第32話 正太郎の政・・・2



この時代の度量制というか、重さ、金額、長さという単位は私達の現代とは全く違う単位であり、作中で出て来る単位をやや明確にする為に下記の様にしました、実際の所はやや怪しいのですが、ネット検索で説明されているなどの根拠に基づいて記しますのでよろしくお願いします。




お金の単位


1石、米1000合、2000文、銭換算で2貫になります。

1文は現代のお金で100円 、米1合は2文です。(現代の200円)

1文を匁もんめという単位にすると10匁、1匁は現代のお金で10円です。

銭換算1貫は、1000文(現代の100,000円)、1両、2000文です。

1両は2貫という事になります。


重さの単位

1貫、3.75キロ、1000文で1貫なので、1文3.75g

1貫、10000匁もんめ、1匁は0.375g

1斤、600g、干し椎茸は1個約5g 1斤で120個。

干し椎茸1個の価格、150文に設定(現代のお金で15000円)

1貫は斤に例えると6.25斤になります。

お米1石は2.5俵、150キロ


長さ

1間、182cm、1.82m、1尺30.3cm、1寸3.03cm

他にも単位があるのですが、作中では、これらを使います。


間違っていたら教えてください。




本文


 正太郎は忠義と考え、職人達の家族を呼び寄せる為に小田家から500石船を借りる事にし、小田家からも協力する返事の旨を頂けた。



60人以上の人を乗せるには、厠の増設、寝床利用できる床板を工夫したりと船大工親方、幸地と弟子二人を派遣し、10日程で出港出来ると連絡が入り、堺で世話になった油屋とも今後の誼を通じるべく、お礼に10貫を持たせ、乾燥椎茸1貫(約3.75キロ、750個)を売る事にしたのである。



油屋で売れた椎茸の代金で砂糖10貫~20貫他に料理に役立つ何らかの品と、役に立ちそうな職人や前回雇えなかった浪人なども召し抱える事が出来ればとお願いしたのである。



此度は大人数での移動となるので、前回役目を果たした鞍馬の配下と警護二人配下を追加し、今後の事を考え、那須家お抱えの商人、茶臼屋主人、幸之助にも同行させ、今後は商人同士にてやり取りさせる事にした。



それから約10日後に無事に堺に出港したと報告を受け、正太郎は田植え準備が間もなく始まる3月初旬に田植えで新しい一手を指示した。





前年の田植えで塩水選を行っても約2割しか増産出来なかった事に、令和の洋一にしてみれば、やや不満な増産だったのである、戦国時代の田んぼで2割増産出来た事は、その時代では画期的な事なのであるが、専業農家で育った洋一にしてみれば、そんなばかな、これは失敗だったと感じていたのだ、原因はなんなのか、田んぼに詳しい父に。



「収穫が思うように行かない主な原因ってなんだろうと?」



「あ~それは、土だ、土に力が無いから収穫に差が出るんだ」



「それって土壌改良って事?」



「うんだ、ちゃんと田植え前に土を起こしと、弱い土壌には肥料を与えて土の中にいる微生物を活性化させないと栄養のある田んぼにならんからな、たぶんそれが主な原因かもな」



言われてみれば、田んぼも畑も普通に肥料や、腐葉土を入れたりと現代の農家でも普通に行っている、戦国時代では、どうやって肥料をやっているのか?




「なあ親父、昔の肥料って主になんだ?」



「そりゃー決まってるべ、おしっこと便だ、どの農家にも肥溜めってあっただろー、あれだ、あの肥えを溜めていると、自然に発酵していい按配になって立派な肥料になる、それを蒔けば後は勝手に土が元気になっていく、だが、あれは、臭くて、たまらんな」



「ああーあと、ほれ、お前も良く手伝っていた燻炭はいいぞ、燻炭なら効果は早い、臭くもない、田んぼにも畑にも簡単に蒔ける、手っ取り早いのは燻炭だな」



「あ~そっか、燻炭か、あれは簡単に作れるから、うんあれだ、サンキュー親父」




洋一が塩水選で2割しか増産出来なかった事に不満であった、その原因は土の力が弱い、稲が成長したくても力が弱い為、2割だったと、解決策は簡単に出来る燻炭だ、戦国時代の農家でも簡単に出来る燻炭を正太郎に伝えようと思念を送った。



