ない?」

「……分かったわ」


 マイカちゃんは隣のベッドでもぞもぞと身支度を整えようとしている。違うじゃん。そうじゃないじゃん。


「え、ちょっと。そっちで寝るの?」

「……だって、私」

「もー! 別にいいよ! いっつも一緒に寝てたんだから、急によそよそしくならないでよ!」


 はっきりとそう伝えたにも関わらず、マイカちゃんはもじもじしている。こういう彼女はちょっと珍しいかも。


「ほら、上着脱いで!」

「うん……ラン、腕枕してくれる?」

「するから。ほら」


 ゆっくりと私のベッドに入ってきた彼女を迎え入れる。私の腕の上におずおずと頭を置いたマイカちゃんは、囁くように呟いた。


「ぎゅってしてくれる?」

「するってば。はい」

「おやすみのキスもしてほしい……」

「……はい。これでいい?」

「……おやすみなさい」

「はい、おやすみ」


 ………え!?

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