蘆名の狼狽え

 

「よしこれより蘆名に向かう、戦に行く腹積もりで乗り込むの、出立じゃ!」


蘆名領内で起きた飢饉に何も対策を取らぬ事に憤り正太郎自ら乗り込む事に、併せて米3000石を騎馬の荷駄隊1200名と人夫500名という大軍で向かった。


蘆名家には代官の松本を通し既に伝えており、此度の米引き渡しと当主資胤の名代として正式に正太郎が訪問する旨が伝えられており、蘆名家でも当主初め重臣が正太郎に挨拶する為に集まる事になっていた、事前に幾つかを松本から飢饉についてどうなっておるか、何故手を打てないのか等について確認しての蘆名家への訪問詰問である。


現代の会津若松市に蘆名家居城がある場所は猪苗代湖より真横左側の位置にある。


雪深い地であるがまだ降雪が無いとの事でより近い道を選んだ、道中は塩原温泉に向かう道となり関谷を抜け、三依から道標高700~800mを山間の道を通り会津田島の宿場で一泊し翌日午後に到着する予定である、会津に向かうには関谷を抜けて向かう道、板室の温泉を抜けて向かう道、白河から向かう道がある。


会津田島には代官松本に炊出しを行う事と近隣の者へ布施米の施しをするので集まる様に手配りさせた、正太郎には他家の領内であってもこれは政であると自覚した上で行った、他家から見ると施しとは言え勝手に行えば明らかに罪として問われる事になり、場合によっては戦の口火が切られる余計な手出しである。


その為に蘆名の代官松本は手勢を田島に向かわせ、蘆名の幟旗を立てさせ共に炊出しと布施米の手伝いをする事で事無きを得る様に手配りした、既に松本の心の中では正太郎の政に惚れ込み自分に出来る事は何でも致す覚悟が出来ていた。


夕方に田島に到着すると多数の篝火が灯され1000名以上の領民達が待っていた、松本は城にて待機しており配下の者が正太郎に腰を低くし丁寧に挨拶し向かい入れられ、正太郎は一豊に急ぎ炊出しを行う様に指示すると共に十兵衛に布施米を渡す様手配りさせた。


田島の地は比較的大きい町であるが那須山の北側に位置しており飢饉の影響が顕著であった、集まった者達はやせ細り難儀している事が充分予想できた、松本が寄こした配下にも食させ布施米を渡しその夜は宿場の宿全てを那須の者にて埋め尽くし、宿が足らず近隣の家々にも宿泊させ宿賃として米を渡し大いに喜ばれる一夜に。


翌日午後に蘆名家の居城向羽黒山城に到着した正太郎は配下の面々を引き連れ広間にて現当主蘆名盛興あしなもりおきその横に父親の前当主蘆名盛氏あしなもりうじ左右に蘆名家重臣が控えていた。


広間に入り一通り挨拶を終えた後にあろう事にも当主盛興が体調整わずとの理由で退出しようとしたので正太郎がやや大きい声で。



「今退出されましたらこのまま我らはお持ちした米を納めずに帰る事になります、宜しいでしょうか、私の話はそれ程時間が掛かりませぬ、出来れば帰らずに納めたいと思いますが如何いたしますか?」



突如挑戦的な言葉を述べる正太郎、蘆名に対して宣戦布告をしたのである、その言葉を聞き、慌てる重臣達と横にいた前当主が盛興に失礼な態度を取るなと諫め座らせた。



「那須殿大変に失礼な事を致しました、何なりとお話し下さいと」



前当主の盛氏が話しなんとか場を治めた。



「では申し上げ致します、昨年蘆名家よりそこにおります松本殿が当家に訪問され、蘆名領内にて二年連続の凶作との事で大変難儀しており那須家にて米等穀物の融通を依頼されました、この事はここにおります皆様も知っている事柄かと思われます、飢饉となれば早く手を打つ必要から昨年秋に3000石の米を先渡しを行いました」



「ところが暮に蘆名領内の農家より那須に嫁いだ農家へ食べる物が一切なく家族が動ける事が出来なくなり餓死寸前との知らせを受け急ぎ駆け付けるも既に農家の父親が餓死しており辛うじて母親と息子が生きておりました」



「当家で調べた所先渡しした米3000石と城に備蓄されていた米2000石が今も蔵に眠っております、その農家に何故米一粒も残っておらぬのか確認した所、蘆名家に仕えている侍に全て収奪されたとの事であった、さらに調べるとなんと何処もかしこも同じ様に蘆名家に仕えている者達により多くの者が収奪されておりました」



