那須軍VS関白軍
那須資晴から今後の朝廷と帝の立場そして何より史実において関白は朝鮮への出兵を行い多大な被害を朝鮮王国に与え何も得られず実際は敗退し朝鮮王国の民より数百年に渡る死者の怨念と怨恨を生み出す事に衝撃を受けていた、関白の暴走を生み出した原因の一つとして朝廷の事なかれ主義があり朝廷を支え庇護する大名には官位を与えて売買していた実態と五摂家などの有力な公家に帝が行うべき差配も任せており、責任という行為を他力に頼り運営していた事も上げられた。
此度の小田原成敗と言う関白が起こした戦に備えた三家は必ず勝利出来るとの那須資晴の説明を聞き安堵するも、那須資晴によればその後の日ノ本の政に三家が表にはまだ出ない事が告げられた、まだその時が到来していないとの話であり此度は帝の威光によって和議が行われなければならないと、帝が表に出て初めて関白は退く事が出来るとの説明であった、但し三家の提示する条件は関白にしてみれば大変に厳しい内容となるであろうと。
小田と那須の海軍は明智十兵衛が率いる8千の兵と真壁が率いる5万の兵を降ろし真壁は大阪に、十兵衛は一路京の大内裏に向かい帝の住まう都を護る事に。
「明智殿! 無事に出来たようでありますな、帝も一安心しております、和議については某が使者となりましたのでその際はよろしく願います」
「山科様度々のお役目ご苦労様であります、那須の御屋形様の御話では我らと真壁様の軍勢が大阪を囲みましたので間もなく三家側が攻撃を始める頃になります、攻撃が始まりましたら一ヶ月後辺りに何らかの動きがあるかと思います、山科様の出番はその時となります」
「ではこれより一ヶ月を過ぎた辺りと考え帝と詳細を詰めて起きまする、一日も早く終わる事を願っております!!」
── 大海将 ──
三家の海軍が合流し数日間に渡り小田原の相模湾を艦隊行動にて敵の水軍衆に威圧を与える小田大海将、無事に京と大阪城を包囲したとの報を受け攻撃を開始する事に。
「z
相模湾で艦隊行動をしていた小田大海将は遂に攻撃を開始した、最初の目標は正面一番右端にいる江ノ島側に配置していた九鬼の水軍であった、九鬼水軍の鉄甲船は全部で12隻が江ノ島から熱海までを点々として間隔を開け浮き砲台として停泊しておりその内側に村上水軍の戦船が配置されている、小型の伝馬船が密集し海からの三家侵入を不可能にしていた。
信長の発案で作られた鉄甲船は諸説があるものの実に巨大な船と言えた、全長約40m 下部横幅11mから最大幅甲板部で14m 喫水線までの高さ3m その上部となる矢倉の高さ5m この矢倉とは甲板から下の風雨を凌ぐ部屋であったり船倉の部分になる、この矢倉は二層に別れており下層に船を櫓で漕ぐ引手の水手が両側に配置されている片側78人(二人で一つの櫓を漕ぐ)両側で156人の水手、上部には大筒の大砲が片側3門、両側で6門の大砲が設置されている、そして信長と言えば鉄砲、矢倉内に鉄砲を撃つ為の鉄砲狭間が多数あり、さらにこの船の威容は甲板から上部に3階建ての城曲輪が建てられている、簡単に言えば城の天守閣がある、さらに甲板で戦う兵士が控える侍屋敷が2棟ある、喫水線より上部の矢倉高さ5m部分を厚み3mmの鉄板で覆われた船こそが鉄甲船である。
鉄甲船が造られた目的は当時村上水軍の武器である焙烙玉によって信長の水軍が燃やされ完敗した経緯があり鉄砲の攻撃と焙烙玉の攻撃による被害を受けづに戦える戦船であり、日本史上最初に造った軍艦と言えた、但し船を動かす動力源が水手による人力という弱点があり基本的には浮き砲台としての役目になる、何しろ重量があり軽快に動く事が出来ないという大きな弱点があった。
