勇者√←ディレクション!
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プロローグ
ラン・フォリオという女
第1話
お世辞にも広いとは言えない、古びた作業場。
そんな空間で、私は無心にハンマーを振り下ろしていた。
「はぁー……もう無理。これ以上やると変にしちゃいそう」
握っていた剣の柄とハンマーを離すと、作業用の小さい椅子から腰を上げて床に座り込んだ。そうして手を後ろについて、なんとなしに天井を見上げて、この街のことを考えてみる。
「もう夕飯食べて寝たいな……」
ここは天空都市、ハロルド。肩書きの通り、宙に浮いた街だ。
グレーテストフォールという、世界最大の滝の上に位置し、
各国の長が魔王の勢力に対抗すべく移民を大量に送り込み、街を大きくした。内側にいる人の数だけ強くなるという結界が張られているので、居るだけで価値がある。というのが、私達ハロルドに住まう人間。
分かりやすく言うと、ここは人間達の最終防衛ライン。ここが突破されるようなことがあれば、あの巨大な滝からおびただしい数の魔族が放たれることになるし、そうなったら多分人間じゃ対処できないと思う。
いるだけで価値があるというのは紛れもない事実だけど、生活そのものをどこかの国が手厚くサポートしてくれるわけじゃない。街の立地が非常に不便な中、なんとか生活を営んでいるのが現状だ。
大きな滝は観光資源になり得るだろうけど、いかんせん場所が悪い。ここはインフェルロックと呼ばれる山がそびえ立つド真ん中に位置しており、なんとなくそりゃまぁ魔界に通じる穴も開くわ、という立地だったりする。
それでも、街を訪れる人はそれなりに居た。特に、セイン国が管理するドラゴン騎士団が乗っているスカイドラゴン達は、元々はここの周辺モンスターなので、彼らを休ませたい騎士がひっきりなしに出入りしてる。滝のしぶきを浴びるのが好きな子が多いというのは、この街に住まう者なら誰でも知っている常識だ。
冒険者も少なくない。滝のふもとには魔法陣があって、そこに乗ると街の入口にワープできる仕組みになっているので、誰でも気軽に出入りすることができる。まぁ出入りするだけなら、だけど。
さっきも言ったけど、ここは立地が最低最悪だ。魔王がこの世界を見渡して「あ、ここに現世との穴掘ろ!」ってなったにしても、なんとなく世界中の負のエネルギー的なものが漂っていたらしゅっとここに集まりましたって感じだったとしても、とにかくここに魔界の通路があることには全く違和感がない。インフェルロックに生息しているモンスター達は、これまで幾人もの冒険者を葬ってきた強敵ばかりだ。
周辺には街もなければ、体を休められるようなところだって滅多にない。大抵の者は大きな用事がない限りは外には出ないようにしている。
「はぁー……立つのもめんどくさい」
どうして私が物思いに耽っているかというと、もう手が痛いからだ。鍛冶屋の三代目として亡き父の後を継いだものの、仕事は父のようにはこなせないし、あんまり言いたくないんだけど、多分私、この仕事向いてない。もう断言する。絶対向いてない。
なんでハンマーで金属を叩くような力仕事かつ、繊細な技巧が求められる作業を自分にこなせると思ったのか、自分でも分かんない。びっくりするくらい謎。
人間には諦めも肝心、ということで鍛冶の腕の向上はなんていうか、のんびりでもいいかなって思ってる。
他で打ってもらったという武器を持ち込む冒険者達の装備を見て「こんなんでよくお金取れるな」と思うこともあるから、多分、腕が悪いってことはないと思うんだけど。私の父と、父のライバル兼友人のマチスさんが優秀過ぎるんだ。
この街の鍛冶屋は、街の西側にある私の店と、東側のマチスさんのお店の二つだ。彼と父は腕を磨き合い、たまに協力し合って、この街をハンマーと溶けた金属で支えてきた。
父無き今、私は彼と張り合うだなんてことはせずに、仕事で困ったことがあったら素直にヘルプを求めたりしている。私とマチスさんじゃレベルが違い過ぎて対抗意識を燃やすことすら失礼って感じだし。
だけど、彼は私のことを認めてくれているらしくて、むっとした表情を見せつつも、追い返されたことは一度もない。
