信玄と信長
1566年春から大きく動き出す大名家があった、共通しているのは武力を前面に出し領地拡大に執念を燃やし怒涛の勢いで戦っている武田信玄と織田信長であった。
── 武田信玄 ──
武田家はお家騒動が解決したかの如く、上野への侵攻を開始した。
「長野の城の様子はどうであるか? 近隣の国人領主達は問題ないであろうな」
「はい、御屋形様、国人領主達は我らに従うと念書もあり問題がありませぬ、箕輪城には長野業盛一族と箕輪衆2000が相変わらず籠っております、予定通りで御座います」
「よし梅雨が明けたら進軍とし7月中旬に出立、日は追って沙汰を出す、陣振れを出すのじゃ」
武田信玄は上野国中心勢力である長野業盛を下し、肥沃の大地を手に入れ次は駿河侵攻を考えていた、1598年の国別石高を参考にすると上野国の石高は約50万石である、それから100年後には60~63万石となっている、肥沃の大地の割に石高が増えない理由に戦が多く繰り返され田畑が荒れ、農民の数も減った事が主因とされている。
しかし、この時点で50万石と言う石高は武田に取って喉から手が出る石高であった、同時期の甲斐国の石高は約23万石である。
史実では西上野最大の領主であった長野業正は永禄4
永禄6
7月下旬武田信玄は2万の軍勢で箕輪城に向けて進軍を開始。
風魔より長野に知らせが届き、箕輪城により多くの幟旗を掲げ、徹底抗戦を行う意思を示し、さも迎え撃つぞ、来るなら来いという構えを見せる箕輪城の偽装であった。
城には風魔100名と長野業盛他馬廻役200名しか残っておらず、何時でも城から出られる用意が出来ていた、兵糧も武具も全てを移動させており、敵に与える物は空となった城だけであり、一時貸し出す様な感覚であった。
武田軍は2万の軍勢である、移動に日数を要し用意する兵糧も膨大である。
8月10日に箕輪城手前1里の所で本陣を展開、11日早朝より総攻撃を仕掛ける事になった。
長野は10日深夜、予定通り城から移動、場内には風魔が最後の仕掛けを行い撤退した、場内は勢い良く燃える篝火かかりび、多くの城兵が籠っていると見せる演出、井戸には毒を入れ、半年程で効果か無くなる軽い毒であるが嘔吐と腹痛による下痢となる毒である、風魔は暗殺など毒にも長けた忍びである。
翌日早朝武田の法螺貝と銅鑼が鳴り響き箕輪城に向け総攻撃が開始された、城門に殺到する兵は盾を構え弓攻撃を防ぎ城門を打ち破る為に攻撃を開始するも、全く攻撃が無い、矢も降らず、僅かの内に城門を突破した。
それを遠くで見ていた信玄はこれで勝った、これで上野は甲斐の物になると顔面を紅潮させ陥落した報告を待つだけであった。
そこへ使いの兵が信玄の元に、城内を占拠し武田の城になりました、不思議と敵兵の姿が何処にも見当たりませんとの報告が伝えられた、信玄は不思議な報告を受け、罠かも知れんと考え再度城内を検分させるのであった。
── 織田信長 ──
尾張の織田信長は1565年に尾張国での権力争いに勝利し尾張国57万石一国の支配者となり、美濃国斎藤との戦いを開始、美濃国は54万石という大国である。
斎藤道三亡き後、信長と斎藤氏(一色氏)との関係は険悪なものとなっていた、信長は何度も戦を仕掛けるが斎藤も信長の戦を退け膠着状態が続いていた。
美濃攻略に欠かせないのが信長側の攻撃の拠点構築であった、信長は尾張国と美濃国の境にあった多くの河川の支流が流れ込んで中洲の大地が出来た地点『墨俣』に着目し拠点構築を指示した。
一説によると佐久間信盛が数千の兵を率いて砦を八割方完成するも斎藤勢が押寄せ砦を壊して兵糧弾薬を奪ばわれ、次に柴田勝家が挑戦するも同じく8割方完成させた砦を斎藤勢が押寄せ破壊され全てを奪われてしまった。
そこで当時足軽から頭角を現した木下藤吉郎が名乗りを上げ拠点構築の任を任され、数日で砦を完成させたのである、秀吉を語る時に必ず登場する『墨俣一夜城』である、この墨俣城を秀吉が成功した事で出世街道が開けた、墨俣城という拠点が出来た事により織田信長は斎藤へ攻勢を強めるのであった。
戦国期後半期に入り明確に天下を狙う武将は武田信玄と織田信長である、両者はこの1566年より天下取りが開始されたと言っても良い、秀吉に取っても天下を目指す道が開かれたと言っても良いであろう。
だが史実とは違い、北条家那須家小田家の勢いも大きくなりつつある事も忘れてはならない。
── 小田原北条家 ──
「ほう見事である流石那須正太郎殿である、快勝であるな、小田もよう凌げた、そうでなくはならん、我ら北条もまごまごしておれん、江戸はどうなっておるのじゃ、氏政江戸の動きはどうであるか?」
「はい、江戸氏も臣従するとなりました、これで江戸も我らの物となります、それと先にお伝えしておりました通り、これよりは関東管領上杉と争わず武蔵国を北条にと話して使者を遣わし詰めている所です、後は里見です、長年当家と争っておりましたので、小田殿が間に入り争いを終わる様に進めております、問題は武田をどの様に扱い、駿河を守るかで御座います」
