砂糖


1571年があっと言う間に過ぎ去ろうとしている中、朗報が小田家より届く、来春に嫡子彦太郎が元服するという話が届き、その際に琉球から持ち帰り南の島で植えた砂糖キビの収穫の配分と今後の三家の方向性を確認する事になった。



「父上、小田様の彦太郎殿も元服となります、その際に父上と私が烏山城を留守となります、城を開ける期間が長くなるかと思います、臨時の城代はどなたがされるのですか?」



「七騎の者であれば・・・そうだ芦野の叔父上で良いであろう、忠義もお前の重臣になってるし付いていく行くであろう、そうなると半兵衛は芦野城に居てもらう事に成ろう」



「判りました、それとご相談があるのですが、彦太郎殿の事ですが・・・・なのです、私が口を挟むには失礼になります、父上からであれば、小田様も耳を傾けて頂けるのでは無いかと思いまして、どうでしょうか?」



「なんだ本当はその話が目的であったか、同じ八屋形であり、同盟を結び、石高も似たようなもんじゃ、うかうかしておると、お前の時の様に、やれ猶子に寄こせと又騒がれ、既に話は来ておろうが今なら間に合うかも知れぬ、儂からであれば角も立たぬ、文を書き、和田殿に行って頂こう、しかし、幕臣と言う職名はいろんな意味で役立つのう、大名以上の力ぞ、凄いのう」



「蘆名と佐野殿が重臣となったのも和田殿のお陰です、将軍家の威光も遠き国では通じます、そういう意味では得る物がありますが、織田殿と上手くいっておらぬ様子です、災いがこちらに来なければいいのですが、それと父上、上野に軍勢を明年はお願いします、必ず変が起きます」



「1万は必要と言っておったな、芦野、伊王野、千本の家から騎馬を回す、それと資晴配下を動員すれば1万数千揃うであろう、状況に応じて増援が必要であれば幾らでも用意致す、そろそろ以前言っていた手を行うといいであろう、早く動く分は問題無いであろう」



「そうですね、では鞍馬に動く様伝えます」



資晴と当主の資胤は小田の嫡子彦太郎が元服を迎えるにあたり資晴の妹、皐月8才を将来の奥方として迎える約束を交わせればと父に話したのである、資晴が元服式で発表された北條氏政の娘との婚儀の約束を発表したのと同じである。


北条と那須が親族に、那須と小田が親族にと繋がれば、より強い絆となり安定する事になる、出来る事であれば北条と小田も親族となれればより最善であろう。


それとは別に、軍師玲子から洋一を通して伝えられた二年後の武田家に対する大きな一手を授かり、それの仕込みを行う時期と判断した資胤である。


軍師玲子の頭の中には、武田太郎を那須の家に庇護した時点で心の隅にしまっておいた策であり、実行するかどうかの悩ましい軍略であった、策そのものが成功する率は高いが、成功した場合、徳川家康が史実とは違い天下を望む道が断たれる可能性があり、史実を大きく変える策と言える、その為に奥底にしまっていた、しかし、信玄が資晴に刺客を放った事で、躊躇せずに行う様に洋一に伝え、資晴に授けられた一手である、それを実行する事になったのである。


それとは別に北条家と小田家にて遠くの南の島(小笠原諸島)父島で琉球から得た砂糖きびが無事に育ちきびの樹液を煮詰め砂糖になったと報告があり、その作業に追われており、来年の小田家嫡男の元服式を終えた後に三家で分ける事になった、資晴もぺト二の樹液を、液体の状態と顆粒にした状態の二つに使い分けをしており、それを元服式の時に分ける事にした。


ぺト二は現代のメープルシロップであり、蝦夷のアイヌの女性達が樹液を煮詰め二斗樽に入れ交易船で那須に運ばれて来る、シロップの状態で使いやすいのだが、一度樽を開封すると早めに使用しなくてはならず、顆粒にする事で保存出来るように工夫していた、その作業は主に大津浜と高萩浜、久慈浜の塩を作る作業と行程が似ており、手慣れた塩職人達の手で行われていた。


