1567年開幕

 

「千・・お千・・・・や千!」


「はい、母かか様」


「幸の家は覚えているかい? 一人でいけるね?」


「はい、お姉さまの家ですね」


「よいか、私も父様ととさまも太一も、もう動けぬ、このままでは皆死んでしまう、那須にいる幸の嫁いだ善吉さんの家に行って助けて欲しいと頼んできておくれ、千、頼んだよ」



 ゆっくりした足取りで嫁いだ姉の善吉の家に向かう千、千の家は那須山の裏側蘆名領内の農家、二年連続の飢饉により既に年を超える事が出来ない状況となりこのままでは家族全てが餓死を待つしかなった。


 10才の女子、善吉の家まで40キロという距離は果てしなく途方もない道のり、千も家族と同じく野草を取り、松や柳の樹皮まで煮だし口に入れていた、年末に雪も降りはじめ野草も取れず水と少しの塩を舐め耐えていた。


 何故千だけが動けたのか、それは女子の成長期と関係があった、女子は男の子とは違い体の成長が早く耐久力のある体となる、特に小学校高学年から中学2年辺りまでの成長は著しい、この家族に取って動ける者は千しかいなかった。



 千は休んでは起き上がり二日目の夕方に幸がいる善吉の家に辿り着いた。


「とんとん・・・姉様・・・・とんとん・・・姉様!」


「お前様今何か音がしましたか?」


「馬小屋にでもキツネでも来たか、仔馬が生まれたから匂いを嗅ぎつけたか? 大事な預かり騎馬だからちょっと見回りして来る」


「もう暗いから気を付けて下さい」



(戸を開け外に出る善吉は突然何かに躓き転んでしまう)



「痛てて、なんだ・・なんだこれ、えー、おい大変だ人だ人が倒れている、明かり明かりを持って来い」



(主人善吉の慌てる声を聞き、ろうそくを持って近づく幸)



「女の人だ、女の人だよ・・子供?」 



(二人でそっと抱き囲炉裏の横に寝かす二人、突如慌てる幸)




「千だ千だよ、妹の千だよ」



「あ~なんだって、水だ水だ水を持って来い」



「さあー飲め、ゆっくり飲め、安心しろ姉さんの幸もいるぞ!」



「家で何かあったのか? お前一人か?」



「凶作で食べ物が無くて善吉さんの家に行って助けて欲しいと頼んで来てと母様に頼まれた」



「え~なんだって、凶作で食べ物が無いの? 千はごはん何時食べたの?」



「覚えて無い」  



(明らかにやせ細った身体を見て唖然とする二人)



「そうだ、あれをもって来い、あれだあれだ、えーと、麦菓子だ麦菓子を持って来い」



「ささ、これを口に入れて食べてごらん、甘くて美味しいから元気が出るから」



「美味しい」



「もっとお食べ」



「ちょっと旦那様の所に行って来る、千を頼んだ」



 善吉は那須芦野領の農家であり、芦野家の騎馬を数頭預かり面倒を見ていた、戦で徴収がかかれば足軽として戦に参加する足軽農民であり、騎馬を預かり面倒を見てる農家も芦野領には多くいる、那須特有の事情と言える、騎馬を率いる隊長の元に急ぎ訪ねる善吉。



「夜分に申し訳ございません、急ぎのお願いがありましてまかり越しました」


「気にするな善吉なにがあった」


「実は先程某の家内の実家から妹が行き倒れの状態で来たのです」



(一連の事柄を話す善吉であった)



「なんとその方の妻は蘆名の出なのか、蘆名領は飢饉と聞いている、この話儂からも上に伝える、その方は荷馬車で奥方の実家に行くが良い餓死寸前であれば急ぎ手当てを行い那須に連れて来るしかあるまい、善吉の家には食する米とか問題ないか?」



「はい米等はあります、ではこれより向かいます、ご配慮ありがとうござります」



 那須領内では蘆名領が飢饉である事、庇護を求める者がいる場合は関与するようにと通達されていた、ただこの様に早くも被害が出ているとはまだ知らされていなかった、この事は上から烏山城に知らせが届き正太郎の知る事になった。



「春までは大丈夫と聞いていた、今は12月半ばであるぞ、小太郎、配下の者を急ぎ蘆名領に向かわせの村々を調べてくれ大勢の者が餓死に向かっているやも知れん」



「前回3000石の米を引き取らせ次は確か年明け20日頃に3000石だった筈じゃ、儂自ら蘆名に行って様子を確認するか!?」



 その後の調査で考えてもいなかった事が蘆名で起きていた、蘆名領内の兵達が食料不足となり米の値が数倍に膨れ上がり、買う銭も無く勝手に農家に押し入り米等の貯えを収奪していたのだ、代官の松本が当主に訴え改善を求めても見て見ぬふりをされ、日に日に悪化する事態となっていた、那須で先に渡した3000石は城の備蓄に回され兵達には届いていなかった。