「那須殿と小田殿のお掛けで関東が収まりつつある、上野は今しばらく掛かろうが、やはり駿河であるな、駿河は何としても守りたい処じゃ」
「散々使者を氏真に遣わしており政に専念し国人領主を慰撫し纏める様に伝えておりますが、我儘がすぎ中々良い方向に向きませぬ、正太郎殿が言われた通りになりそうです」
「そんな事充分判っておるのだが、我らにしたらなんとか駿河を死守せねばならん、武田の目を駿河に向けさせない手だては無いのかのう」
「幻庵様先程からお話しされませんが、どうお考えですか?」
「昔から言うであろう、馬鹿に付ける薬は無いと、
「他とはどんな事になりましょうか?」
「武田の目を三河に向ける事が出来ぬかと考えておったのよ」
「叔父上、それはどんな事ですか? どの様にすれば反対方向に武田を行かせるのです」
「だからそれを考えていたのよ、武田とは一応同盟関係である、そこでじゃ、少し乱暴なやり方であるが、今川の掛川から駿府の今川館までを北条の領地として沼津から清水までの地を今川領として交換してしまうのよ、大きさはほぼ同じであり、石高的にも問題無いであろう」
「掛川の城主は今と同じ朝比奈殿で問題無い、形としては北条の重臣として迎えるのじゃ、するとどうなる?」
「駿河はほぼ実質北条になりますぞ」
「それよ儂の考えは、駿河を武田が攻める場合はどうしても掛川から攻めねばなるまい、今川の領であるから攻めるのよ、しかし、そこが北条の治める地となればどうなる、武田が向かうは掛川から先の三河になるであろう、違うか?」
「叔父上・・・掛川城さえしっかり守れば駿河には侵攻出来ん、仮に攻めて来たら一戦も止む無し、しかし、そこまで武田も愚かではない、遠江国は守れぬが諦めるしか無いか!」
「流石叔父上幻庵様である、まだ寿桂尼様がおる、氏真では話にならん、この話、ここは幻庵様しかおるまい、行って頂けるか?」
「行っても良いが褒美が必要であるぞ」
「褒美なら氏政がいかようでも用意致します、なんなりと申して下され」
「折角なので若い女子が数人欲しいのう、それから帰還したら那須に一度遊びに行って来る、それで良いなら行っても良いがのう」
「幻庵様、今更女子など早死にしますぞ、私は知りませんぞ!」
「あっはははは、若い女子がいるから長生きするのよ、爺と婆に囲まれて見よ、生きる希望が無いでは無いか、あっはははは」
苦笑いする氏康氏政親子であった。
「では幻庵様よろしくお願い申す」
ここに幻庵が考え出した秘策が打ち出された、幻庵は戦場で戦う武将ではなくこれまでに数多くの軍略と戦略を練り北条家の軍師として活躍した老練な戦上手であり時には外交官として渡り歩いて来た、北条家では右に出る者は皆無である。
この動きは正太郎も軍師玲子も考えつかぬ、たどり着けぬ一手であった、幸いに今川家には寿桂尼がまだ生存しており、孫の氏真も頭が上がらない存在である、今川家に残された時間は僅かであった、そこへ切れかけた油を注す一手とも言えよう。
── 箕輪城 ──
やはり箕輪城には長野を始め敵兵が誰もいないと判り信玄は城を接収した、訝しる信玄に武田信康(信玄の弟)が話しかけた。
「兄上、不思議な事もありますな、あれ程抵抗しておった長野が逃亡しておるとは、だがこれで良かったではありませぬか、一兵も失わず西上野を手に入れたのです、後は国人領主共を手名付ければ上野国は武田の物です、次は駿河を狙えます、良かったのですこれで」
二人で話している所へ、顔色を変えた配下が井戸に毒が撒かれています、水を飲んでは行けませぬ、多数の者が苦しんでおります、それと蔵には何もありませぬ、米一粒ありませぬ、という知らせが届いた。
「なんとその様な罠があったのか、諮ったな長野のこわっぱが、卑怯者め、水が飲めねばどうするのじゃ、如何様にするか、我らは2万の軍勢ぞ、城が使えぬとなれば急ぎ退かねばなるまい、以下がする、信康」
「井戸が使えぬという事は長野は戻らぬ覚悟、ここにいても仕方ありませぬ、一部の兵のみ留め帰還しましょう、城は武田の物であります、時間をかけ国人領主達を従わせれば問題ありませぬ、ここには300も残しておれば充分でしょう、300であれば近くの河川より水を調達させれば凌げるでしょう、一旦帰り次の手を練りましょう」
「うむ、そうであるな、兵達は城外の河川近くに陣を敷き今夜は過ごし明日帰還致そう」
これにより箕輪城を手に入れたが城は使えず一旦帰還するしかなかった武田信玄である。
上野国衆である国人領主達はこれまでに何度も主家を変えている、強い者が来たらそれに付き従い、次に新たな者が来たらその者に従う、主家を変える事にそれ程抵抗もなく、家が守られればそれに従う風土の国人領主であり、戦国の世では決して卑怯な事も無い普通の事である。
幻庵の一手、藤井名人でしょうか。
作者は信玄を嫌っているのではと思われているでしょうか、偶然です、本当です。
次章「幻庵動く」になります。
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