「蘆名家に仕える者達も食する米が無く生き延びる為に農家を襲いなんとか食いつないでいるとの話である、ここにいる重臣の方々はこの事を知りながら一体何をしているのか、松本殿は代官であり米蔵を勝手に開ける権限は無く、皆様へ何度も訴えいるとお聞きしております、当主にもこの話は伝わっていると確認しております」



「何故蘆名に仕える配下の皆々にこの様な仕打ちを行うのか、我らが融通した米を何に使う予定であるのか、蘆名家としての返答をお聞きしたい、私は那須家当主資胤の名代としてまかり越している、返答やいかに!」



正太郎の話は詰問であり怒りであり餓死した者の代弁であった、蘆名の者達は下を向き、特に松本は涙を流し聞いていた、誰も口を開けず静まり返る広間、さらに追い打ちを掛ける正太郎。



「この話が伊達に届けば直ちに蘆名に戦を仕掛ける事になりましょう」



正太郎が一言述べると、全ての者が青い顔色となり、やっとの事で口を開いたのが前当主の盛氏であった。



「実にお恥ずかしい事であります、何やら手違いが生じたに違いない、ご指摘の件直ちに改善し蔵にある米を配り改善させます故どうか良しなに願います」



「重臣の方々、松本殿良かったで御座るな、皆々様も配下の方々が苦しい窮状に手当てが出来ずに苦労されておったと思われる、これにて少しは安堵されたでしょう」



先程の怒りの言葉から労わる言葉で語り掛ける正太郎、しかし、これで終わらないのが正太郎である。



「では当家でお持ちした米3000石も備蓄ではなく配下の者達に行き渡る様に手配頂きたい、春には残り4000石を松本殿引き取りを頼みます、最後に当主殿、盛興殿、私も那須の嫡子です何れ当主となりましょう、蘆名家は24万石の大家です、その責は重く時には孤独となりましょう、しかし、些かお酒を控えた方が良いのでは、お顔の色が土色になっております、次回お会いする時はお身体が健やかになっている事を願います」



辛辣な皮肉を込めた一言、政は家が大きければ大きい程配下も領民も多くその責任はより重く大きいと諭し話し退出した正太郎一行、退出した後に蘆名家ではひと悶着が生じ当主盛興は酒を取り上げられ不貞腐れ勝手に自ら蟄居してしまった。


父親の盛氏もここまで酷い状況になっている事に驚き何故そこまで詳しい事を那須が知っているのかと恐ろしくも伊達に知られる前で良かった、これが伊達なら攻めて来ると実感した。



米を渡し帰還する際に松本が正太郎に地面に拝しお礼を述べた。


「那須の若様のお掛けで蘆名が生き残れます、領内の民についてもやれる事をやってまいります、若様は命の恩人で御座います、本当にありがとうございます」


「何かあれば私を頼って頂いて結構です、此度の件で松本殿も一回り大きくなられた、使命があるのです、国は違えども隣には私がおります、また春にお会いしましょう」


帰りの道は一気に白河に向かい芦野城で一泊し翌日に芦野家の案内で蘆名領から知らせを伝え身を寄せた農家を訪れた。


農家の玄関前では善吉一家と避難した母親と息子太一と二日掛かりで姉の嫁ぎ先に知らせを伝えた千が地面に座り拝礼し迎えていた、その姿を見た正太郎は駆け寄り立ち上がらせ、膝についた埃を払い。


「皆の者立つのだ、その方達の心充分に伝わっておる、そなたが千であるな」


怯えながら頷く。


「よしよし怖がらなくても良い、儂は那須家嫡男の正太郎である、此度は辛かったであろう、父上は残念であった、母御もご子息も安心するが良い、そなた達家族は儂が引き取る、安心して暮らせるよう手配りしておる、今はここで身体を労りゆっくりと休むが良い、春になれば儂が住む地に来るが良い、それと善吉と姉の幸であるな、その方達ようやった、その方達が直ぐに知らせた故多くの者が亡くならずに済んだ、他家の領内ではあるが那須の隣である、決して見過ごしてはならぬ、それとな蘆名の殿様を叱りつけておいたぞ、亡くなった者達の悔しい思いをぶつけておいた、少しは反省するであろう」



「先程芦野城で大学芋を作って持ってきた、麦菓子も沢山ある、それとな鹿と猪、雉鳥の干し肉も沢山持って来た、ついでに城にあった海魚の干物も持って来たぞ、此度の件、平蔵には澄酒2樽褒美とする、沢山皆で食べ元気になり儂の元に来るのだ、一緒に政を手伝ってくれ、では又会おう」