一方の三家の海軍が操る戦船はジャンク船と呼ばれる船であり大きい帆は3枚でヨットと同じく風向きに合わせて帆の向きも変えられ強風であれば帆を折りたたむ事が出来る、但し3000石船の場合帆が5枚、長さ約50m 最大横幅約12m 喫水線約5mの全体が鉄甲船より細目で足が速い船であり波を掛け分けて進める様に船低の形はやや丸美を帯びた形状となっている、片側に矢倉内から打ち出せる大筒8門あり合計16門の戦船、1000石、500石、300石船にそれぞれ大筒が装備されている、50石の戦船には大筒は無いものの船足に特化した船で船体の走行性能と横波にも耐える仕組みとしてアウトリガーを取り入れた船で三家の艦隊は構成されていた。
※大航海時代のヨーロッパで活躍した船の多くはキャラック船と呼ばれる船で新時代が切り開かれた、外洋の荒波に耐えて風に強い船、帆の数も多く船足も速い船です、一見するとジャンク船と似ている船になります、 日本の船が西洋と比べて進化しなかった理由は外洋に出て行くという発想が乏しく海で乗る船又は貿易で利用する船は日本沿岸を走る船であった為と、又、鎖国政策が大きく影響したと言えよう。
── 那須家vs関白軍 ──
「小田殿が動き始めた、我らもこれより軍議を開き陣を押し上げる!! 半兵衛皆に再度説明せよ!!」
「はい、では第一部隊を率いる将は蘆名資宗様はこの富士川の河川敷一番左側の橋になります、第二部隊を率いる将は武田義信殿は真ん中の橋になります、第三部隊を率いる将は山内一豊殿は一番右側の橋になります、山内殿の部隊におりました柴田勝家殿とアインとウインの部隊は特別攻撃隊として再編成致しました、特別攻撃隊は3000名となります、各1000名を柴田殿、アイン、ウインで率いて頂きます、そして御屋形様の本陣はこの山内殿の後方に本陣が控える事になります、では皆様これより陣を押し上げ致します」
「柴田殿、アイン、ウインはこちらへ! 御三方には敵側の知らぬ道にて川を渡り関白の後ろを攻めて頂きます、徒過出来る場所はこことここになります、半日ほどやや遠回りとなりますがここより騎馬にて渡れますので攻め入って下され、この地を利用して釣り野伏せをして頂き敵を削ります、特別攻撃隊を三隊に分けた理由は次から次と交代して釣り野伏せをする為であります、一隊が釣り野伏せを行い敵勢を引き付けた後に二隊が待ち構え罠にハマった敵を削ります、柴田殿三隊の長は柴田殿がお勤め下され、宜しいですな無理強いは行けませぬぞ!! アイン、ウインは山内殿の双璧を成す強者です、それを与えた意味をくみ取り下され! 頼みましたぞ!!」
「忝い!! この御恩戦にてお返し致します!!!」
柴田勝家は体中より熱気を帯び燃えていた、今再び秀吉と戦えることに闘志を燃やしていた、戦意はとても重要であるが時には感情の赴く儘に走る傾向がある、猪野武者と言われた柴田の性格と言えよう、武将としての強さは紛れもない事実ではあるがその分周りが見えずに奸計に弱いという弱点もあった、そこで敢えてアインとウインという屈強な万能戦士を付ける事にした、仮に柴田が弱点を突かれ呼び込まれ敵の策にハマった場合でもアインとウインがいれば救援出来る強き者達である、アインとウインは個人という単位でも今では那須家の中で互角に戦える者は一豊と武田太郎位であった、それ程の強さであり今では一軍を率いる程に成長していた。
「あっははははー、御屋形様久しぶりでありますな! 遠目から見て我ら二人は光って見えておりましょうな、実に愉快であります、わっははははー!!」
「儂も何故か笑いがこみ上げて来る、あっははははー、忠義と二人して戦場で金角と銀角となって光った鎧を着ている呆けた武将は我らだけであろうな!! あっははははー!!」
那須資晴と芦野忠義は以前武田信玄と戦った際に造った南蛮鎧を身に付けていた、但しその鎧には金箔と銀箔が施されておりピカピカに光る鎧であり金角大王、銀角大王と呼ばれる実践に不向きの目立ち過ぎる鎧であった。
「まあー良いではないか、我らがピカピカに光っておれば本陣は安泰という証拠よ! それに敵が目指し易いではないか、勝手に向こうから来てくれるのだ、これこそが軍略と言うものである、あっはははははー!」
「御屋形様が危のうなりましたら某銀角が参りますのでご安心下さい!」