洋一から伝わった思念を読み取り、正太郎なりに考え、忠義に太い竹を長さ半間、それを5本用意させ、竹の中の節を壊して、貫通させ、端から3寸までの所に錐モミで30ヶ所ほど竹の周りに穴を空けて用意する様に村長の平蔵に指示と併せて不要となっている米のもみ殻も用意するようにさせた。



用意が出来たと連絡を受け、今年は5つの村全部に塩水選を行う予定なので、各村長と主な農民30名ほどを集めさせ、平蔵の所へ。



「皆の者大義である、これより田の収穫が増やせる方法を教えるゆえ、村の田んぼ全部に同じ様行うようにしてくれ、当家では五公五民である、増えれば増えるほどお主達の手元にも米が手に入る、なんなら食べきれない米は私が買うので安心取り組んで欲しい、良いな頼むぞ」



「田の稲を植える新しいやり方は、この平蔵が皆に教えてくれる、後ほど聞く様に、ワシからは田と畑の力が付く方法を教える」



「平蔵今まで米を取った、もみ殻はどの様にしていたのか教えよ」



「はあーもみ殻はお武家様が、馬の床に使うゆえ収めており、古くなって汚れたもみ殻を引き取り、畑などに蒔いたり、炊事場の火種に使っておりました」



「うむ、そこでじゃ、引き取ったもみ殻は、この様に山にして、そこへこの水で濡れた竹筒を刺し、刺した底に口火を入れて燃やし、もみ殻で筒を隠す様にし、もみ殻を炭に変えるのじゃ、平蔵やってみよ」、



「そうそうそうじゃ、煙が出て来たぞ、竹筒は水に濡らしているから燃えないから大丈夫じゃ、ほれほれもみ殻が黒くなってきた、炭の赤子がどんどん生まれておる、いいぞいいぞ、よし、その辺りで黒くなったもみ殻に水を掛けよ、そのまま放置していると折角出来た炭が灰になってしまう、いいぞ水をかけて火を消すのじゃ」



「よし、火が消えたな、この炭となったもみ殻を、田起こしと一緒に、田に蒔き、畑にも蒔くのじゃ、そうすると元気な土となり、収穫が増えるのじゃ、今が三月初めじゃ、田植えは四月中旬じゃから、きっと土になじんでおると思う、なじんだ土の田んぼに平蔵が皆に教える新しい田植えを行えばきっと増えるであろう、皆の者簡単なので、この様にいたすのじゃ」



那須家では騎馬として武家では多く飼っており、米のもみ殻は、馬屋の床に、馬の寝床として納める事になっており、傷んだもみ殻はそのまま畑に撒かれたり、炊事の火種として利用していた。



正太郎は、洋一からの思念で見た燻炭の作り方を、自らの考えで竹筒を利用すれば行えると判断し行ったのである、洋一から伝わる事柄は、あくまでも洋一の時代の技術であり、即、同じ物が手に入らない正太郎の戦国時代では、一工夫、二工夫がどうしても必要になった。



その工夫を自ら考えて、行う正太郎がより大きく成長する為に寄与する事になり、身近で正太郎の行う政の数々は、忠義にも多大な影響を与えていた、忠義の父である、那須七騎の芦野資奏すけやすにも新しい田植え方法を伝える事を正太郎から許可を頂き、那須の領国最北端の地を領地としている芦野家でも行う事になった。



芦野家は那須の庶流の家で親族である、武勇に優れた家でもある、ただ領国は烏山より那須山に近く福島県との県境の地域であり、この時代、米を取るには決して良い条件の所ではない、歴代芦野の当主は領内を繁栄させる事に苦労していた。



そこへ、息、忠義から新しい田植えの方法を伝えられ、芦野家石高2千石の田に一気に広めるべく、領国当主芦野資奏は各村の長を正太郎の村長の元に遣わし、この春の田植えを行う事となった。



芦野家で米の増産に成功した場合は、那須家に取って大いに貢献する事が出来ると考え忠義は期待したのである。

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