こうして正太郎は蘆名家に対する仕置きというべき一連の出来事に終止符を打った、この事が遠因となり蘆名家は史実とは違う、天正171589年奥州統一を目指す伊達政宗に摺上原の戦いで大敗し滅亡する蘆名家の命運が大きく開かれる事になる、但しそれはもう少し先の事である。


正太郎も一仕事を終え数日後に館で主な配下とゆっくりと昼間からバーべキュウを行った、その中で半兵衛が恥ずかしそうに。


「どうやら某、やや子を授かった様です、百合が身ごもりました」


「おっ、半兵衛やったではないか、百合が懐妊したのか、それは嬉しい事じゃ、皆で祝おうではないか」


「一同喜ぶ中、十兵衛が、お伝えするの忘れておりました、あのアウンとウインにも子が出来ました、福と万も懐妊しました」


「なんとなんと良い話ではないか、あの大きい者達からどの様な子が生まれるのか楽しみである、きっと立派で大きい子が生まれるのであろう」


「若様赤子は生まれた時は皆同じような大きさかと思われる、幾ら奥方が大きくても百合殿が産む和子と同じかと思われます」


「そうであったか、儂はてっきり大きい赤子が生まれて来ると思てしまった、あっはははは」


「えっへん、実は某にもやや子が出来ました、懐妊致しました」


「なんと太郎殿にもやや子が授かったのか、目出度い、大いに目出度い事じゃ」


「うっ・・ちょっと待て待て待て、半年前は天狗殿伴殿にお子が産まれ、今、四人から話で懐妊したとなると、今年は領内で沢山赤子が誕生するのではないのか? きっと沢山やや子が誕生するぞ、そうだ忘れておった、公家殿の奥方も懐妊しておった、そろそろ産み月であっと思うがどうであったか忘れていた」


「これは盛大に祝わねばならぬ、余りにも嬉しい事じゃ」


「赤子が生まれた家にお祝いの赤飯でも配りましょうか?」


「お~飯之介良い事をもうしてくれた、小豆のご飯であるな、それなればどの様に致せばよいかのう」


「赤子が生まれた家にもち米と小豆を渡せば良いかと、家々で米を炊くでしょう、さすればその家の都合に合わせ赤飯を作るかと思われます、赤子が生まれる日にちがそれぞれ違いますので、如何でしょうか」


「半兵衛は頂く側であるがどうであるか?」


「某も太郎殿も頂く側なので、その様にして頂くだけで有難く嬉しい限りです」


「よし飯之介の素晴らしい案じゃ、茶臼屋にもち米を多く買う様に手配りを福原頼む」



楽しいBBQバーべキュウでの語らいでは今後の学校、海軍士官学校、時告げ鳥の飼育、北条家、小田家の話、プリン、椎茸、南蛮の馬等々話は深夜まで行われ酔った者から一人二人と勝手に脱落し、正太郎も何時しか寝床に移されていた。



正月が過ぎ2月今川家より武田に塩止めと交易停止が行われ正式に武田との同盟が破綻となった、武田信玄の領国甲斐は海に面しておらず他家から塩を購入せねばならぬ事情があった。



武田家で昨年今川と行った領地替えの件で理由を聞く為に北条家に使者を送ったがつれない返事であり、あくまでも同盟している今川家からの要望を当家でも利があると考え行っただけであり、今川家と北条家の事であり、武田家には関係ないとのつれない返事であった。



武田家と北条家との同盟関係はまだあるのか無いのか不安定な関係ではあったものの同盟は維持されていた、今回の塩止めされた件で、北条家から塩を賄おうと使者を送ったがこれまたつれない返事であった。


北条家では今川家とは同盟関係が続いており、同盟者である今川家が武田家に塩止めするには理由があっての事、その同盟者が行った塩止めを当家が武田家に塩を送るとなれば今川家を裏切る事になる、武田家とは同盟を結んでいるとは言え、今は当家も武田家を様子見している所である、恐らく武田家でも当家を様子見しておる所であろう同盟関係が何時無くなるか判らぬ、危ぶい時である、当家は同盟した家に対して此方からは簡単に裏切らぬ家である。


武田家の使者が相手にされず追い返された、この一連の領地替えと塩止めは武田に取ってより慎重に動かねばならぬという示唆であったが、その示唆を北条の裏切りと受け取った信玄。






那須にベビーブームが訪れたかも知れません、食べ物があるという事はそう言う事なのでしょう。次章「薫風」になります。




楽しみに読みたい作品が暫く更新していないのを見かけると、そろそろ自分も完結に向けてストーリーを考えている自分がいます、書き出しは意外と書けますが、中盤~終盤、そして完結という、一番難しいのが完結なんだなと、書いて来た内容を無駄にしない為にどう完結させるかと、今から悩んでいます。

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