第3話 那須家の実力




 平家の里で、館の前で見た数百年前と思われる那須の武士達に連れられて避難する老若男女達の集団、洋一はこの経験を通して、那須与一とその後の那須家の歴史を知る為に更に調べるのであった。




 調べれば調べるほど有名な与一を祖とする一族が時に継承をめぐり二つに別れ、統一されたと思ったら、近隣の諸大名に侵略され領地を荒らされ、最大時に7万石程あった石高が2万石程度にまで落ち込み、いつしか地方の豪族又は国人という所まで凋落してしまう那須家の歴史であった。




 その事実を知った洋一は衝撃を受け、回避する方法は無かったのか、天下に示した与一の武を持ってその力を逆に広める事は出来なかったのか、どうしてこんなにも弱い那須家になったのかという疑問のもと歴史の紐を解き始めた。




 那須家の領国は下野の国(栃木県)北部である那須郡と南那須郡と呼ばれている地域である。(現在の那須塩原市、那須町、大田原市、那須烏山市等(現在の行政区とは若干の違いあり)領国の広さだけを見れば広大である、戦国時代は河川流域に人は住んでおり、那珂川、箒川を中心とした各支流域になる為、広大な面積に対して人口は少なく石高も所説はあるが最大で7万石程度ではなかったかと思う、そもそも那須という栃木県北部は関東の中では気温も低く、那須山に近い麓の集落では米が取れる地域も限られたと思う。




 戦国時代は気候的に小氷河期という時期であり、米の収穫は特に影響を受けやすく冷害、干ばつがあれば、石高も半分程度になったのでないか、ゆえに自分の領国で米が取れない時は他国に攻め入り、乱取りという米や作物を何でも奪い、勿論売れそうな女性や子供もさらい奴隷として売るなど、生き残るために何でもするという秩序無き時代が戦国なのであろう。




 代表的なのが、奪う事を容赦なく行い、乱取りしまくり、殺略し放題したのが甲斐の武田信玄が有名である、下野の事情はそこまで酷くは無かった様であるが、那須家を取り巻く近隣諸大名からは圧迫をうけ常に狙われている存在であったのが那須家であった。




 近隣諸国大名に宇都宮氏、小山氏、会津蘆名氏、白河結城氏、結城氏、佐竹氏といった那須家より大きい大名に囲まれており連合されて攻められたら一気に没落の憂き目に遭うと想像できる、史実でも連合により攻められた事実がある。




 那須家が実際に他国と武力で用意できる戦力は農民足軽中心で800~1000人程度であり、戦場で戦う兵士はいいところ500~700程度であろうと、これは最大時の石高で考えるには無理があり実力的には石高4~5万ではなかろうかと思う。




 仮に700人の内本当に戦力として力のある兵士の数を考えると、那須家の置かれている武力は又は戦力は関東諸大名の中では下位グループなのであろう。




 洋一の育った環境は完全な農家という農業である、米の育て方、野菜等の作物にもそれなりの知識は備えており、そもそも就職先は農業を支える機器を製造している大手の○ンマーであり、その知っている知識を戦国で生かせれば那須家の繁栄に大いに寄与できるのにと実に残念がるのであった。

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