 小太郎から蘆名一連の調査内容を聞き、呆れると同時に憤る那須の皆々であった。



「頭が変になりそうだ、那須でこの様な事が起きたら最早国として成り立たん、何故当主に強く改善を求めぬのか全く理解出来ぬ、蘆名に行く時は皆の者も同行せよ!!」






 話は少し遡り小田原から帰還した正太郎を待っていたのは油屋であった。



「父上滞りなく無事に北条様と談合を行って参りました、某が滞在中に10才になった事を聞き盛大にお祝いを行って頂くなどのお持て成しを受けました、又、こちら父上に文を預かりました、北条幻庵様から自ら作りました鞍を頂き、それとは別に沢山の土産物を頂きましたので別室に置いておきました後程ご確認下さい」



「うむ、ご苦労であった、留守の間これと言って変わった事は無かったが油屋が大量の銭をもって来ておる、お主の屋敷で遊んでいる様だ年明けまで滞在すると言っておった」



「そうでしたか、銭不足が解消出来て良かったです、それで如何程持って来たのでしょうか?」



「四万貫も持ってきおった、あの量の金だとその金額になるそうだ、まだまだ銭を集めて置くので金と交換して欲しいと言っておったぞ」



「四万貫ですか、それは凄い量です、七家皆が助かります、これで民にも少し行き渡りましょうか、米があっても銭が無くて物が回らないと商人が嘆いておりました、米は他家に勝手に売る訳には行けないので、皆困っておりましたので、安心されるでしょう」



「数年前まで貧乏であった那須である、米が余る事など考え事も無い、更に銭が不足するなど、お陰で米の大切さ銭の大切さを学ぶ事が出来た、油屋が戻る時にも金を渡す事になっておる、当分銭に困らぬであろう」



「私は金がどれ程価値があるのか判りませぬが、金が出て良かったです、では屋敷に戻り、今夜は城にて夕餉を頂きます」



「おっ~、油屋殿お待たせしたのう、元気そうでなによりだ」



「若様お帰りなさいまし、この油屋楽しく滞在させて頂いております、先程公家殿の所から戻った所です」



「それでは驚いたであろう、公家殿の所は時告げ鳥が沢山おるし、牛もおる、煩い鵞鳥に攻撃されなかったか(笑)」



「あっははは、お尻を突かれ逃げ回っている所に公家殿が鵞鳥を止めました、あっははは」



「あの鵞鳥は儂にも攻撃して来るのじゃ、番犬より役立つそうだ、先程父上から聞いた沢山の銭を持って来たそうで助かった」



「こちらこそ助かりました、南蛮の者は明の銭では中々物を売らぬのです、堺の会合衆に明銭と交換するから持って来いと呼びかけましたらあの通り蔵にしまってある明銭を届けて来ました、中には悪銭も混ざっていたのでそれらを取り除き良銭だけお持ちしました」



「悪銭とはなんであるか?」



「銭の中に質の悪い鉱物が入っており、文字の刻印もはっきりせず、錆びるなど価値が低い銭の事を悪銭と言っております」



「要はまがい物であるな、人もそうであるが狡い輩がおる、それと同じじゃな、今夜は父上達と食事するので油屋も一緒に食しよう、済まぬが少しだけ横になる、夕餉時に一緒に行こう」



 油屋の持って来た四万貫は現代の40億円になる、一文銭が4000万枚になる、祭りなどで澄酒一合を一文で露天販売していた正太郎達、祭りゆえ市価の半値程度であろうが、銭が無くて米一合で交換するなど貨幣流通が整っていない那須に取って大いに役立つ銭となる、その日の夕餉では例のプリンを出し、母上の機嫌はこの上なくニコニコしており、楽しい夕餉となった。



「では正太郎は鶴姫に九尾のキツネについて話をしてあげたのですね」



「はい、三才の小さい童です、尻尾が九本もあると聞けば怖かったのでしょう、もう退治されて大きい岩になっているから怖く無いですよと話しておきました、そのプリンも美味しく頂いたおりました、公家殿と飯之介で色々試しており時告げ鳥の卵の忌避する間違った風説を取り除く為に作られた菓子です、北条家の皆様にも作り方を教えましたので何れ広まるかと思います」



