第86話

 吊り橋を渡ると、小屋はすぐに見えてきた。馬車が止まると、マイカちゃん達は荷台の後ろから地上に降り立つ。私もルークの手を借りて座席から降りると、すぐにドロシーさんから荷物を渡された。大きいけど、中身は軽い。パンが入っているようだ。


「重いのは俺とマイカで運ぶから、二人は軽いのを頼む」

「私が重い物を持つのはまぁいいけど、リードは?」

「リード様は荷物の一部として預かってるんだ、そこは仕事として手伝わせる訳にはいかないだろう」

「なるほど。リード、あんたお荷物だってさ」

「そういう意味ではないだろう!?」


 マイカちゃんは胸を触られたことを相当怒っているらしい。まぁ私も同じことされたら怒るかもしれないけど……どことは言わないけど結構な平族だからあんまり想像できないんだよね、自分の胸が触られるっていうシチュエーション。なんだろ、なんか悲しくなってきた。


 私は箱を抱えて玄関に立ってドアを引く。だけど鍵が掛かっていて開かなかった。私の後ろを追いかけるように駆け寄ってきたリードさんがポケットから鍵を取り出すと、扉を開けて荷物の搬入をしやすいようにしてくれた。


「ポケットに鍵が入れられていた。全く、私が途中で目覚めて、積み荷に混ざっていると気付かれなかったらどうするつもりだったんだ」

「まぁ出発からかなり時間が経つことが想定されてたしね。途中で気付かれるのも計算の内だったんじゃないかな」

「なるほど……それにしても驚いたぞ。目が覚めたら身動きが取れないし、なんかチクチクするものがカンカン刺さってくるし……」


 それについては本当に同情する。山賊の出る場所の先に運ばせるなんて、大臣さん、かなり本気で怒ってたんだろうなぁ……。

 この小屋はマッシュ公国の観測所として使われていた場所らしい。竜の観測所。それがこの小屋の名前。こぢんまりとしたボロ屋に見えていたけど、そんなかっこいい名前が付いてると知ると、なんとなく見る目が変わってしまう。

 この渓谷の上を様々な種類の飛龍が飛んでいくから、その昔生態調査に使われていたんだとか。

 竜と共存しているマッシュの人達らしいと思った。ハロルドの人達も飛竜とはかなり仲良くしていたと思うけど、周辺のインフェルロックに観測所なんか作っても、すぐにモンスター達に壊されそうだしね。もしかしたらこの世界で唯一の竜の観測所なのかもしれないと思うと、ちょっとロマンチックな気すらした。


「荷物は全部下ろしたか?」

「今ので最後よ。さっきルークが運んだ荷物の中に着替えがあったと思うから、あんたは早く着替えなさいよ。臭いわよ」

「芳しいと言ってくれないか!」

「イヤよ、臭いわよ」

「くっ……!」


 おしっこの臭いを芳しいと言えとはまた高度な。マイカちゃんに顎で指された箱を開けて、リードさんはいそいそと服を取り出す。どれを着ようかと物色しながら、彼女はぽつりと呟いた。


「ちょっと待て。今、ルークと言ったか」

「そうだけど。馬車を運転してた子の名前よ」

「……貴様」

「あーあ、バレちゃった?」


 ルークは相変わらず飄々としていたけど、リードさんは違った。闘争心を剥き出しにして彼女を睨み付けている。

 その横では、ドロシーさんがあちゃーという顔をして額に手を当てている。そういえば、ドロシーさんは自己紹介の時にルークの名前だけ言わなかったな。あれ、意味があったんだろうか。


「ルークという名前の女を、私は二人も知らない。貴様が神速のルークか」

「……さぁ、私はそんな名前を自分で名乗ったことはないよ」

「いや、ブリットホースの乗りこなしといい、間違いないはずだ」

「……だったら何?」


 急に険悪なムードになってしまった。だけど、リードさんは話をするか着替えをするかどっちかにして欲しい。半裸で真剣な顔でルークと向き合わないで。ドロシーさんが手で顔を覆って、耳まで真っ赤にしてるから。可哀想、セクハラだから、それ。


「大会に出たら優勝確実のくせに出てこない。国がルークの出場を拒んでいるんだ、そんな噂があるのを知っているか」

「知ってるよ。私はそういうの興味無いし。それにお祭りの時期は色々と忙しいからね。遊んでる暇なんてないんだよ」

「遊び? 建国祭のメインイベントが遊びだと?」

「遊びでしょ。お金にならないんだもん。そんなのよりも、私は仕事が大切なんだよ」


 なんとなく見えてきた。この二人の関係性。ルークが積極的に彼女に挨拶したがらなかった理由も。


「言ったな? よし分かった。お前が祭りの期間中に稼ぐのと同等の金額を私が支払おう。これでお前が大会に出ない理由はなくなった」

「わざわざ優勝候補を増やしてどうするつもり?」

「お前がいないおかげでリード王女は優勝できてる、そんな風に言われるのはもうたくさんだ。理由など、それだけだ」


 それでも私は、ルークは断ると思うな。この仕事ってお金だけじゃないし。信頼で成り立っているような間柄のお客さんの依頼を無碍にするなんて、彼女はしないと思う。短い付き合いだけど、彼女の行動理念くらいは私だって理解してるつもりだ。


「ふぅん。ま、いいよ」

「え!? いいの!? 断ると思ったのに」

「うん。実を言うとね、フィルから聞いてるんだ」


 ルークの表情がすっと冷たく、いや、鋭いものになる。それはいつも人懐っこい表情で人と接する彼女が初めて見せる、本気の怒気を孕んだ顔だった。


「私の彼女のこと、しつこくナンパしてくれたんだってね」

「なるほど、お前もこっち側か。俄然楽しみになったな」


 ルーク……これ、かなり本気で怒ってる……後ろではマイカちゃんが「やったれー! ルークー!」なんて楽しそうに囃し立てている。

 私は、あんまりルークを応援する気にはなれないかな。このままだと気迫だけでリードさんのこと殺しそうなんだもん。

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