豊穣祭り・・・2


いよいよ豊穣祭りが始まった、今年は当主資胤も参加となり領民もこぞって朝から列をなし、城前にぞくぞくと集まって来た、今年は七騎の家でも祭りを行うが、両方の祭りに参加しようと実に逞しい領民達であった。



寝泊り覚悟で来る者もいれば近くの農家に泊まる等この祭りを楽しみに家族総出で出かけるのであった、新しく領地となった大子、矢祭、塙の村々からも参加する者が多くいた、この時代娯楽と呼べる物は見当たらなく、この祭りこそ誰もが夢見る行事であった。



露天販売所には開始前に大勢の列が、急遽酒、麦茶、麦菓子コーナーを先に開店する事にした、昨年と違うのは参加する領民達も自前の弁当を沢山用意しており最初から三日間楽しもうとする領民達が沢山いた。



今年も子供達には童用の弓で行う的当、輪投げで遊べる露店を数ヵ所用意した、昨年は炊出しと露店販売での混乱もあったが大人気であった海魚の干物焼きと、串焼きの場を多く作り功を奏していた。



櫓の周りでは各村から集まった獅子舞が次々に舞が行われ祭りを盛り上げ、正太郎から特別に酒と鯛の塩焼きが与えられた。



目玉の相撲大会では5人抜きをする者が初日から10名も現れ、二日目三日目での合計55名もの5人抜き達成者が生まれ、褒美の砂糖が渡され、今年も女子で勝ち抜いた者が3名も現れ大成功の相撲であった。



初めて行った和弓による催しは初日と二日目で予選を行い、三日目が決勝戦とした、1000名以上が参加し予選を勝ち抜いた猛者は全部で15名、予選で行われた的当ては難易度が高く100間離れた的を射抜く事は相当な腕の持主であり運も必要であった。



決勝戦では与一様が行った扇の的を模写した競技である、100間離れた処に扇を紐で吊るし当てるのである、最初に一射だけ撃ち当てた者が1人の場合はその者が勝者となる、一射で当たらなければ二射目となる、同一の者がいればその者達で勝ち抜きとした。



決勝戦は領民数千名が見守る中行われた、15名による一射目では誰一人当たらなかった、扇が風に揺られ扇も横を向いたりと風を読み丁度扇が正面に向く所を計算に入れ撃たなければならなかった、見事二射目で当てた者が二人おり、その者二名にて決戦となり三射目となった、三射目は二人とも当たらず、四射目で決着が着いた、四射目を当てた者は那須七騎の大田原綱清の弟勝清18才であった。



第一回の勝利の栄冠を当主資胤より褒美の目録が渡された、その目録には資胤直属の馬廻役への昇進と澄酒2斗樽10個、砂糖5貫の目録であった。



準優勝した者はマタギの熊蔵といい26才の体ががっちりした熊の様な大男であった、熊蔵に渡された目録は本人が希望すれば那須家お抱えのマタギでも騎馬隊にでも入れると記した朱印状と澄酒2斗樽3個、砂糖2貫の目録であった、熊蔵は後日正太郎の騎馬隊に入隊となった、他に予選を勝ち抜いた13名にも澄酒2斗樽1個と砂糖1貫が渡された。



そして祭りの最後を飾ったのは巫女達による豊穣舞である、20名の巫女達は那須のアイドルとして既に憧れになっており現代の萌えと言うべき存在であった、高櫓の周りに巫女達を配置し舞うのである。




シャンシャンシャー─鈴の音 シャンシャンシャー~  

祭囃子と笹に鈴を付け舞う。

(夏川りみさんの五穀豊穣の歌詞を又お借りしました、どうかご了承下さい)



