第137話


 ヤヨイさんが向かう方向から察するに、きっと一旦宿に戻るつもりだったのだろう。私は駆け寄って彼女の名を呼んだ。


「ヤヨイさん!」

「ランか。なんていうか、変な縁だな。私達も」

「そうですね。……いいんですか? オオノのこと」

「あぁ。別に構わない。今生の別れにするつもりは流石に無いしな。サツキには、まだ時間が必要だ。その時をこの街で、マトと過ごしたいと言うなら、もうそれ以上言うことはない。無事でいてくれて、本当に良かった」


 彼女は噛みしめるようにそう言った。あぁ、この人は本当に、ただオオノのことが心配だったんだなって伝わってきた。

 先を急いでいる様子はないけど、あまり長く呼び止めるのは申し訳ない。私は気になっていたことを単刀直入にぶつけることにした。


「あの、不躾かもしれませんが……どうやって海を越えてきたんですか?」

「あぁ。舟に乗ったんだ。火の国には、いや火の国と言ってもラン達には伝わらないか。ルーズランドの住人はその大陸を火の国と呼んでいる。で、火の国には成人するまでに自分の舟を作る風習がある。何かあったら外に出られるようにというのが始まりらしいけど、今はただの儀式みたいなものだ」

「へぇー……」

「サツキもそうだった。赤の柱の封印が解かれて数日後、あいつの舟がなくなってることに気付いて、私達はあいつがここを去ったことを知ったんだ」

「なるほど」


 もっと突飛な方法、例えばその土地の人しかしらない転送陣があるとか、そういう理由を考えてたんだけど、そんな便利な物は無い、か。

 彼女の言葉を聞いてそんなことを考えていると、ヤヨイさんは声のトーンを少し落として耳打ちするように聞いてきた。


「……マトは、サツキの恋人なのか?」

「えぇ、まぁ。ちゃんと確かめたことはないですけど、ほぼ間違いなくそうだと思いますよ」

「やはりそうか……マトがいる手前言いにくかったんだが、サツキには自国に許婚がいたんだ。それがフオ、赤の柱の巫女だ」

「へ!?」


 いきなりヤヨイさんの口から飛び出した旅の目的とも言える単語に驚いてしまった。


「フオが火の塔に入ることが決まってから、不憫に思った周囲が適当に女を見繕った。政略結婚のようなものだが、とんとん拍子に話が進んでって……フオが塔に入る頃にはサツキとフオは何でもない友人として扱われていた」

「なんていうか、可哀想ですね。オオノ」

「馬鹿言うな。可哀想なのは私だ」


 そうか。きっと弟がいなくなって、ヤヨイさんも苦労したんだろう。政略結婚させられるくらいの地位の一族なら、その辺がめんどくさくても何ら不思議ではない。


「その辺の面倒を片付けて、私はやっと旅に出ることができたんだ。だからこんなに遅れてしまった」

「なるほど……じゃあ、これから戻るんですか? ルーズランド、いや、ヒノクニに」

「まさか。戻っても面倒ばかりだ。私はな、自慢じゃないが、サツキがあの国を嫌う気持ちを、おそらく一番理解している人間だ。もう少し旅を続けるとするよ。ランも旅人だろう? どこかいいところは知らないか?」

「それなら……」


 考える素振りを見せてはいたものの、私の中の答えは決まっていた。しばらく会っていない懐かしい顔を思い浮かべながら、あの国の名を挙げる。


「ここからならマッシュ公国がいいですよ。自由ですし、あそこは移動用のドラゴンも手に入れやすいです」

「まさか、ラン達がクーと呼んでたドラゴンも?」

「そうです。しばらくそこに住みたくなったら、ミケオフィスのフィルさんを訪ねてください。マンスリーから部屋を貸してくれているので」

「そうか!」


 次の目的地が決まったヤヨイさんは街の入口にある門を凛と見つめていた。


「すぐ行っちゃうんですか?」

「あぁ。とりあえずサツキがここにいることは分かったし、もしドラゴンを調達できたら会いに来るのも難しくはないだろ」


 そう言ってヤヨイさんは笑った。実に晴れやかな、気持ちのいい笑顔だ。だけど、私はこれからの道中を思うと少し気が重かった。


「それにしても、面倒を片づけた、か。やっぱり大変な土地なんですね」

「いいや、お家騒動のようなものだ。私にとって面倒だったというだけで、ランには何の影響も無いから安心しろ」


 お家騒動、か……政略結婚とか言ってたし、色々な思惑が渦巻く泥沼だったのはなんとなく察しがつくけど。戻ろうとしないヤヨイさんのことを考えると、よっぽど面倒だったんだろうな。生まれがいいというのも考えものだ。


「戻りたくないというのはだな、なんやかんやあって、サツキが結婚する予定だった女と私が一緒になることになったからなんだ」

「はい!?」

「驚きだろう。周囲の人間はオオノファミリーとサカキファミリーがくっつくことしか考えてなかったから、丸く収めるためにはそれしかなかったんだ。当然、私は女の愛し方なんて知らないし、どう接したらいいかも分からないから、正直帰りたくない。弟を探したいと気持ちに嘘は無いが、私は心のどこかで、あの面倒な環境から逃げる大義名分を探していたんだろうな」

「……あの、変な言い方するようですけど、ヤヨイさんって奥さんがいるってことですか?」

「……奇妙なことに、まぁ、そういうことになっている」


 妙な沈黙が流れてどちらからともなく誤魔化すように笑い合う。あの性別不詳なオオノの姉だけあって、ヤヨイさんに奥さんがいると言われてもあんまり違和感はない。本人は嫌がってるみたいだから言わないけど。


「ではな。世話になった」

「こちらこそ」


 そうして私達は、手を振って別れた。

 私達とヤヨイさんの旅の道筋は真逆だ。それがここ、ユーグリアという街で交錯したに過ぎない。それを寂しく思いながら、だけど、知り合えてよかったと思った。

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