蘆名臣従


「和田殿ご苦労で御座った、蘆名の凶作はどうであった?」



「某の予想より酷い状況で御座いました、最低でも8万石、最悪の場合10万石が必要になります」



「それ程であるか、いや凄い量である、蘆名では手が無いのだな?」



「はい、やはり伊達が動いており、東国の諸大名も中々手を差し伸べる事が出来ぬようです」



「他に対策はどの様な事を話されて来たのじゃ!」



「恐れながら某勝手な意見を蘆名に伝え、蘆名より是非にと頼まれました、これからお話しする事どうか資胤様お許し下さい」



いつもと違う和田の表情に驚くも真剣な眼差しに襟を正し聞き入る資胤であった。



「蘆名では現当主蘆名盛興殿はご存じの通り酒毒にて政出来ずに今は前当主である父親の盛氏殿が政をしております、悪作とは別件になりますが、盛興殿には息子がおらず家を継ぐ者がおりませぬ、また父親の盛氏殿にも他に男子がおらず、新しい当主は外から婿を迎えねばなりませぬ」



「そこで某が資胤様に何も諮らずに個人の意見として盛興殿に、那須竹太郎様を世継ぎに迎える様にと話を致しました! 元服した後に蘆名家の当主として迎える様に那須に礼を持って話せば応えて頂けるかも知れぬと話しました」



「具体的には元服前に蘆名は那須に臣従し、名門蘆名を残すために竹太郎様が元服した後に当主の座に就くという話を致しました、盛興殿は藁にも縋る思いで私にこの話を託されました、それと蘆名が那須に臣従すれば那須は蘆名を見捨てずに必ず救いの手を差し伸べるであろう事、この話が成立すれば伊達は蘆名に手が出せず、諸国大名も安心して蘆名に近ずくであろうと話を致しました、勝手な話を致しご迷惑をおかけする事になりますが、蘆名は本来24万国の大国、那須の隣地であり放置する訳には参りませぬゆえその様な話を致しました、お許し下さいまし!」



「ふむー、正直驚いた、確かに那須は正太郎が家を継ぐ、竹太郎は分家を興すか、婿に行くしかない、しかし24万石とは大国ぞ、身に余らぬか?」



「竹太郎様も正太郎様を見習い最近は村に行き政を学んでおります、今はまだ7才です、時間は充分に御座います、そこで今の内に蘆名の重臣を那須に行き来させ竹太郎様と接する時間を多く作れば足元が整います、当主となる時は竹太郎様の政が滞りなく出来るかと思われます、場合によっては某が付き従って竹太郎様の重臣としてお供致します」



「竹太郎が当主に就くという話であれば那須で10万石の支援など安い物よ、何しろ相手は蘆名24万石ぞ、今、岩城家も伊達と争っている、ひよっとしたら岩城に取ってもこの話朗報かも知れぬ、暴れん坊の伊達が大人しくなるかも知れん!」



「和田殿この話、今少し待って頂きたい先に親族衆に話した方が上手く事が運ぶであろう」



「判りました、災いが良い慶事となります事、期待しております」




史実では盛氏の晩年に後継者問題が発生し二階堂盛義の子が婿養子として後を継いだ、蘆名盛隆である、しかし一族の猪苗代氏ともそりが合わず蘆名は衰退していく、天正121584年に近従の大庭三左衛門に盛隆は暗殺され、後を継いだ盛隆の遺児・亀若丸も、天正14年1586年3才で亡くなる。



既に蘆名の血も絶えており当主をどうするかで家臣団が揉めに揉めた末、佐竹義重の子、蘆名義広を蘆名家当主に迎えたが天正171589年奥州統一を目指す伊達政宗に摺上原の戦いで大敗し蘆名義広は常陸に逃走し会津から蘆名は消えてしまう。


蘆名が敗北した大きな理由の一つに猪苗代氏の裏切りにあるとされている、猪苗代氏が寝返り伊達に蘆名の情報を流し摺上原の戦いで勝利に導いたとされる、尚、猪苗代湖の湖畔に建つ野口英雄記念館の野口英世は猪苗代氏の子孫である。