資晴が行った兵糧の麦菓子で砂糖を使う様になり領民が食べる菓子として広まった事で今では那須家だけでも年間最低2500貫(約9.3t)は必要であり、那須プリンも、珠華プリンと蜜のカステラと、どれもが砂糖が必要であり、最早2500貫でも不足する事態となった。


この現象は北条家、小田家も追従しており、近い将来には三家で1万貫(37.5t)を超えると見込まれており、砂糖は必需品であった、ちなみに現代の日本で消費する砂糖は年間約、300万トン、一人当たり16.2キロと農林水産省は統計数字を出している、それに比べれば微々たる数字であるが、輸入に頼っていた戦国期の日本では、飛びぬけた量が三家で使用されていた。




── 木曽義昌 ──




「殿、真理姫様所に姉の黄梅院様から菓子が届いたとお聞きしました、珍しい事でありますな」



「姉の黄梅院殿が何でも流行りの麦菓子なる物で二種類の味が楽しめる菓子だとの事だ、今頃侍女達と楽しく食しているのだろう、女子は気楽で良い」



「北条と言う大きい家で育った娘である、この木曽では天と地であろう、我侭は何も言うておらぬし、姉妹からの使いであれば、御屋形様も問題になさらないであろう、それにここだけの話であるが、御屋形様の奥方、三条のお方様は、逃げ出したのだと思う、行方知れずとの事だが、一緒に侍女二名と不明となったようじゃ、太郎殿の事で揉めていたと聞いた」



「儂のような小さい家では関係ない話であるが、意見が合わぬかと言って嫡子の太郎様を処断するなど、あれでは三条のお方様も逃げ出すであろう、哀れな話である、我らも睨まれないよう、言い付けの駒を用意するしかない」



「本当にそうでありますな、しかし、殿、これは噂でありますが、太郎殿も処断される前にどこかへ逃げたという噂がありますぞ、本当の事は分かりませぬが、御屋形様の跡継ぎは勝頼様なのでありましょうか?」



「馬鹿者そのような噂がある事知っているが、声に出すな、何処に素破が潜んでいるか判らん、御屋形様がこの話を聞かれたらお主の首が飛ぶぞ、今は余計な事を考えず駒を集めよ!」



「判り申した、我らは軍馬を整えるだけで大忙しです、野生の駒を捕まえても捕まえて足りませぬ、あと一年で2000を捕まえろとは余りにも難儀な事です、2000もおりましょうか?」



「御屋形様の言い付けであり、足りぬ場合は買って来なければならん、今から近隣の馬市に手を伸ばした方が良いかも知れぬな、流石に2000は無理である、軍役に付かぬからまだ他家より良いと思うしかない」



「他家の領地の馬市となれば、越後、上野、武蔵位ですぞ、銭とて、数千貫も必要かも知れませんぞ、当家にはそんな銭はありませぬぞ」



「判っておる、背に腹は代えられない、檜でも売るしかあるまい、神木の森の木を売るしかあるまい」



「やはりそれしかありませぬか、木曽の我らに木が無くなれば、名を曽に変えるしか・・・・」



「くだらん事を行って無いで野生の駒を捕まえるのじゃ!」



木曽義昌は武田家の親族衆ではあるが領地の石高15000石程の小領地であり兵力も500~700程度しか無く、武田家本軍と共に戦に出る事は無く、主に街道の守備と騎馬隊を支える馬の補給が役割であった、信玄は騎馬隊を重視しており、戦力の柱としており、戦力の充実を図っていた。




── 小田家 ──



「御屋形様、那須の和田様がお越しになりました」



「失礼の無いようお通しせよ!」



「これは小田様お久しぶりで御座います、小田様の領地石高180万石とお聞き致しました、お見事な内政おめでとうござります」



「いや何、戦が無いだけでこれだけ良い結果になるとは某も驚いておる、これも那須殿のお陰でもある、儂は頑張る者達を褒めるだけじゃ、それと刺客の件は大変でございましたな、下手人が武田信玄であると聞きました、実に許せませぬな、良くぞ堪え兵を起しませなんだ!」



「本当で御座います、重臣共は兵を上げよと大騒ぎしましたが、資晴様が止めたのです、何れその時が来る、来なければその時を作ると申され止めたのです、一番憤慨したのは若様であろうと言うのに」



