第237話

 戦いの場に急いで戻ると、明らかに魔法で切り取られたような不自然な空間があった。黒い霧のようなものがかかっていて、中の様子が窺えない。それは広場の一部を巻き込んで、立方体の形で大きく周囲を覆っている。

 クーやフオちゃん達が、心配そうな顔でその霧を見つめていることから、化け物とマイカちゃんはあの中にいるのだと容易に想像が付いた。


「あれが、ワールドエンドガーデン……?」


 お前何言ってんだって顔でフオちゃんがこっちを見てるけど、言ったの私じゃなくてマイカちゃんだからね、その視線やめて。


「ラン、戻ってきたのか。回復してくか?」

「ううん、ちょっと擦りむいただけだから。それに、フオちゃんはニールのことで疲れてるでしょ」

「まぁ、そりゃそうだけど……」


 彼女は疲れていることを隠さなかった。もしかすると、今もニールの体に魔力を流し込んでいる最中なのかもしれない。今の私の体じゃ、それを知ることはできないけど。

 ニールはフオちゃんの手を引っ張って、触って欲しいところへと手を移動させている。事情を知らない人が見たら絶対にいかがわしい現場だと勘違いすると思う。


「行くの? ラン」

「もちろん」


 クロちゃんはそう言いながらも、私の返答なんて最初から分かっていたという顔をしている。

 少し離れたところから、こちらへと歩いてくる人影が見える。あれは……レイさんだ。


「やっほー。みんな生きてる?」

「レイ、それ、洒落になってない」

「半分洒落じゃないしね。にしても、マイカちゃん……やっちゃったね」

「どういうこと?」


 レイさん曰く、この黒い霧は一種の結界のようなもので、この場に在りながら、居なかったことになっているらしい。


「え? ごめん、分かんない」

「多分、マイカちゃんはこれ以上街を壊れないことを優先したんだよ。周りを巻き込まないように、専用の空間を作ったんだ。あたしも聞いてたよ、あの子の詠唱。箱庭って言ってたよね」

「あっ……」


 そうだ、彼女はそう言ってた。マイカちゃんは今、自分とあの化け物を魔法で作った空間に閉じ込めているんだ。そうして、一人で全てを背負って戦っている。心配そうな顔をしているクーに微笑みかけると、私は声を張り上げた。


「マイカちゃん! いま行くからね!」


 しかし、彼女の作った結界に変化はない。こちらの声が届かないのかもしれないけど……だとしたら、私はどうやって加勢すればいいのだろう。


「レイさん……」

「声が届いてないんだろうけど、だとしたらそれは術者の意思だよ」

「どういうこと……?」

「ランちゃんは偶然、直前に結界の範囲から外れたでしょ」

「うん」

「……自分が命を賭けるだけで恋人が生き残れるなら。ランちゃんならどうする?」

「……そんな」


 まさか……いや、マイカちゃんならやりかねない。


「ひどいよ……私には散々怒ったくせに……」


 自分を犠牲にして戦うなんて、絶対にしないでって。言ったじゃん。それなら、マイカちゃんだって、同じことしちゃ、ダメじゃん……。

 私が無茶をする度に、彼女にこんな気持ちを味わわせていたのかと絶望し、だけどすぐに顔を上げた。


「行かなきゃ。……来ないでって、言われたとしても」

「行くって、どうやって」


 クロちゃんの問いに、私は即答した。この剣の力があれば、と。それを聞いたフオちゃんとニールはおもむろに立ち上がる。二人とも、無茶していい体じゃないのに。


「馬鹿か、ラン。お前の力はあいつにぶつけろよ」

「そういうことですわ。私、もう一踏ん張りならできますわ」

「え、ちょっと」


 この子達は、一体何をするつもりなんだろう。

 レイさんの合図に合わせて詠唱を始める様子は、滝の裏に双剣を封印したときのことを彷彿とさせた。


「あっ……霧が……!」


 霧の一部が晴れていく。人一人、ようやく通れるくらいのスペースが、あと少しで開きそうだ。そうか、彼女達は最後の力を振り絞って、私を中に入れてくれようとしているんだ。

 詠唱を終えたレイさんは、すぐ近くに立っていたクーの背中をポンと叩いた。クーは体を小さくしていて、二人はちょうど同じくらいの背丈で見つめ合っていた。レイさんは何も言わなかったけど、クーは大きく頷く。自分が何をすべきか、分かっているという顔だ。


「二人の入れ替わりに関わっているのは、あたしら巫女と直結してる女神四人と、剣に宿っていた女神の二人。つまり、六人と精霊の力がマイカちゃんの魔法の源になってるってこと。巫女のあたし達だけじゃ、ピースが足りない」

「それは、分かるけど……」

「クーは、二人とずっと旅をしてきた。エモゥドラゴンのクーなら、双剣に宿っていた女神二人の力に共鳴することができるはず」

「行けー! クー! やったれー!」

「やったれですわー!」


 なんかすごい勢いで囃し立てている外野がうるさいけど、理屈は分かった。

 これまで、体を大きくすることでエモゥドラゴンの力を使ってきたクーだったけど、今回は違うようだ。


「グオオオォォ……!!」


 全身に力を込めて、大きく息を吸い込む。そして、霧が晴れかけていた場所へと、火炎放射を放つ。ただの炎ではない。体と同じ色の、黄金のブレスだ。太陽の光を集めたような優しくて暖かい光は、私達にとってのクーそのものだと思った。


 ブレスは道を見事にこじ開けた。私はみんなが開けてくれた穴を目指して駆け出す。

 霧の中に飛び込む瞬間、クーの咆哮が背中を押してくれた気がした。


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