この年1567年9月蘆名に止めを刺す、『伊達政宗』が誕生するのである。




烏山城評定




「間もなく収穫が行われます、では各領地の稲穂の状況と追加で行ったサツマイモの苗の植え付けはどうでしょうか?」



頷く一同を見渡し。



「では問題無いようですね、ではこちらをご覧下さい、千歯扱き《せんばこき》この歯に稲を通し脱穀を早く行えるように鍛冶衆に新しい物を作らせました、何倍も早く脱穀が出来ます、そこで脱穀を行っていた村の女衆に時告げ鳥を多く飼って頂き卵を産ませそれを売り、卵の普及を図る様に家々で行って下さい」



脱穀を行う村の女衆とは戦などで主人を亡くした未亡人達である、その女衆の収入源が脱穀と言う作業であった、その女衆の生活を安定させる為に鶏の飼育を行う様にしたのである。



「卵の栄養は計り知れない効果があると判りました、某の身体も同じ年の者より大きくなっております、特に成長期に食べる必要があると公家殿が言われております、年齢を問わず食せるよう大いに広めたいので努力を願います」



「今年もお盆の祭りは盛り上がり年々定着しております、秋祭りは新しい工夫を各家にて行って下さい、心配しておりました砂糖の目途が付きました、届き次第お渡し致します、代金はしっかりお支払い下さい(笑)間もなく蘆名家が凶作支援の米等2万石を引き取りに来ます、滞りなく願います、蘆名は那須に臣従したのです、餓死者が出ぬよう最善をお願いします」



「若様先程の時告げ鳥の飼育ですが、どれ程の数が必要なのでしょうか?」



「各領地の大きさも違うので一概に言えませぬが、先ずは1000羽を目指して下さい、2~3日に1個卵を産むとの事です、まず皆様が沢山食べ美味しさを広めて下され、茹でた卵に塩を付けて食べるのも美味しく、私も二つ程食する事もあります、母上が名付けた『那須プリン』も茶店でも食する事が出来る様になれば広がると思います」



「油屋が砂糖と一緒に1000名程の西国から逃れて来た者達も来ます、そちらの受け入れもしっかり願います」



「若様、受け入れは問題無いのですが、南蛮の宗教を受け入れずに奴隷となる所を逃げた者達と聞いております、その者達の中に一向の者がいた場合はどの様にすれば良いでしょうか?」



「幸い我らの地には一向宗の寺は少なく一揆を先導する輩が今の所おりません、何も知らぬ信者を煽って一揆を行うと聞いております、その様な者がいたら即座に放逐します、国外追放を行って下さい、但し一向の信者だからという理由だけで追放は避けて下さい、あくまでも悪いのは煽る輩です」



「判り申した」



「今年は那須全領地で新しい田植えを行いました、田も増えました、今年の取れ高が一つの基準になります、我ら那須が繁栄するのはこれからが本番です、気を抜かず領民共々楽しみな収穫を行って下さい」




佐竹より得た常陸新領地10万石が13万石 大豊作

白河結城より得た新領地10万石が12万石  豊作

宇都宮より得た新領地15万石が20万石  大豊作

小山より得た新領地8万石が10万石    大豊作

昨年の那須石高22万石が26万石となった。大豊作

合計81万石である、これには佐野と蘆名は含まれていない。





── 御礼の挨拶 ──




10月に入り武田太郎の母、三条のお方が烏山城にお礼の挨拶に訪れた、本来なら5月中旬に助け出され太郎の元で共に暮らし始めた三条、もっと早く訪れる予定であったが、その後疲れが出て体調を崩していたのだ、今はすっかり良くなり挨拶に来た。



「那須の殿様、奥方様、嫡子様この三条に各段の厚情を賜り深謝致します、お助け頂き誠にありがとう御座いました」



「那須資胤です、妻の藤になります、ご丁寧なる挨拶こちらこそ恐縮で御座います、御身体の具合はもう宜しいのですか?」



「はい、太郎が生きていると聞き、その日により気が張っていたのでしょう、再会が出来、今度は安堵し、それまでの疲れが出た物と思います、今はすっかり回復致しました、それと嫡子正太郎様より頂いた蜂の蜜が喉を傷めず寝ている時も楽に過ごす事が出来ました、正太郎様ありがとう御座いました」