「言うようになったのう流石は那須家を護る芦野家の当主であるな、間もなく敵勢がここを目掛けて富士川を渡り押寄せようとするであろうが果たして忠義の出番は来るか見ものであるな!」
三家の軍船による攻撃が開始された事を報告された関白の下にも那須家の軍勢も富士川近くに布陣したとの報に接し関白軍も富士川を目指し移動し始めた。
前田利家、福島正則、加藤清正の三部隊はそれぞれ富士川に掛かる三本の橋を渡り始めた、当然河川敷の土手には那須家の三隊が待ち構えている。
関白軍の策は那須家を蹴散らしいち早く関白が軍を率いてを大阪に向かう事であり、実際の戦での勝敗は大阪に辿り着ければ反転攻勢できると読んでいた、富士川を超え、三河を抜ければ関白の支配地域であり小田家の軍勢だけでは持ち堪える事が出来ず、最後は北条家だけを再度攻撃し勝利出来ると読んでいた。
「関白軍が橋を渡り始めたようです、間もなく旗が上がります、我らの攻撃が開始されます!」
「うむ! 抜かりなく致せ 我らも更に陣を押し上げる!!」
関白側は多くの犠牲を払っても富士川を渡り土手を支配し後に続く部隊が渡れるようにしなければならなかった、それに対して那須側も土手を死守する事が出来れば戦の支配権が取れると考えていた、土手を獲られるか死守するかの肉弾戦の戦でありこれまでの何かの策を図り圧倒的に勝ち上がって来た戦とは趣が違っていた、但し那須資晴の考えが及ばなかった策が別の者によって作られていた。
「え~い盾兵は何をしているのじゃ!! 進め! 押し負けるな!」
那須は弓に特化した戦いをする事は既に承知されており南蛮鎧を着た重騎兵とも言える屈強な者達に鉄で出来た盾を持たせ、その後ろに鉄砲隊を配置し一歩一歩橋を渡り始めた、残り250間となって処で一斉に矢が降り注ぎ関白側の動きが止まってしまった、那須側は2万からなる大勢の者達が土手を死守しており一斉に弓による攻撃が始まった事で身を屈めた事で動けなくなってしまった。
南蛮鎧は鉄砲からも身を守る事が出来る頑丈な鎧ではあるがその重量は30キロ余りあり大変に動きにくい弱点があった、一度倒れると自分一人では起き上がる事が出来ず、まして橋から落ちて浅瀬とは言え川の中に転落すれば溺れてしまう事は充分に予想された、盾も同じく30キロほどあり如何に盾兵が屈強と言えども矢の飛び交う音を聞けば身を屈めてしまう事は仕方が無いと言えた。
「やはり中々橋を渡れぬようじゃな! 矢の攻撃を緩めよ! 半兵衛指示を出すが良い!!」
半兵衛の指示で矢の攻撃を弱め敵勢を渡らせる事にした。
この時代の橋は土手から土手に作られた橋ではなく、河川敷内に幅一間半程度の簡易的に作られている、その理由は大雨が降り橋が流されても復旧が早く出来る為である、現代のように車が走るように作られた橋では無く人が行き来する橋のため両岸の河川敷内を結ぶ橋であった。
「矢の攻撃が弱まった 今ぞ渡るのじゃ!! 急ぎ渡るのじゃ!」
橋を渡った盾兵達は急ぎ横並びとなり鉄砲隊が来れる様に陣を展開した、盾兵は500余りその後ろに鉄砲隊1500が陣を作り足軽の長槍部隊を呼び込み陣を完成させ土手を目指し進軍する作戦である。
関白側は渡れる橋が3本ある事から最初は那須側の攻撃を確認する為に真ん中の橋から渡らせ様子を伺った、なんとか一隊が渡れたことで両側の橋から同じく渡らせる指示を出していた、既に昼を過ぎていたがこの最初の初日に河川敷に陣を構築する事を目標としていた。
「御屋形様どうやら一隊が渡ったようであります!!」
「そうであるか、三途の川を越えてしまったか、戦ゆえ犠牲は仕方ない事ではあるが死地に飛び込む敵兵が哀れである! 戦が終わった後に卒塔婆供養を手配致す事にしようぞ! のう忠義!!」
「御屋形様は優しいでありますな!! そのように手配を致します!」
意味深な会話を続け戦況を見守る資晴であった。
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