ちなみに彼の娘は、私を見かける度に塩を撒いてくる。極東のある地域では太った人が塩を撒いてから押し合う競技があるらしいけど、もしかしたらそれの真似なんじゃないかってくらい、すごい勢いで撒いてくる。あと押してくる。
今の今まで私が打っていた剣は、冒険者の持ち込みで、魔界に行く前に装備を整えたいとかでしばらく預かっているものだ。彼が魔界に行けるかどうかは置いといて、その志は素晴らしいと思う。
元々大切に使っている剣なのだろう。使い込まれた形跡はあるけど、こまめに店に出しているのが見ただけで分かる。
何が言いたいかというと、要するにこんな状態のいいものを持ち込まれても、私にできることなどほとんどないということ。
刀身を磨いて、ほんの少し、本当の本当にほんの少し潰れてるところがあったから、そこを叩いて直してあげようと思ったんだけど、なかなか上手くいかない。思い通りの角度、強さ、場所にハンマーを振り下ろすって本当に難しいんだ。
私が知っている鍛冶職人は優秀な人しかいないから、これも予想なんだけど、多分この修正すべきポイントに気付けるってことは、やっぱり私はそこそこなんだと思う。でもさ、分かっても直せないんじゃしょうがないんだよ。多分、小さい頃から父の仕事を見続けてきたから、目だけはそれなりに養われているんだと思う。
私は荷物をまとめて時計を見る。やっぱりマチスさんのところに持って行こう。そう決めると、夕飯のお邪魔になる前にと家を出た。
小振りなリュックに簡単な仕事道具を詰めて、手には預かった剣を持って。首からぶら下げた作業用のゴーグルは外していこうか迷ったんだけど、もういいや。これが私のトレードマークみたいなところあるし。
よく見ると、鞘のベルトも少し痛んでいる。これは自分でどうにかできそうだから、帰ってきてから直しておこう。
夕刻の町並みはいつだって幻想だ。滝からの天然のミストが赤く染まる夕陽に滲んで柔らかく街を包んでいる。これで出歩く人間がいつも通りのメンツなら言うこと無しなんだけど、最近は物騒なのが多い。
一応、冒険者ということになってるけど、ゴロツキみたいなのも少なくないんだ。多分、各国の国王が出した命のせいだと思う。魔王を討伐せよっていう、ね。
歴史的に見ても、これまで魔王を倒したことなど一度もない。というか魔族の子孫であるモンスター達が蔓延ってはいるけど、彼らと魔族は既に別物として進化を遂げているので、そこで噴水を浴びながら人間の主人に喉を鳴らすスカイドラゴンが、人類の敵になったりすることはないだろう。
要するに、わざわざ魔王を滅ぼす理由などないのだ。と、私は思う。彼らが別の通路を使ってこの世界を蹂躙しようとしているなら、すぐにでも対策を打つべきだと思うけど。そんな話は聞かないし。
とにかく私は、国王の舵取りに共感できない。完全に安全な世界のため、と王は謳っているけど、諍いの種になる予感しかしないというか。そんなこと、不敬罪になりそうだから、人には言えないんだけど。
街の真ん中の広場にさしかかると、私は足を止めた。広場の中央には立派な台座があり、そこには剣が刺さっている。
古ぼけた代物だけど、噂じゃ引き抜いた瞬間にピカピカになるとか。本当かどうか知らないけどね。確かめようがないんだ、あれを引き抜いた人なんて一人もいないから。
一応、街の観光の目玉とも言える物なので、私のお店でもレプリカを飾っている。私が父の背中を追いかけて作った、試作品第一号だ。いま見れば、磨きが甘くてところどころ煤けてるし、型が歪んでいたのかヘロヘロだ。でも飾ってる。あれを見ると、初心を思い出せるから。こうしてみると、私も職人としてなんだかんだ成長してるんだなって思える。
台座に背を向けて歩き始めたとき、後ろで「俺が抜いてやる」という声が聞こえた。しかし私は振り返らない。
だってどうせ抜けないから。遠くなっていく「いーん!」だとか「ぐぅぅ〜!」という奇声を聞きながら、私はマチスさんのお店のドアを叩いた。
「ランか。どうした」
「ちょっとこれ見てもらいたくて……ごめんなさい、忙しいでしょうけど、今日のはすぐ終わると思うので」
「いやいい。今日はもう切り上げるところだったから、ちょうど良かった」
顔を上げて作業台から離して立ち上がると、マチスさんは私を見下ろして、手から剣を取った。