「うむ、大した嫡子である、蝦夷といい、元服式での猶子、烏帽子親、そして婚儀の約束など打つ手が一歩も二歩も先を行く、明年は彦太郎の元服である、今は色々と準備を致して居るが家が大きいという事は何をするにも大掛かりとなり窮屈しておる」



「実はその事で此度小田様にお伺いをお聞きしたく参上致しました、那須での元服の際も色々と管領様、山科様を初め立ち回る方が多く、頭を痛めました、そして此度は彦太郎様の元服です、同じ事が起きるでしょう、そこで、小田様のお家と那須の家をより一段と深く誼を作れる時かも知れぬと申して小田様へ私が遣わされました、こちらの文をお読み下され」



「そうで御座いましたか、では拝見させて頂く・・・・・・うむ、彦太郎に那須殿の姫をという話でありますな、資晴殿が北条の姫様とお約束そされましたが北条の姫様は御幾つなのですか?」



「北条の鶴姫様は7才とお聞きしております」



「那須殿の皐月姫は御幾つでしょうか?」



「皐月姫は8才で御座います」



「ほうそれではほぼ同じ年になりますね、不思議な物です、資晴殿と彦太郎は同じ年、姫までほぼ同じとなりますか、不思議な繋がりですね」



「えっ、それではお受けされますか?」



「もちろんで御座る、断る理由が見当たりませぬ、実はいろんな処から姫をとの話が来ており、些か断るのに疲れておりました、管領様からも家臣の姫を養女にして嫁がせるから応じる様にと全く堪りませぬ、既に決まっていると御断りしておりました」



「流石管領様でありますな、あっははは、次は山科殿も何かしらの話が来るやも知れませぬぞ、それと元服式を行うにあたり、これは資晴様から余談として話されておりましたが、小田様の彦太郎様の妹君の姫君を北条氏政様の嫡子、国王丸様の許嫁に纏まれば三家は同盟以上の親族と言うより強き絆で結ばれますと、話されておりました、何れ北条家から小田様に申し込まれるのでは無いかと話されておりました」



「早い話でありますが慶事の話でありますな、三家は既に大きくなり強き家となりました、庇護を受ける為に政略の婚儀必要では無く、この関係が崩れぬよう強化する為の一段深き仲になるはとても重要な事であります、考えれば、那須のお家が5万石、当家が7万石の小さき家にて同盟を結んだのが始まりです、それが今や三家で500万石を優に超えております、夢でも見ているのでは無いかと思う時があります」



「某も夢の中にいるような気がする時があります、京にいたのであれば某はきっと死んでいたと思われます、不思議な物ですね」



「今、彦太郎は帆船造りに夢中です、元服に間に合わせようと3000石の船を造っております、骨組みを見ましたが、巨大な城が海に浮かぶようでそれは凄い物でした、これも那須の資晴殿お陰です!」



「3000石ですか、それは凄い船ですね、南蛮の船と同じ様に大きい船ですね、彦太郎殿も間違いなく聡明な神童であります、資晴殿と触れ合う事でその才が大きく開けたのでしょう、戦国の世で元服前の嫡子が3000石の船造りをしている者は誰一人居りませぬ、凄い事です」



和田が那須の使者として訪れ、元服を迎える彦太郎の許嫁として那須家の姫との話が進む事に、三家は各家が内政に力を入れ、次に進む道を着実に進んでいた。


1571年が終わろうとしている中、史実と違う事が北条家では起きていた、それは北条氏康が健在であった、本来であれば前年の1570年八月に中風(卒中)となる、その病は重く、呂律が回らず子供の見分けがつかず、食事は食べたいものを指差すような状態で、意志の疎通がままならずとある、この年10月3日に亡くなる筈であったが、資晴が最初に同盟の話に訪れた際に中風で亡くなる事を告げられ、食事の改善を伝えられ、摂生していた事と、史実と違い、戦が止みゆとりが出来た事で中風とならず健康そのものであった、この年に北条氏康は56才を迎えた。





いよいよ小田彦太郎が元服を迎えるようですね、今後の展開に期待したいですね。

次章「家康」になります。

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