第75話
翌日、私達は牧場に顔を出して、駐竜場が見つかったという事と、引き取りは数日後を希望する旨をノームさんに伝えた。彼は準備が順調であることを知ると、静かに笑って「また来い」とだけ言った。
午前中はその報告だけで潰れそうだ。街の中心地に戻りながら空を見上げる。マイカちゃんは公国の中を観光する気満々らしいけど、私にはまだ彼女に伝えていない予定があった。
「このあとはどこに行く? 私としては行政区の方とかをぐるっと一周したいかなって思ってるんだけど」
「ごめんね。実は、私はルークに付き合ってもらいたいって思ってるんだ」
「……ルークにはフィルがいるでしょ」
「そういう意味じゃなくて! 私、この地域の呪文を知らないんだよ。だから調べたいんだけど、本が読めないし。ルークが空いてるなら付き合ってもらうかなって」
マイカちゃんは「なんだ、そういう意味だったのね」なんて言ってニコニコしている。観光の予定がおじゃんになったというのに、なんだか嬉しそうだ。
ルークが空いてなかったら、せっかくだしマイカちゃんの提案に乗ろうと思うんだけどね。でも、私達と同じくルークも近々大きな仕事が控えてるんだから、このタイミングで忙しくしてるなんてことはないと思う。
私達は西区のハブル商社の建物に向かった。中に入ると、ルークがロビーで地図を見上げているところだった。
「ルーク! ちょうどいいところに」
「どしたの?」
「一緒に図書館に来てくれないかなって」
「図書館?」
呪文を調べたいと告げると、ルークは少し驚きながらも快諾してくれた。どうやら剣撃の補助以外に魔法を使うとは思われていなかったらしい。そういえば使ってるの見せたことなかったかも。
ルークの提案で馬車に乗ると、三人で横一列に座る。真ん中は私、左の窓際がマイカちゃん。窓の外の景色が見たいだろうと思ってそこに座らせてみたけど、案の定彼女はキラキラした目で外を眺めていた。
口からキラキラを出さないことを祈るばかりだ。すぐに降りるって言ってたから多分大丈夫だと思うけど……。
「にしてもすごいね。まさかどこで降りても一律200チリーンだなんて」
「でしょでしょ。ホント、この国の交通機関とそれを利用した影響力だけは本物だよね」
「影響力?」
「ランは不思議に思ったことがない? 言葉も統一されていない各国が同じ通貨を使っていることを」
言われてみればそうだ。その国独自の通貨を使っていてもおかしくないのに。色んな国を巡ってきたけど、どこもチリーンという共通の通貨を使用している。これって、すごいことでは?
「その昔、マッシュ公国国王が各国のお偉いさんに提案したんだよ。同じ通貨を使わないかって。まぁ色んな国に色んな物を運ぶにあたって、国によって通貨が違うのが面倒だったからなんだけど。他の国にとっても悪い話じゃなかったみたいでさ」
「なるほどね。まぁ便利だもんね、何かと」
「そうそう。使用通貨の価値の違いでお金儲けしていた人達は反発したみたいだけど、流通が止まるよりマシだったんだろうね」
うーん、そう考えるとマッシュ公国って本当にすごい国なんだな。城壁で国の中を守ってるから、てっきり閉鎖的なところだと思ったけど、実はどこの国よりもしっかり他国を見つめている気がする。
私が感心していると、馬車が止まった。ルークが立ち上がったので、私達も後ろを付いていく。馬車から降り立って見上げると、そこには古いながらも立派な建物があった。
「ここがマッシュ公国の図書館。魔道書関連は探したことがないから何処にあるか分かんないけど、流通や飛龍の関連書が多かったと思うから、その他のエリアを見ていけばきっとすぐ見つかるよ」
彼女の言葉通り、魔道書はかなり狭いコーナーだった。その中からそれっぽい本をいくつか手に取って適当な席に着く。
マイカちゃんは暇そうに頬杖を付いて、本を開く私を見つめていた。まぁ、退屈なのは分かるけどね。文字が読めないから他の本を読んで待っとくこともできないだろうし。でも、そんなあからさまに退屈そうな顔しなくてもいいじゃん……。
「マイカはこれ読んで待ってたら?」
「何よ?」
「さっきそこで見つけたんだよ、外国語の書物のコーナー。ルクス地方の本らしいから、読めるんじゃない?」
「へぇ。まぁ何もないよりはいいわ」
「あ、ルクス地方の文字は読めるよね?」
「私はラン以外も殴るのよ」
笑顔で拳を握るマイカちゃんをそっと諫めて隣に座らせた。ルークはあっちの文字を読めないらしいから、それが何の本か分からずに持ってきたようだ。タイトルは、【格闘家としての心得】。ホントはルクス地方の言葉読めるんじゃないの? ってくらい適切なチョイスに驚いたけど、そんな風には見えない。すごい偶然というか引きの強さだ。
とりあえず、これで私は自分の調べ物に集中できる。じーっと見られてたら、なんだかやりにくいし。私はルークにあれこれと聞きながら関係のありそうなページを探していった。
目ぼしい呪文をメモして外に出ると、もう日が落ちかけていた。多分、普通に文字が読めてたら一時間くらいで終わったんだろうけど……。
結局、ルークにも半日付き合わせてしまった。嫌な顔一つせず手伝ってくれた彼女には感謝しかない。ルークってこんなだから女の子にモテるんだろうなぁ……。
帰りに竜の餌なんかを買い込んでハブル商社の建物に帰ると、ロビーでドロシーさんと気難しそうな顔をした初老の男性が、真面目な顔で打ち合わせをしていた。私達は顔を見合わせて、邪魔にならないように階段を目指す。
しかし、ドロシーさんはおもむろに立ち上がると、ルークを呼び止めた。釣られて振り返ると、彼は言った。
「二人もちょうどいいところに。例の仕事の決行日が決まった。今晩だ。資材を置いたら上の事務所で待機していてくれ」
「……分かりました」
初老の男性はただの使者のようだ。「くれぐれも慎重にお願いします、主人はあなた方を信頼しておられます。良い結果を待っていますよ」、そんなことを言い残して帰ってしまった。
予定が早まってまだ心の準備みたいなものができなかったけど、そんなことは言ってられない。ルークも真剣な顔で頷いていた。マイカちゃんは私達の倍の量の荷物を抱えたまま、スタスタと階段を上がって行った。今更ながら、あのマイペースさは一種の才能だと思う。
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