第247話
あんな戦いがあった後だとは思えないほど、墓地は静かだった。空気は澄んでいて、耳を澄ませば鳥たちの囀りが聞こえる。目を瞑れば、旅してきたことが全部夢だったような錯覚に陥りそうになった。
だけど、全部現実だ。私達がこの街を飛び出したことも、世界中を旅したことも、この街を守ったことも。そうだよね。
「……お父さん」
ミデス・フォリオ。墓石にはそう刻まれていた。周囲には朽ちかけている墓石もあるので、比較的新しく見える。だけど、綺麗には見えない。旅に出る前は月に一度、花を手向けに来ていた。数回に一度は掃除もした。だけど、今は少しだけ苔が付いている。
父の名前を見下ろして、私達は立っている。お父さんが亡くなって数年、私は今年も彼の命日にここに来られたことに安堵していた。来なくなったと思ったら命日にまでスルーされるなんて、さすがのお父さんも寂しがると思うから。
「うーん、掃除しよっか」
「そうね」
そうして私達は近くにあった共用の清掃道具を借りた。石を傷付けないようにやさしく磨きながら呟いた。
「私、旅してきたよ。もしかしたら知ってるかもだけど」
「そこで色んな人と会って、色んなことがあって、やっと帰ってきたところなんだ」
「知ってた? この街、とんでもない地雷が埋まってたんだよ」
私は笑った。伝説という、厄介で強大な力のことを考えて。もしあの時、私が一人で逃げ出していたら。死ぬ運命を受け入れていたら。この場所は守れなかった。いつも父に守られてきた私が、こんな形で守ってあげることになるなんて、考えてもみなかったけど。成し遂げられて良かったって、心から思う。
石を磨く道具をマイカちゃんに手渡すと、彼女はきょとんとした顔で硬直している。
「わ、私は雑草とか抜いてるからいいわよ」
「いいから。お父さんもマイカちゃんも、私にとっては家族だし」
だから、遠慮なんてしないで欲しい。そう言うと、マイカちゃんはやっと道具を受け取ってくれた。私は少し離れたところへと歩いていく。手向ける花を見繕うために、墓地の隣の草原に視線を向けた。
いつもは父が好きだった煙草やお酒をお供えしてたんだけど、あいにく今回はそんなものを用意する余裕がなかったから。もう少し落ち着いたら、そのときに改めて訪れようと思う。
風に運ばれて、マイカちゃんが何か言ってることだけは分かる。内容までは聞き取れない。だけど、なんとなく想像はつく。マイカちゃんのことだから、ランのことは私に任せてとか、そんな話をしてるんじゃないかなって。
木陰に腰を下ろして、そよ風の行方を追うように空を見上げた。どこかで嗅いだ匂いにハッとする。手近なところに生えている花を摘もうとして、手を止めた。ユーグリアに向かう道中で、似た匂いを嗅いだことを思い出したんだ。
「……すごいなぁ」
ハロルドで嗅いだ風の匂いと、どこかを重ねるような日が来るだなんて。私は自分の仕事が結構好きだし、多分そんなに暇でもない。今回の旅さえ無ければ、他の土地のことなんて、きっと知らないままだった。そして、私が知らないままだったかもしれないことはそれだけじゃない。
適当に花を摘み終えると、私はのんびりと戻った。とっくに掃除を終え、手持ち無沙汰になっているマイカちゃんはぼんやりと西の林を見つめていた。今も昔も変わらない、端整な横顔。いや、最近はまた大人っぽくなった気がする。
黙っていたら可愛い。昔の私はそう言っただろう。だけど、今の私なら、黙っていても可愛い、と思う。マイカちゃんと旅に出ることができて、本当に良かった。
「あ! ラン! 何やってんのよ!」
「ごめん、花を摘んできたんだ」
「良かった。私も掃除しながら、手ぶらで良かったの? って気付いたところよ」
私は石の元に花を置くと、改めてある話をした。
そんなに長い話じゃない。そして暗い話でもない。あと、ついでに言うと、誰かに事前に相談したり許可を取ったりもしていない。
「お父さん……私、これからマイカちゃんと暮したいと思ってるんだよね」
「!?」
「お父さんが遺してくれたあの家で」
「!?」
「あ、今は忙しくてそれどころじゃないけど、もちろんマチスさんとメリーさんにも挨拶するよ」
マイカちゃんは、目を見開いて私を凝視していた。言われてみれば、マイカちゃんにも言ってなかったかも……。だけど、そうした方が自然だし、そんなに驚かれると思わなかったな……。付き合ってたらいつかは一緒に暮らしてただろうし。ただ言う機会が無かっただけなんだけど……。
「ラン、私、それ、聞いてない」
「そうなんだよね、言いそびれちゃって。えっと、ごめん……?」
「……自分の言ってること、分かってるの?」
マイカちゃんにこんなことを言われるなんて、結構ショックだ。普段から、彼女よりは考えて喋ってるつもりだけど……。
「一緒に二人で暮らすって、結婚みたいなもんじゃない」
「うん、そうだね。……だめかな」
「はぁ〜!?」
動揺していた様子から一転して、マイカちゃんは拳をぐっと引いて、私の鼻先でピタリと止めた。こぅっっっっっっわ……。
「私に話してからにしなさいよ! と思ったけど、嬉しいからやっぱり許すわ!」
顔の前で止まった拳が開かれ、マイカちゃんはそのまま腕を伸ばして私の首を抱き寄せた。柔らかな感触を抱き止めつつ、「許されなかったら、私、鼻の骨折れてただろうな……。いや、もしかしたら顔面の骨ごと……今度からはちゃんと気を付けなきゃ……」と、冷や汗を流した。
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