備え


那須烏山城本丸広間の前庭に演台が設けられ猿楽が模様されていた、武田太郎及び奥方嶺松院と飯富殿、元幕臣の和田殿を歓待する夕餉でもあり少しでも慰めになればとの配慮から資胤が下野国の佐野の地より猿楽を招き演武を鑑賞したのである、最後は那須の巫女達によるお祝い舞が行われた。



巫女を見た飯富が顔色を変え、急ぎ太郎に耳打ちした、その話に驚き、太郎も那須資胤にこの巫女達は武田にいた巫女達ではないでしょうか? 甲斐国から来た巫女であるならば間諜の者達であり危険だと伝えた。



話を聞いた資胤はご案じなされるな、巫女について正太郎に説明させたのである。



「太郎殿あの巫女達は確かに武田の間諜をしていた巫女達です、今は那須の大切な巫女として仕えています、巫女達は甲斐国では、ある者から呪印で操られ間諜として働いておりましたが、今は呪縛を解いております、今は自らの意志で巫女として那須に仕えてくれております、ゆえにご心配は入り申しません」



驚きの説明を受けた太郎太郎、横で聞いていた飯富は正太郎の説明に更に驚き驚愕していた、飯富は信玄の父親である信虎の代から仕えている重臣であり誰よりも武田家の事を知っている老臣であった、歩き巫女の事も信玄の代に組織された間諜の者達であり、その者達を纏める千代女の怖さを知る1人でもあった、千代女とは此れまでにも何度も間諜を忍ばせる地を指示するなど差配した事もある飯富、それ故に歩き巫女の恐ろしさを充分に知っていた。



今はこの時を楽しみましょう、明日朝餉を終えた後に某よりご説明致しますのでと言われ、歩き巫女の事は最早これ以上話す事無く終える事に。



歩き巫女達のお祝い舞が終わると資胤が巫女達を呼び、見事な舞であったその方達は那須の守り人であると最大の誉め言葉を与え、一人一人に盃を取らせたのである、その姿にも、太郎達一行は感嘆していた。



演目を終え暫し歓談となり頃合を見て、嶺松院から那須の皆様へ感謝の言葉が告げられた。



「那須の地にて流浪の身である私達を向かい入れ、皆様のお心に触れ新しい命を授かりました、この地に来る前に祖母寿桂尼様より命の灯を私に受継ぐ様にと授かり、私はその意味を那須の地にて悟り覚悟を決めました、命の灯を必ずこの地に灯します、その覚悟で生きてまいります、皆様の心からのご配慮にお応えしとう御座います」



頭を下げる嶺松院、太郎は那須の地で再開してより、これまでの知る嶺松院とは全く違う、姫様として何不自由なく育ち、世間の事に関心を示さない我儘な姫であり奥方であった、世間知らずな己の心のままに純粋な生き方に影響を受け、知らずの内に父信玄が行おうとしている駿河侵攻に反抗し、お家騒動に発展した、数ヶ月ぶりに会った妻である、太郎の知っている嶺松院と全く違っている事に驚くも自分もこれまでとは違い大いに変化していると感じていた。



嶺松院が頭を下げた時に太郎も素直に心を込めて共に頭を下げた、翌日は朝餉の後に正太郎と太郎と配下達による会談となった、この席に資胤は同席していない。



「昨夜は心のこもったご配慮忝のう御座いました、誠にありがとう御座いました」



「太郎殿に中々お会い出来ず申し訳ありませんでした、父上と争うなど本当に苦しかったと思われます、傷心したお心を癒すに暫く時間が必要かと思い、又奥方の嶺松院様をお迎えしてからの方がご安心であろうと考え暫しお時間を頂きました、北条氏政様からも支援を頂き放逐された騎馬の皆様ともお会い出来誠に良かったと思います」



「太郎殿が某にお聞きしたい事は充分に解っております、何故いろいろと私が太郎殿に起きる事を事前に知りこの様に図ったのかという事をお知りになりたいのであろう事は理解しています、しかし、ご説明するにはお聞きする太郎殿に覚悟が必要となるのです、その覚悟なくば話せぬ事になります、話せば、太郎殿初め飯富殿も騎馬隊の皆様も共に運命を私と共にしなければ成りませぬ、それ程重要な説明となります、現状の形で宜しければ私の客将という形でお過ごし下されば良いかと思います」



