衝突

第162話

 目を疑う光景だった。地下に住む人が大勢いるというのに、目の前の男は何をしているんだ。いや、正確には男達、か。ハロルドの街で会った格闘家、おじいちゃんみたいな魔法使い。勇者ご一行というのはこの三人のことだ。あのときから面子が変わっていないところを見ると、勇者の両脇を固める彼らも相当の手練なのだろう。


「フオちゃん。クーと行って。転送陣を探してきて」

「なっ……! ……いや、分かった」


 私は体よく、クーとフオちゃんを先に逃がした。正直、勝てる気がしなかったから。その上で誰かを庇いながら戦うなんて絶対に無理だ。マイカちゃんにだって無事でいて欲しいけど、彼女はそんなことを言っても納得しないだろう。それに、彼女にだけは、一緒に戦って欲しかった。本人もやる気満々だしね。


 勇者はフオちゃん達を見送った。巫女がいなくなればそれなりに厄介だろうに、あとでどうとでもなると思っているのだろうか。

 向こうが一歩足を踏み出しただけだと言うのに、双剣を抜こうとする指がびくりと震える。何をしてくるか分からない。久々に見る彼のオーラは、やっぱり唯一無二の目映さを放っていた。さすが、勇者と呼ばれるだけある。


「……お久しぶりです」

「そうだね」


 彼は淡々とした表情でじっと私のことを見ていた。これまで彼らの軌跡を辿ることになって、分かったことがある。それは……多分、彼は怒ったりはしていないということ。

 怒りというよりは、面倒だと思っているだろう。思わぬ障害となって立ちはだかった私達のことを。

 纏うオーラだけが繊細で、きらびやかで。その顔面に張り付いているつまらなさそうな顔とはえらい違いだ。あれが彼のニュートラルなのだろうか。それとも、あれもまた、演じた姿なのだろうか。


「君達。柱の封印をしてるよね」

「そうですね」

「やめてくれないかな」

「分かりました。じゃ」


 やめるワケがない。馬鹿なことを訊いてくる奴には、不誠実な返事をすると決めている。私は勇者に背を向けようとした、その時だった。

 とてつもない衝撃波が飛んでくる。風の精霊の力を借りて、私は咄嗟にそれを空に弾いた。


「っはぁー……帰っていいなんて言ってない」

「……帰るのにお前の許可なんて要らない、でしょ?」


 今の一撃、私はかなり怒っていた。私が空に弾かずに避けていたら、何巻目かは分からないけど、巨大な衝撃波はきっと集落まで届いていたはずだ。人の命が眼中に無いクソ野郎め。いや、もしかすると、ヒノモトの住人を私を足止めする材料くらいにしか思っていないのかも。何とも思っていないのではなく、使い捨てていい駒だと思っている、と。

 どちらにしても気持ちのいい話じゃない。優しい近所のお兄ちゃんみたいな顔をして、魔王ですら思い付かなさそうなことをやってのけるとは。目の前の男が人間に見えなくなってくる。


「あいつ、地下から出て来たってことは、地下の一部も壊したのね」

「……だろうね。で、帰っていいって言ってないってことは。マイカちゃん」

「安心しなさい。死ぬ覚悟も、殺す準備も出来てるわ」


 そう言ってキッと目付きを鋭くする。マイカちゃんが死ぬ覚悟なんて、しなくていいのに。私は言葉を飲み込んで双剣の柄をぐっと掴んだ。


「あのさ。君達。邪魔。ここで死んでもらうから」


 勇者がそう言うと、隣に居た袖の無い拳法着を来た格闘家が一気に距離を詰めてきた。迎え撃ったのはマイカちゃんだ。彼女は勝るとも劣らない速度で反応して見せる。あの勇者ですら目を見開いて意外そうな顔をしていた。


 格闘家の突きを紙一重で躱して蹴りを繰り出す。たった一つの立ち合いで、マイカちゃんと対峙している男がこれまで戦ってきた誰よりも強いんだ、ということが分かってしまった。

 マイカちゃんの攻撃を受け止めても、雪玉を当てられたみたいな涼しげな顔をしている人なんて、見たことがない。おそらく、彼はマイカちゃんの力量を見定めようと、手を抜いてウォーミングアップ代わりに手合わせしているつもりなのだろう。


「オレがヤり合ってきた女の子の中じゃ一番強いかもな」

「きっしょく悪い言い方してんじゃないわよ!」


 マイカちゃんの後ろ回し蹴りが空を切る。響いた豪快な風切り音に、格闘家は笑って「女でこれはすげぇな」なんて言っていた。

 いちいち気持ち悪い奴だけど、マイカちゃんもまだ本気を出しているようには見えないので、少しくらいなら猶予があるだろう。私は勇者と魔法使いに視線を向けて、既に始まっている戦いに巻き込まれないように近付いた。


「あぁ。俺、一応勇者だから。信仰系祝福の効果が落ちるから、殺しはヴォルフさんに任せるよ」


 勇者は余裕そうな表情を浮かべると、両手を上げて一歩下がった。仲間に殺しをさせることに、何の罪悪感も感じていないらしい。


 ヴォルフと呼ばれた細ちっちゃいおじいちゃんの魔法使いは、木製の杖をついて少し前に出た。杖が腰の為か魔法の為か分からないような容姿なのに、一度対峙すると鳥肌が立った。


 ——あ、この人、ヤバい……


 長くて白い眉でほとんど隠れた目は何を見ているのか。彼は朝を待つ空に、杖をかざした。


「……!?」

「あぁ、安心してよい。周りを無闇に破壊しないために、結界を張ったんじゃよ」


 言われてみれば、そんな気がする。風の流れが変わった感じがするっていうか。彼が最低限ヒノモトを考えてくれているとすれば、それは不幸中の幸いだった。魔術師のガチンコバトルなんて、多分周りにすごい迷惑かけるから。まぁ私は鍛冶屋なんだけど。


「なぁんて言うと思ったか? 嘘じゃ、嘘。お主らを逃がさない為に閉じ込めただけ、周囲が安全になったのは副作用のようなもんじゃよ」


 カッカッカッ! と笑って、ヴォルフさん……ううん、ヴォルフのクソジジイは、杖を構えてしゃきっと立った。さっきまでのよぼよぼ歩きが嘘みたいだ。嘘みたいっていうか嘘だったんだろうね。


「上等だ、ぶっ飛ばしてあげる」


 手の内はまだ見せない方がよさそうだ。私は剣から手を離すと、目の前の男に意識を集中させた。

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