五穀豊穣 サー天てぃんぬ恵み ハリ今日くとぅし


果報かふしどぅスリ サー御祝うゆえさびら 嘉例かりーさびら


太鼓三線小てーくさんしんぐゎ うち鳴らち ハリ今日ちゅうや


舞もういる美童みやらびぬ美ちゅらさ 他ゆすにまさてぃ




年に一度の領民こぞっての祭りである開催側も集まる領民も楽しくて仕方がないこの祭りは那須の盆踊りに発展していく。



いよいよ収穫を終え冬支度に向かう領民達、道路の整備、水路の引込み、草鞋作り、竹籠作り、やる事は沢山ある冬支度である。





── 洋一と玲子夫婦 ──




10月に入りある古武道の道場に招かれた洋一達、洋一の先輩、桜先輩が結婚し、嫁いだ先が古武道の道場を開いており師範の道場に招かれた。



古武道とは剣術、柔術、槍術、弓術、砲術等様々な武芸が、空手、合気道も古武道である、ここは合気道の道場、桜先輩は弓道における一つ一つの動作は静止の連続であり、動作の中で静止という事をどうすればしっかりと技として身に付ける事が出来るのか、結論は大幹を鍛えるしかない、身体の中心軸を鍛えるそれには合気道の動きを身に付ける事が出来ればより弓道の上達に結び付くのではと考え、この道場に通い始めた。



桜が道場に通う理由を聞き、感心した若き師範から合気について指導を受けていた、合気道は、空手とは違い攻撃する側ではなく相手の力を無力化させる、攻撃する力を応用し組み伏せる、その動きの中心は自分であり『円転の理』という円の動きの中心に自分がいる武道と言える、円の中心軸である自分の大幹を強くする、弓道の動きも円であると悟る桜。



知れば知る程のめり込み、いつしか師範とも距離が近づき先月結婚した、洋一が呼ばれた理由は、以前、戦いの中でどうしたら、移動又は格闘などの動きから、適切な矢を射る動作が出来るのかについて質問された、考えた事も無かった桜ではあるが、確かに弓とは、戦う武器であり敵が停止しているとは限らない、移動と言う動きの中、又は、対人同士による例えば接近した状態で槍と弓で対峙した場合はどうなるのかを考えた場合中々弓では勝てないと判断した。



弓で勝つには他に必要な要素があると考え、主人である師範に相談してみると以外にも槍、剣に勝つ方法があると言うのであった。



合気道には攻撃をさせる、その力を利用するという円転の理が基本にあるが、複数が相手の場合、一瞬にして相手の懐に入り、その懐で円転の理を使い無力化させる事が出来るという話であった。



実際にその動きを見た桜は、目にも止まらぬ速さという事はこの事かと理解し、洋一に教えようとしたのである、技の名を『縮地』と言う、一瞬にして距離を縮める、神速の速さで相手との距離を縮める技である。



この技の特徴は比較的短い距離を一瞬で自分の間合いにしてしまう、例えば両者が剣と槍の場合、槍の方が獲物が長く、剣の方が不利となる、槍の長さ3間であれば剣では全く届かず槍の攻撃をかわして懐に入らなければならない、その距離を一瞬で一間以内とすれば槍は攻撃が出来ずに剣の方が有利となる。



この縮地という技を取り入れれば接近時での戦いも場合によっては互角以上になると考え洋一を呼んだ、この技の特徴は身体を前に倒し前傾姿勢をとる事で自然に足が前に出る、本能と身体の機能を生かした技である、人間は走る時に、走るという姿勢に入る時に両足に力を溜めるという動作を行うが縮地にはその溜めの動作が無くいきなり全速力の速さに到達する技と言って良い。



長距離ではスタートで縮地を使えば一歩も二歩も先に進めるが、距離が長いと、元々足が速い方が追い付き抜かれてしまう、縮地の技は10m以内の短い距離からさらに自分の間合いに瞬間にしてしまう古武道の技である。



この技を習得するには何十回何百回と繰り返し繰り返し練習、反復する以外に方法は無い、頭で理屈は理解出来ても、動作の中で力を溜めるという事をどうしても行ってしまい、中々取得出来ないのである。



