第146話


 地下に降りた私達が見たのは、丸くくり抜かれた大きなモグラが掘ったみたいな道と、その入口で倒れている人だ。人が倒れているのをヒノモトで見るのは初めてじゃないけど、ここは外ではなく地下だ。通路の穴は、背の高い男の人なら屈めないと通れないくらい狭い。道を塞ぐような形で倒れられると都合が悪かった。一応、等間隔で照明が設置されているみたいだけど、ところどころチカチカと明滅を繰り返していて、視界は結構悪い。


「なによ、これ。踏んづけていいかしら」

「外にいる人みたいに近付いたら私達を襲うつもりかもよ」

「じゃあどうすればいいのよ」

「殺せばいいじゃん」


 そう言いながら私は伏した男の反応を見た。ピクリともしない。顔は見えないけど、呼吸しているかどうかも怪しく思えてきた。

 マイカちゃんは私のトンデモ発言に驚いた顔をしたけど、すぐに何故こんなことを言ったのか思い至ったらしく、「それもそうね」なんて言って肯定して見せた。


「……」

「……」

「行こっか」

「そうね」


 本当に寝ているか、もしくは事切れているようだと判断した私は、彼の股のあいだや、脇の隙間を通って、なんとか六巻目に足を踏み入れた。が、振り返ると、マイカちゃんは男の背中に可愛い足跡を付けて私にくっついた。

 普通、踏む……? マイカちゃんの体格で跨ぐのはキツかったのかもだけど……踏む……?


 唖然としたけど、いつまでも気を抜いてはいられない。七巻目を目指そうとしたところで、背後で大きく咳き込む声が聞こえた。慌てて振り返ると、男は倒れたままの姿勢で喀血かっけつしていた。オレンジ色の薄暗い照明の元でも、あれが血だって分かる。


「人が踏んだ直後に血を吐くなんて、失礼ね」

「背中踏む方が失礼なんだけどね」

「さ、行きましょ」


 男の体はびくびく! と激しく痙攣してから動かなくなった。でも私達はふぅんという様子で進むべき方を向いた。

 二人とも恐怖が麻痺しちゃってるっていうか、こんな最初っからビビり倒してたら保たないと思ったのか。案外普段の調子のまま、できるだけ足音を立てないようにして前へと進んだ。


 油断していると見間違えそうになるけど、かなり近い間隔で、部屋のような空間が設けられている。パラパラと横にスライドさせる薄い板が扉の代わりとなっていた。目隠しにはなるだろうけど……この区画に住んでいる人達には、音を遮るという発想は無いようだ。

 視界が悪いせいか、やけに聴覚が研ぎ澄まされている感じがする。だから、ねちゃねちゃと何かをかき回すような音や、誰かのげっぷといった、どちらかと言うと聞きたくない音まで耳は拾ってきた。

 枝分かれしてる細い路地からも不穏な音が聞こえる。路地の先はどんどんと細くなっていて、大体は暗い。そこから嘔吐するような声や、息切れみたいな短く途切れる声が聞こえてくるのだ。たまにゲラゲラと笑う声も。どれも気持ちのいい音ではない。

 途切れ途切れの声が聞こえてきたときは、マイカちゃんが路地をちらりと覗こうとしたので、手を繋いでよそ見しないように引っ張った。あの声の正体が何か、大体想像つくし。マイカちゃんがその手の話題にどれくらい耐性があるかは分からないけど、多分無い。普通の子より無い。


「……臭いわね」

「まぁ、いい匂いであることは期待してなかったでしょ」

「そうね。ただ想像以上の臭さだわ。私達は一時的に訪れる場所だから我慢してるけど……住んでると分からなくなるものなのかしら」

「どうだろうね……」


 私は思った。私はともかく、マイカちゃんの装備って確か革製だったような……臭い取れなさそう……って。あれも結構着てるし、新調してあげても全然いいんだけどね。私からのプレゼントって部分に少しこだわっているみたいだし、手放すの嫌がりそう。

 のんきにここを出た時のことを考えて、足場の悪い何故かぬるぬるした道を一歩一歩進んでいく。そういう現実逃避をしてないとやってらんないくらい臭くて怪しくて怖いところってことなんだけどね。


 路地から調子っ外れな酷い歌が聞こえてきて不気味に思っていると、関所のような場所に着いた。一見行き止まりに見えるけど、鉄製の板が数枚垂れ下がっていて、一応奥への道は続いているように見える。これまでと違うのは見張りがいないことだ。いや、正面の道だけじゃなく、両サイドの壁にも板が垂らされているから、そこから出てくるのかも?


「……!」


 目の前の光景に気を取られたせいか、張られていたロープに気が付かなかった。繋がっていた鈴が頭上でチリンチリンと響く。


 周囲を警戒したけど、何も無い。私達は不思議に思いながらも、面倒が起こる前に七巻目へ立ち入ろうとした、その時だった。


「っ……オイ、勝手に入るのはマズいだろ、お嬢ちゃん達」

「私達もそんなことしたくなかったけど、誰も来なかったし」

「ちっ……おーい! てめぇ! てめぇの時間だろうが!」


 顔色の悪いおじさんは慌てて壁から出てくると、私達を引き止めた。そしてすぐに、向かいの空間にいるであろうもう一人の見張りを怒鳴り付ける。

 おじさんは怒ってぶら下がってる板をガラガラと除けて怒鳴り込もうとしていたけど、私はそれを片手で制止した。やめて、そう言うように、空間を遮る扉代わりの板とおじさんの間に腕を滑り込ませたのだ。


 中で何が起こってるかは大体分かる。っていうか女の人の声が垂れ流されてるから嫌でも分かっちゃう。私はそんな下品な光景をマイカちゃんに見せたくなかった、それだけ。やめて、マイカちゃん。隙間からちらちら覗こうとしないで。ねぇ、私せっかく止めたのに、ちょっと。


「……ま、いいか。久々だな、関係者以外でここを通りたがる奴なんて」

「関係者って、どういう意味?」

「……合言葉は」

「ぺ」

「……マジかよ。通れ」


 せっかく道を開けてもらったというのに、マイカちゃんはいまだに隙間から男女のそれを覗こうを頭をうねうね動かしていた。

 この合言葉、もしかしたらとんでもないものなんじゃないだろうか。男の子もヤヨイさんの名前を聞いただけであんな風になっちゃったし……なんて、真面目に考えることは山ほどあるのに……。

 今は声が漏れ聞こえる空間の中の様子を、鬼のように気にするマイカちゃんを引っ張って、七巻目に向かうことだけを考える必要があるようだ。

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