塔からの脱出

第184話

 転送された先、それは舟の上だった。女性四人だからぎりぎり乗れましたという窮屈さを感じる。多分、恰幅のいい人が一人でも混じってたらアウトだったと思う。

 舟は真っ暗な水路をゆっくりと進んでいるようだ。舟の縁を掴む手が誰かとぶつかる。小手をしている、ということは、私のすぐ後ろに乗っているのはマイカちゃんということだろう。既に嫌な予感しかしない。


「まさかと思うけど、ここでモンスターと戦えなんて言われたら無理だぞ」


 後ろの方からフオちゃんの警戒するような声が響く。帰り道に敵襲に遭ったことは一度も無いから、その辺は多分安心していいと思う。そうフオちゃんに伝えると、私は先の見えない暗闇を見つめた。


 視界がゼロで舟に乗っていると、平衡感覚が失われやすいのだろうか、私まで酔いそうになる。マイカちゃんは大丈夫……なわけないか。彼女の心配、というよりは自分の背中の心配をしながら、私はぎゅっと舟の縁を掴む手に力を込めた。

 徐々に舟のスピードが上がっているような気がする。用心しない人なんて、きっといないと思う。


 ——それではみなさん。さようなら。またお会いできる日を心待ちにしておりますわ


 ミストの声を聞いたマイカちゃんは、随分と丁寧ね、なんてことを言いかけたけど、それは不完全な状態で終わった。だって舟が急降下を始めたから。


「おほほほほほほほほほ!!!」


 ぎゃあとかうわあとか、それぞれの悲鳴が水路に響く中、何故かニールだけはお上品に高笑いしている。恐怖で頭おかしくなっちゃったのかな。元々おかしかったけど。

 心臓がきゅってなる。口を開けて悲鳴を上げていると、風に煽られて口の端がびろびろと波打ってる感じがした。とにかくすごいスピードと傾斜で、舟は塔を下っていく。実質出口とはよく言ったものだ。

 ミスト……塔を司る女神の中で一番性格が悪い、間違いない。


「いんっ……」

「いっ……!!」


 動揺したマイカちゃんが、何故か舟ではなく、前に座っていた私の腰と胸に腕を回した。恐怖で強張る体、腕にこもる力、圧迫される胸部、止まる呼吸。

 マイカちゃん、怖いのは分かるけど、私死んじゃうから。それも多分すごく苦しむ方法で。


「っか……っち……」


 何か言おうと思ったんだけど何も言えない。舟が落ち続けている間、声を発することはおろか、みんなの悲鳴を聞き取る事すら難しくなっている。あぁ、ホントに死んじゃうなぁ。

 意識が途切れかけたところで、高い空が視界いっぱいに広がる。久々に見上げる空がなんだか恋しくて、天国に来ちゃったのかななんてぼんやりした。


「こ、怖かったぁ……何よあれ……」

「お、おい……お前の腕の中のラン、大丈夫か?」

「どう見てもこの世の者とは思えない顔をしてらっしゃいますけど」

「はぁ? なんで私がちょっと捕まっただけで……って、ラン! ラン! 何やってるのよ!」


 私は生きてたらしい。っていうか酷いよね、マイカちゃん。私の意識を半分くらい天界に飛ばしといて「何やってるのよ」って。生きるということしてたんだよ、直前まで。私は深い呼吸を繰り返しながらそんなことを考える。けど何も言わない。というかそんな余裕がない。今は呼吸で忙しいよ。

 私達はまだ舟の上に居た。どうやら、塔からこの湖に戻されて、あとは適当に陸地に辿り着け、ということらしい。すごい投げっぱなしな女神だ。


「……………………っはぁ、死ぬかと思った」

「クーは? 大丈夫?」

「クオ……」


 マイカちゃんの中で私への心配タイムは終わったらしい。今度は自分の肩や首にしがみついていたクーに話し掛けている。私とは大分対応が違って、あやすように触れる指からは優しさが垣間見えた。

 頭を撫でられているクーは目をつむったまま、とりあえず返事をしてくれた。彼女の側にいたということは、どこかにぶつかったりもしていないだろうし。私が一番心配だったのは、振り落とされて一人だけであの拷問のような水路を溺れながら下ることだ。多少辛そうでも、クーがここに居てくれるんだったら、それだけで他の出来事は些細なことに思えた。


「クーが辛そうだから、少し舟で移動しない?」

「まぁ、いいですわね。湖畔のデート……優雅な私にピッタリですことよ」

「ニールには私とマイカちゃんが見えてないのかな」

「今すぐ見えなくしとく? ニールの方を」

「舟から放り投げようとするのはやめてあげて」


 私はマイカちゃんを制止すると、氷の刃を引き抜いた。女神に念じて刀身を氷で覆い、さらに先端を少し幅広にしてもらった。あとオアシスの水を凍らさないようにお願いもしておく。私が欲しかったのはただのオールだ。この舟はあの狂ってるとしか思えないような水の坂を下るの専用で、漕ぐ物は何もついていなかったから。

 重いし漕ぎ方が分からないしで上手く進めずにいたら、マイカちゃんが後ろから手を回して、見よう見まねで漕いでくれた。同じ道具を使っているとは思えないくらい、舟がぐんぐん進む。


 私達が結構ヤバい組織を相手にバトっていることなんて忘れさせるくらい、湖は静かで、透き通っていた。無駄な争いをして、この綺麗な場所を汚したくない。旅をすればするほど、勇者を止めなきゃいけない理由が増えていく気がして、私はなんとも言えない気持ちになった。


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