第203話
私は逸る気持ちを抑えたくて、代わりにクーの背中をそっと撫でた。鱗で覆われた金色の身体は少し冷たい。撫でられたことに気付いたクーは、上機嫌でグオーと言いながら少し高度を上げる。
これまでと同じ高さで飛んでたらぶつかっちゃうからね。そう、私達の眼前には冒険の始まりの地、インフェルロックが広がっていた。
グレーテストフォールの中心を目指していくと、段々と霧が濃くなっていく。言われても気付かないかもってくらい薄いそれが濃霧に変わるまで、あまり時間は掛からなかった。
「今日に限って、厄介ね」
「ま、ここは年中こんな感じだしね」
滝が関係しているのだろうか。このインフェルロックの中でも、グレーテストフォールに近い場所は霧に覆われていることが多い。ハロルドも季節の代わり目なんかには、霧で見通しの悪い日がやってきたりする。
私達は足場が見えている内に地上へと降り立った。クーが岩にぶつかったりしたら危ないから。クー自身は不満そうな声を上げていたけど、お願いして何とか降りてもらった。物足りなさそうな顔をして、なかなか小さい体になろうとしない。
「クー。駄々っこしないよ」
「グルルルル……」
「なに怒ってんのよ!」
「グゥオォォ〜……」
何か不満を訴えているようだ。とりあえずは体調が悪いとかじゃないみたいだけど。むすーっとした顔で私をじっと見つめている。私の言葉はクーに通じるのに、クーの言いたいことは全然分からない。私、飼い主失格だな。
「多分、まだ飛べるって言いたいんだよね? でも、この霧だから。クーが怪我してからじゃ遅いんだよ」
なんとか納得してもらおうと、クーへと手を伸ばす。私がクーに触れるよりも早く、マイカちゃんの声が響いた。
「ラン! 話は後よ!」
振り返ると、少し離れたところから何かが歩み寄ってくるのが見えた。霧で影が動く様子しかほとんど見えないけど、でも、分かる。だって臭いから。あれは、ゾンビキマイラだ。
「うっわ……」
双剣を構えて戦闘に備える。マイカちゃんは私の肩に手を置くと、右の拳から精霊の力の炎を放った。見事に命中した炎は、ゾンビキマイラの足止めに成功する。というか、あれはほっといてももう大丈夫そうだ。ただ、一つだけ問題がある、それだけ。
「くっっっっさ! なんで燃やすの!?」
「ランが私の左側に立ってたから咄嗟に右手の力使っちゃったんでしょうが!」
「それ私の不注意じゃなくない!?」
言い合いをしても臭いのは無くならない。というかどんどん臭くなる。色んな意味で、ここから早く離れるべきだと思っていたのに。人生って色々とままならないと思う。
「ちょっと、あれ、何よ」
「うーん。言いたくないけど、ゾンビキマイラの大群、だね」
「やっぱり?」
攻撃したゾンビキマイラが燃えてごろごろと暴れているおかげで、ほんの少しだけその周囲が見やすくなる。奥の方に、さらに何かの影が蠢いていた。少なくとも五体はいるように見えた。
「……もしかして、クーはこいつらの臭いにいち早く気付いてて、それを教えてくれようとしてたのかな」
「有り得るわね。私達なんかよりもずっと鼻がいいでしょうし」
駄々こねてるだけだって思ってごめん。私は敵の気配に気を配りつつも、すぐにクーに謝った。そんなこと気にするなとでも言いたげに、じっとクーは忍び寄る敵を睨み付けている。
「ラン、どうするのよ」
「マイカちゃん。あのさ、危ないから下がってて」
「なっ」
「あんなのに触りたくないでしょ。毒持っててもおかしくないし」
マイカちゃんはなんとか食い下がろうとしたが、私の意志は固い。旅に出て初めて遭遇したのがこいつらだった。私達にとっては因縁深い相手と言える。そのときは剣の力だけで、まぐれでこいつを氷漬けにできた。苦戦していた印象のある敵と恋人を戦わせたがる人なんていないだろうから、彼女の反応は至極全うだと思う。
だけど、それも過去の話。私だって、あの頃の私とは違うんだ。
「大丈夫だから。ね。試したいこともあるし」
「……分かったわ」
私は氷の刃を両手で構えて、刀身のサイズはそのままに、横に大きく振った。刃の軌道をなぞるように青白い氷が空中に生成されながら、敵の方へと真直ぐに飛んでいく。
やっぱりそうだ。氷で刃をコーティング出来るのであれば、軌道上に生み出すこともできるはず、という思惑が見事にハマった。しかもこの霧だ、凍らせる材料は揃っている。
風の精霊の力も借りて勢いよく前方へ飛ばすと……やっと見えてきたおぞましい姿、ゾンビキマイラ達の脚の辺りをスパッと斬り落として、胴体がごろんと一斉に地面に転がる。
痛みに鈍感なのか、そんな姿になっても無言で芋虫みたいにもぞもぞも動こうとしている。この旅で見て来た中でも、かなり高ランクの気味の悪い光景だ。
「ちょ、ちょっと、ラン……あれ、キモいわ……」
「う、うん……まさかあんなことになるとは思わなくて……」
新たに閃いた戦い方を試したい一心だった私も悪いと思う。キモいし、なんかちょっと可哀想になってくる。霧でよく見えなくて良かったかも、なんて。
目の当たりにする光景にたじろいでいると、横から一匹のゾンビキマイラが飛んできた。端の方に居て斬撃を免れたらしい。
「ラン!」
「大丈夫!」
飛びかかろうと地面を蹴った最後の一体に、今度は剣を槍のように突き出す。先程と同じ要領で飛ばした鋭利な氷の塊が、ゾンビキマイラの腹部を串刺しにする。吹っ飛ばされた敵は岩の上で転がって、すぐに動かなくなった。
「今の、私の攻撃に似てるわね」
「うん。真似したんだ。私もあれ出来たら楽だなーって思って」
そう言って振り返ると、クーはやっと体を小さくしてマイカちゃんの肩に乗ろうとしていた。体をよじよじされながら、マイカちゃんは呟く。
「私もランの攻撃の真似してみようかしら……と思ったんだけど、ランの攻撃で真似したいことって、魔法以外何も無いわ」
「傷付くよ、それ」
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