「いや正太郎様、この半年以上における期間私は天国と地獄を往復致しました、父上より廃嫡され断罪され命を落とす寸前で御座いました、そこへ突如全く見知らぬ那須殿のご配慮にて飯富を初め奥方とも再開する事が叶い、騎馬の者達とも再開出来ました、一度命を亡くした太郎です、どの様な覚悟でも受け入れます、全てお話下さい、私は今日より正太郎様と運命を共にし那須の皆様にお応えしとう御座います」



「分かりました太郎殿の御覚悟は私の覚悟でもあります、ではお話させて頂きます、私が4才の頃よりある者からの声が届く様になったのです、最初は何を言っているのか不明でしたが何時しかその者から届く話が理解出来る様になりました、その者から伝えられた内容は数十年後に那須家は滅亡してしまう、回避するには平家の里を訪ね、ある者に会い、対策をする様にと、そして2年後隣国常陸の佐竹が3000強の軍勢で攻めて来るという話の内容でした」



正太郎は此れまでに伝わった内容、数々の対応を一通り話し、此度は太郎殿がお家騒動にて処断される話が一年程前に伝わり、その時から退避する手順を鞍馬の者達と対応していたのです、お家騒動が起きる前から既に対策を図り、北条様とは極秘に武田家に伏して同盟も結ばれておりますのでこの様にいち早く対処出来た事、自分にいろいろと伝える者は今から460年の先の未来の者、洋一という者と協力者である軍師玲子なる者からの軍略を基に私が現状を見据え出来る事を行っている、との話を説明した正太郎であった。



「太郎殿もこの話をお聞きし驚かれると思うが、数年前まで5万石の小さき家の那須が佐竹を破り領地は20万石を越え、小田家と北条家とも同盟を結び目に見えない大きい力を作りました、この力はまだまだ大きくなります、その大きな力の中に此度は太郎殿も入られたのです、それと飯富殿が側にいる事はとても大きい意味があると思っております」



「正太郎様、お話の意味は理解しましたが余りにも驚く内容なので某にはまだ実感がありませぬが、そのお話が誠で無ければ私は今ここに存在しません、だから誠の事だと理解は出来ますが中々言葉が見つかりません、お許し下さい」



「太郎殿当然の事です、誰もがこの話を聞いた者は最初は同じです、私ですら最初は実感出来なかったのです、私の作りました村など後程見て回りましょう理解が進むと思います」




「正太郎様、私、飯富がいた事で何か役立つのでしょうか? 何か意味があるとのお話でしたが?」



「勿論です、私に父上がいるからこそ、この様に伸び伸びと政が行えるのです、重臣の者達も最初は戸惑い童の私の言葉など重みがありません、しかし、当主がこの正太郎の言葉に従うと言い放ち私は軍師になりました、当主が全責任を持って私の後押しを行ったのです、今ではどの重臣の方々からも信を得ていると実感しております、飯富殿は今の武田家の創設の御1人ではありませんか、二代に渡り武田と言う家を守り作られたお方です、飯富殿がいる太郎殿、飯富殿が不在の太郎殿、全くの別物であります」



「新たなお家を作られる太郎殿に飯富殿がいるという事は天からの恵み、飯富という存在はこの時の為に二代に渡り、その証を開花される為にいるのです、飯富殿が生まれて来た使命が芽吹く時が訪れたのです、今までの経験はこの時の為に培ちかわれたのです、飯富殿はとても大きい存在なのです」



既に枯れ果てたと感じていた自分の事を、今こそ、この時の為に飯富という存在がいるのだ、自分がいるのだという正太郎からの話に、いつしか滂沱する飯富であった。



「飯富よそなたこそ武田家の誇りであり儂の父である、不甲斐ない子であるこの太郎をどうか支えて欲しい、そなたは私の真の父である」 



共に涙する二人、この話し合いで武田騎馬隊は正太郎の配下となった、武田騎馬隊は槍の騎馬隊であり、那須独特の戦法である弓攻撃を覚える必要があった、そこで山内一豊の騎馬隊と合同の調練を行う事に。