鍛冶屋はドワーフの仕事であるイメージが強いのか、小柄な職人を想像する人も少なくないそうだけど、そのイメージからいうと、彼は全く真逆の体付きをしている。
背も高いし、とにかくゴツいし、あとヒゲはない。いつだったか、あまりにも人相が悪くなるからヒゲは伸ばさないんだと教えてくれた。
ところどころ煤けたり焦げたりしている厚手のエプロンと、手に持ったハンマーのおかげでやっと鍛冶職人であることが分かる、という風貌だ。
「これだな」
「はい、ちょっと潰れてるところがあって」
「………………あぁ、言われてみれば、ほんの少しだが」
マチスさんは剣を何度か軽く振って、見ただけじゃ分からないような修正ヶ所がないか、ついでに確認してくれているようだった。しばらくしてから、彼は作業台にその剣を置くと言った。
「ランの言う通り、その点以外は問題なさそうだな。すぐ終わる、上で待っていろ」
マチスさんは居住スペースに行くよう促すけど、私はいつもそれを無視する。自分の尻拭いをさせて、その成り行きも見ようとしないなんて失礼過ぎるからだ。
これはマチスさんの優しさ、だけではない。見られてるとやりにくいんだと思う。作業を見られることを嫌う職人は少なくない。その上、私は技を盗もうとガン見する。やりにくいのは当然とも言える。
「ミデスが死んで、そろそろ八年か」
「はい」
「いくつになった」
「二十五です」
「もうそんなか」
マチスさんの作業中、私達が交わした言葉はそれだけ。寡黙な人だから、これでもたくさん話せた方だと思う。
ヘルプ分の代金として、私は精霊石をテーブルに置く。現金は絶対に受け取ってもらえないから、精霊の加護を付与した石を置いていくことにしている。これを武具に当てると、加護が乗り移り、祝福を授けることができるのだ。マチスさんと、あとお父さんもそうだったんだけど、二人ともそっち方面はからっきしだったから。喜ばれて、さらに私がしてあげられることと言えば、これくらいしか思い浮かばなかった。
「あら、ランちゃんじゃない。またお仕事? 大変ねぇ」
声に振り返ると、階段を降りてきた女性が手すりに手を置いたままこちらを見つめていた。彼の奥さんのメリーさんだ。ブロンドの髪を後ろでまとめているだけのシンプルなヘアスタイルが逆に、彼女の美しさを引き立てている。美人は何をやっても様になるから、ちょっとズルいと思う。
「はい……また手に負えなくて、マチスさんに助けてもらってたんです……」
「いいのよ、この人が装備をいじるのは趣味みたいなものだから、たくさん頼ってあげてね」
マチスさんが喋らない代わりと言ってはなんだけど、メリーさんは気さくで優しくて面倒見がいい。本当に、こんな素敵な夫婦から、どうしてあんな呪いの塊みたいな女が生まれたのか、全くもって理解できない。
「お夕飯はこれから? よかったら一緒にどうかしら」
「ありがとうございます。でも、まだちょっと仕事が残っているので、お気持ちだけ頂いておきます」
「そう……本当に、偉いわね」
父が亡くなったとき、メリーさんは私をたくさん励ましてくれた。元々母がいなかった私にとって、メリーさんはお母さんみたいな人だ。私が仕事に打ち込む姿に、思うところがあるんだと思う。
でもね、本当に仕事残ってるんだよね……今朝めっちゃ寝坊したから……昼間もこの剣にかかりきりで、その上ほとんど進捗もなかったから……笑っちゃうよねぇー……。
あとあの子にまた塩を撒かれるのがイヤ。結構イヤ。
私はマチスさんから剣を受け取ると、お礼を言って店を出た。カランカランという心地良いチャイムの音色をバックに歩いていく。陽が落ちかけて、家々には明かりが灯り始めている。
仕上げてもらった剣を見ると、私とメリーさんが雑談している少しの間に、柄まで磨いていたらしいことが分かった。もしやと思ってベルトを見ると、そこは綺麗に補修されていた。
「ホント、敵わないなぁ……」
私は、ハロルドの住人、ラン・フォリオ。
二人暮らしだった父を亡くして、その家業を継いで、周囲の人々に恵まれたおかげでなんとか幸せに生きている女。
そして、父の親友の、一番のファンだ。
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