「ご快癒されて喜ばしい限りです、正太郎その蜜は喉に良いのか?」



「はい、蜂の蜜にはとても強い力があるのです、三条のお方様がお疲れの時に喉を痛めると太郎殿より聞きましたので蜜を舐めると喉を守ってくれますので、マタギに蜜を依頼し用意したのです」



蜂蜜には強い殺菌効果があり外傷の傷口に塗れば充分な殺菌予防となる、史実では信玄から労咳をうつされ三条のお方は1570年7月28日に亡くなる、労咳は人によって潜伏期間が全く違い何年も症状が現れない人もいる、逆に発症が早く亡くなる人もいる、特に三条のお方は躑躅ヶ埼館内で過ごしており、色も白く身体が強いという訳では無かった、この知識は洋一から知らされており、蜜を用意していたのである。



「それは良い事を致した、今宵は城にて田舎の猿楽にはなりますがお楽しみください、それと侍女殿が一緒に伴された方がお二人とお聞きしました、武田家ゆかりの者が当家におります、三条のお方様にお仕えしたいと当人からの申し出がありましたので侍女としてお側に置いてあげて下さい」



「こちらに呼ぶように、三条のお方様に引き会わせよ」



下座入り口から案内されて壁側に座り拝礼する四名の女性、その内の一人の顔に見覚えがある三条。



「其方確か巫女をしていた者では無いか? 何度か其方の舞を見た事があると思うが!?」



「はい、私は武田に巫女として仕えておりました、ここにいる三名も皆私と同じく仕えていた者です、私達四名は二年程前に若様から救い出され那須の地にて生を営んでおりました、武田の事を知っている者として、この度三条様がお越しになられたとお聞きし、侍女としてお側でお仕えしたく願い出で致しました」



「隠す必要も無いので私から三条様にご説明致します、この四名の他に武田から那須の諜報を得る目的で巫女達が遣わされたのです、その巫女達は武田に仕えており巫女頭から危険な呪印を掛けられ心が呪縛されて自らの意志とは関係なく那須に来た者達でした、その事を知り、那須には呪印を解ける者がおりましたので呪縛から解放し今はその者達全てが己の意思で巫女として那須の領民安寧の活動をされております」



「この四名の巫女は若い巫女達を育てる育成者として行っておりましたが、今ではその巫女達も立派に育ち後継者もいる事から三条様の侍女に願い出たのです」



「そうでしたか、私は武田家の事は何も知らされておらず、巫女達も大変だったのですね、私に仕えて頂けるとは身に余る事なりますが、縁ある者同士どうぞよろしくお願い致します」



「太郎殿三条様の館の方はどうなっていますか?」



「はい、お陰様で武田館の横に作らせており二ヶ月ほどで完成致します」



「そうですか、侍女も増えます、今では太郎殿の槍騎馬隊の数も多くなり威風もここに武田ありですね」




挨拶も終わり宴となり楽しい一時を過ごし太郎館に戻る三条のお方であった。



三条のお方の父親は三条 公頼さんじょうきみよりは、戦国時代の公卿。太政大臣・三条実香の子、官位は従一位・左大臣という公家の中でも特別な地位があり、姉は細川 晴元はるかわはるもとの正室である、細川晴元は戦国時代の室町幕府34代管領、山城国・摂津国・丹波国・讃岐国・土佐国守護。細川京兆家17代当主、妹は教光院如春尼、浄土真宗本願寺派第十一世宗主の室であり、一向門徒の頂点に立つ者の妻である、後の顕如の母親でもある。



この様に三条のお方は太郎の妻である、嶺松院と同様に権力中枢の家で生まれ育ち、その見えざる力を頼れば絶大な影響力があるお人である、ゆえに那須家において礼儀ある手厚い遇を行った。



そしていよいよ待ちに待った秋祭りが各地で開催された。





那須がいよいよ100万石に王手と言った所でしょうか?

武勇優れた佐野家、名門蘆名を見事陣営に引き入れました。

次章「綱引き」になります。

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