正太郎には忠義が率いる騎馬隊120騎と一豊が率いる騎馬隊120騎がおり、正太郎の馬廻役40を千本義隆が、護衛の長柄足軽20騎は福原が率いている、他鞍馬が40名の陣容である、そこへ武田騎馬隊80騎が加わる事になる。




武田騎馬隊への調練は和弓で行い、弓の練度を上げてから五峰弓へ移行する、的を当てるには和弓での調練が適切であり、馬上で移動しながら撃つ際も和弓で身に付けた技術が生きる。



先ずは徹底的に弓を射る調練を開始した、槍で使う筋力とは違って両腕にかかる負担も、弦を引くという負担が重く身体から悲鳴を上がる、食事の際に箸が持てない、腕と指が震える、身体中から悲鳴が上がれば上がる程上達し、弓に耐える身体が出来上がる。



最初の週で弓が持てなくなり、次の週で拳が握れなくなる、技を身に付けるには続ける以外に方法は無く1ヶ月を過ぎる頃になんとか満足出来る矢を放てる様になるのである、三ケ月も行えば立派な弓士の誕生である。



弓で思う様に撃てたら次は馬上、騎馬での調練、この調練は実践を踏まえた調練であり、那須騎馬隊の基本である、ヒットアンドウェイの啄木鳥戦法となる、槍での攻撃には無い弓独自の戦法を叩きこむ事になる。



武田騎馬隊の者達も弓での騎馬が如何に優れているか理解するのであった、五峰弓も支給されその性能に驚き、これならどの様な相手であれ勝てるという自信を得る事に。



武田騎馬隊を調練する頃、那須の農民達と兵達によって新しい田を開墾する作業に追われていた、紅葉シーズンは雨もそれ程降らず気温の低下と共に樹木も勢いを失い葉が枯れて行くそれが紅葉である、紅葉時期は樹木が根から水分を吸収しなくなり、樹木本体が軽くなり、伐採伐根をするには適している時期になる。



田と畑を増やすには樹木を伐採伐根しなくてならず、目安は村全体の1割を増やす、村で田んぼ50枚あれば田を5枚増やす指示を出したのだ、増えた田からの収穫の半分は勿論村人達の糧となる。



水路を作り水を流す為に半兵衛は水車を数多く作らせ村々に水が届く様に作り、水路が引かれた所には田んぼ、水路が見込めない所は畑を作る様に増産計画を立て、兵士も各村に割り当て作業を10月下旬から年明け2月末までを田の増産期間とした。



11月下旬に油屋から船大工と職人及び砂糖が届いた、大津浜の船大工頭領の幸地より言付けが届く、油屋殿が手配した船大工20名が到着したのでこのまま作業に入る、南蛮奴隷から買い上げた海の狩人と名乗る親子3名も届き、このまま大津の漁村で引き取った、明の奴隷奴婢ぬひ2名、民船の船乗りであったのでこのまま那須の船員達に引き取らせた、他に紙漉き職人の家族5名が送られて来たので若様の元に砂糖と一緒に送るのでよろしくという内容であった。



「ほうご苦労であったその達が紙漉きの家族であるか、儂は那須家嫡男正太郎である、ささ、楽にして名を教えてくれぬか?」



「はい、ありがとうございます、京で紙漉きをしておりました、吉蔵です、これが妻のかねです、長男の吉一、次男の吉松、三男の吉男です、こちらが油屋様からの紹介状となります」



「お~紹介状があるのか、どれどれ、ふむふむ、野盗に襲われたのかそれは難儀であった、堺に紙の座があって、そちたちが紙漉きを行えないと言う事なのだな、那須では問題なく紙漉きが出来るので沢山作って欲しい、全て儂が買い取るから安心するが良い、住む家もあるので案内するゆえちと待っていろ」



横にいた半兵衛より、紙漉きなれば水車小屋がある家が何かと宜しいでしょう、樹木の繊維を細かくするに役立ち多くの紙が作れましょう、某が職人達に多く作らせておりますので、問題ありませぬ、若様の村にて利用すれば普及も早かろうと思われます、某が手配をします、半兵衛の申し出に、そこまでたかが紙漉きの職人に手厚く配慮された事に驚く吉蔵一家。




いろいろな意味で那須の備えが整うた年の暮であった。





嶺松院は那須武田家の寿桂尼になりそうですね。

次章「包囲網」になります。

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