傍で聞いて見ていた玲子が休憩時に、この私の動きも自然の動きでは出来ないのよと、得意なムーンウォークを披露したのだ、マイケルのムーンウォークとは足を交互に滑らせ、前に歩いているように見せながら後ろに滑る、この動きを見た者は近づいて来ると思わせて実は遠ざかる実に不思議な歩行であり幻惑の歩行技である。



一見簡単な様で難しい歩行であり各地で大会も行われている、ムーンウォークを習得するにもやはり練習は必要である、それを見た師範は縮地とムーンウォークを組み合わせ、初め見る者には理解出来ずに知らずに負けているかも知れませんね、と笑いながら説明していた。



結局洋一はこの古武道である合気道の道場にも通う事になった、玲子も母から言われ料理教室に通う事になった、その理由は洋一が瘦せて来たからである。



玲子には料理を作る経験が不足しており、不足分をオリジナルの発想で味付けを行い、残ったおかずを洋一のお弁当に入れると言う処理で済ませ、洋一の食が細くなり、見かねた母が玲子を強制的に料理教室に通わせる事にしたのである。



尚玲子は晩御飯は洋一に作ってあげて、自分には甘いスイーツを別腹に入れ全く影響ない食事をしていた、何事においても一枚も二枚も上手な玲子であり、それが玲子なのだ。



合気道の道場から帰宅して今後の那須に起きるであろう事について洋一に説明し、対応について軍略を伝えた。




来年必ず佐竹と宇都宮が連合して戦を仕掛けて来る、これは史実でもあった戦である、そして今まで史実で起きていない現象が起きている事を考えて、もっと大きな戦があると説明する玲子、佐竹と宇都宮だけの連合では勝てないと佐竹義重は考え、陣容を整え攻めてくるであろう。



佐竹側も那須と小田が同盟を組んでいる事を今は理解しており、その両方を潰す策を講じて来るはずである、小田の隣に結城家がある、その結城が動けば分家の白河結城家も連動する、宇都宮が動けば小山も動くと読んだ玲子、その場合どの様な戦が展開されるのか、私が佐竹ならどう那須と小田を攻め滅ぼすか・・・



小田と那須を同時に攻め両家が合力出来ない状況に追い込み個別に撃破し殲滅という策を練るであろうと結論を導き出した玲子。



佐竹20万石、結城10万石、白河結城(塙、矢祭を除く)10万石、宇都宮15万石、小山8万石、計、63万石という事になる、それに対して那須と小田で約40石であり、相手側は1.5倍以上の石高となる。



兵力で比較すると最大で約1万6千対1万という計算になる、どの様な手を打てば勝てるのかを考え編み出すのが軍師玲子の役割であった、その戦いに備える様を正太郎に伝える事になった洋一である。





── 烏山城 ──





10月下旬に武田太郎と嶺松院及び飯富と幕臣の和田が烏山城で当主資胤と謁見した、奥方藤も同席しての謁見である。



「この度は那須様の御計らいにより私武田太郎は生きながらう事が出来ました、妻である嶺松院共々誠に忝く心より感謝申し上げ致します、武田太郎義信はこの御恩を生涯忘れる事なく、那須の皆様に報いる覚悟で御座います、心から御礼申し上げ致します」




「武田殿の身に起きました事さぞ苦しかったで御座いましょう、お察し致します、嶺松院殿も同じく辛かったで御座いましょう、どうか皆様がこの那須の地で新しい地にて新たに家を興されて下され、新たな故郷として歩まれて下され、幕臣であった和田殿もお察し致します」



「今宵は城にお泊り頂いて皆様の歓待の夕餉をご用意しております、正太郎も奥の藤も皆様と語らう事を楽しみにしておりました、どうぞゆっくりと過ごされて下され」





祭りが終わり何やら次に備える頃合いなのでしょうね、ムーンウォーク何度か試しましたが私には出来ませんでした。

次章「備え」になります。

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