「そうでしたか、それは良かったです、このプリンなる菓子は絶品です、毎日食したいですね、それほど美味しい菓子です、油屋殿は堺の方ですので、色々と食に通であると思います、このプリンをどう思われますか?」



「これは極上の菓子になるでしょう、帝が食したら間違いなくお褒めする菓子です、公家殿の話では時告げ鳥が産んだ新しい卵が必要と申しておりました、新しい卵を手に入れる事が中々難しいかも知れませんが、公家殿が沢山時告げ鳥を飼育しておりました、羨ましい限りです」



「正太郎その公家殿ではどの位時告げ鳥がおるのですか?」



「確か200羽程だっだと思います」



「そうですか・・・・お前様・・私からお願いがあります」



「珍しいな、なんであるか?」



「はい、その時告げ鳥を増やす為に些か私が行って見たいのですが? 宜しいでしょうか?」



「えっ、奥方のお主が鳥の面倒を見るのか?」



「いえいえ、私が飼育するのではなく飼育する者の数を増やすのです、200羽程度では普及は無理かと思います、村々に主人を無くし御家人となった婦人が多くおります、その者達に私が最初費えを用意し育てて頂くのです、その育てた鳥の卵をその者達が売れば良いのです、もちろん当家でも買います、200羽では親無子を育てる為に食したり城の者が食するだけで御座いま、しょうし全然足りませぬ」



「母上、それは凄き良き事です、驚きです、その様な話が出るとは、急にどうされたのです」



「大した事ではありませぬ、お主を見て、我が夫の苦労している姿を見ておれば一つくらいお役に立ちたいと前から考えていたのです、このプリンもそうですが、茶碗蒸しも領民に食べさせたい、でも卵が無ければどうにもなりませぬ、私には育てる事は出来ませぬが、手伝いは出来るでしょう」



「儂も驚いた、お主がその様な事を考えていたとは、先ずは近隣の村長にこの話を伝え、飼育を試みたい者を集め進めて見てはどうであるか?」



「はい、では母上年明けに進めて行ける様に公家殿に話しておきます、母上が行っている事で時告げ鳥が忌避されずに進むと思われます、これで大きく広がると思われます」



「奥方様お話しこの油屋感服致しました、堺に戻りましたらこの菓子の名を『那須プリン』という名で某が広めましょう」



「お~それは良い名じゃ『那須プリン』母上の行う時告げ鳥が産む卵の菓子名が『那須プリン』という名で広めましょう、早速正月の祝いでお披露目致しましょう」



「素晴らしいのう、奥方が行う政に、菓子の名を『那須プリン』とは羨ましいのう」



「では父上も何か考えて下されそうすれば名を付けてあげます、あっははは(笑)」



「麦菓子はお主だし、油屋も暫く滞在であろう、ここは大人の知恵で一緒に考えて見ようぞ」



「某にはその様な知恵は無理かと・・・。」



 年が明け1567年開幕となった、1467年応仁の乱より戦国期が始まったとされ、信長が美濃を平定し大きく飛躍する年となる、百年目にしてこの1567年より史実では歴史の方向性が天下統一という向きに羅針が指し示す年となる。



 織田と那須が出会う場面はまだ訪れぬ、その前に通らなければならぬ武田信玄が、まだ見ぬ信玄の後ろ姿が見えて来る年。


 正月の烏山城には朝早くから大勢の来客が列を成していた、70万石の大国である、旧白川結城、宇都宮小山と常陸からも大勢の国人領主達、商人、村長までが列を成していた、事前に混乱しない様に初日は七家重臣と親族衆による祝いの挨拶、二日目に国人領主他の日程であり二日目の国人領主達とは七家重臣も参加して夕餉の歓待となる、商人、村長達は挨拶に来たという記帳を行い、別室で配膳が用意され食した後に帰宅する。



 三日目以降は那須本家以外の六家それぞれで同じ様に行われる、正月の祝いの挨拶という習慣が何時頃出来た文化なのか定かでは無いがこの様に本家に挨拶に行く習慣が定まったのは戦国期に定着したようである、余談だが、私が幼い頃に正月になると獅子舞が家々を訪ね玄関前で無病息災などを舞い獅子舞が終わるとお礼を包み渡していた光景を覚えている、その獅子舞を踊る人達は一体誰であったのか、どこから来たのか、今となってはさっぱりである、忙しい世の中、先祖に感謝し、毎年新しい気持ちで出発したいものである。







『那須プリン』が誕生、那須高原にはプリンを商品にしているお店が沢山ありますよ。次章「蘆名の狼狽え」になります。

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